深セン経済特区管理線が廃止に-特区内外の統一的発展を促進-
(中国)
広州発
2018年02月13日
国務院は1月6日付で「深セン経済特区管理線の廃止同意に関する回答」を公布した。これにより、深セン経済特別区内に設置された特区外との境界線である深セン経済特区管理線の廃止が決定された。深セン経済特区管理線は、84.6キロにわたり深セン市の経済特別区の内外を区切っていた高さ2.8メートルのフェンスで、1982年に建設が開始された。当時は特区内のみで適用される関税などがあり、密貿易の防止などを目的とした。その後、2010年に経済特別区が深セン市全体に拡大されたことなどから、管理線は形骸化し、関連施設の撤去も進んでいた。今回の廃止で、土地の有効利用などの促進が期待される。
深セン市の統一的都市計画などを指示
国務院は1月6日、「深セン経済特区管理線の廃止同意に関する回答」(国函〔2018〕3号)を公布し、深セン経済特別区内に設置された特区外との境界線である「深セン経済特区管理線」(以下、管理線)廃止を決定した。これは、広東省政府の「深セン経済特区管理線の廃止に関する伺い」(粤府〔2017〕88号)に答えたものだ。国務院は、広東省に管理線の廃止に伴い、(1)深セン経済特区の一体化発展の促進、(2)深セン市の統一的都市計画・建設管理、(3)香港との境界管理とインフラ建設の強化、などを指示した。
実質的には形骸化
1980年8月に深セン市の一部が経済特区となり、管理線は1982年に設置された。特区内に限った輸入関税優遇策などが施行されていたことから、設置当初の主な目的は密貿易の防止などだった。特区内外は高さ2.8メートルのフェンスによって区切られ、管理線上には16カ所の検査ステーションが設けられた。特区内への移動には通行証が必要で、香港、マカオとの境界が「一線関」と呼ばれることにちなみ、管理線は「二線関」と呼ばれるようになった。
その後、特区内外の政策の統一が進んだことや、2010年には経済特区が深セン市全域に拡大されたことなどから、現在では原則的に移動制限は行われておらず、管理線の実質的な意味は失われていた。また、管理線の関連施設が渋滞などの原因ともなっていたことから、2013年からは検査ステーションの撤去も進められてきた。一方で、管理線の廃止は2000年ごろから提案されてきたものの、今回の「回答」までは実現しなかった。
管理線沿線の土地の有効利用にも期待
管理線の廃止について、中国(深セン)総合研究開発院観光・土地研究センターの宋丁主任は、(1)旧特区内・外の一体化の歩みが加速する、(2)管理線沿線の土地を効果的・統一的に利用することができる、(3)広東・香港・マカオ大湾区の大きな枠組みの下、香港との連携強化が進む、としている(「毎日経済新聞」1月16日)。
また、経済特区の全市への拡大後も、旧特区の外ではインフラ整備の遅れなどが指摘されており、管理線の廃止による格差是正の推進に期待する声もある(「南方網」1月17日)。
(河野円洋)
(中国)
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