トレーシング対象に熱延鋼板が加わると自動車業界に影響-NAFTA原産地規則改定の留意点-
(メキシコ、米国、カナダ)
米州課
2017年07月18日
8月16日以降に予定される北米自由貿易協定(NAFTA)の再交渉に備え、北米3カ国ではパブリックコメントの公募や公聴会の開催など民間部門からの意見聴取のプロセスが進んでいる。NAFTA再交渉で進出日系企業が懸念しているテーマの1つに自動車産業における原産地規則の厳格化があり、メキシコ進出企業は特に鋼材の現地調達の厳格化を警戒している。米国の鉄鋼業界が主張するトレーシングリストの拡大やトレーシング制度の廃止が行われた場合、自動車業界にはどのような影響が出るのか、NAFTAの現行の原産地規則とメキシコの鋼材輸入の現状からまとめてみた。
自動車と自動車部品はTPPの重点価額方式に類似
メキシコ経済省は7月26日まで、同省のウェブサイトを通じてパブリックコメントの提出を受け付けている。
NAFTAの自動車分野の原産地規則改定の影響を考える上で、考慮しておかなければならないのは、NAFTA第403条1に規定される非原産材料価額算出の特殊ルール、通称「トレーシングルール」だ。NAFTA第403条1は、乗用車・ピックアップトラック、NAFTA別添403.1(添付資料参照)に掲載された純正自動車部品の域内原産割合(RVC)の計算方法には、協定第402条に規定された「純費用(NC)方式」(注1)を用いると規定しているが、RVCを計算する際に用いる非原産材料価額(VNM)としては、「別添403.1に規定された品目(トレーシング対象品目、HSコードで特定)が域外から最初に輸入された時点の価格」を足し上げるとしている。計算公式は以下のとおりとなり、RVCを高くしたいと思えば公式の分子を大きくしなければならず、そのためには域外から輸入されたトレーシング対象品目をなるべく少なくすることがカギになる。
RVC(%)=(NC-域外から輸入されたトレーシング対象品目)/NC×100
別添403.1に規定されていないトレーシング非対象品目であれば、たとえ域外から輸入されたものであっても、NCから差し引く必要はない。特定の非原産材料の価格のみをVNMとして考慮し、他の非原産材料は実質、原産材料として扱ってもよいという計算公式は、環太平洋パートナーシップ(TPP)で採用された重点価額方式(注2)に似ている。ただし、NAFTA第403条1は、トレーシング対象品目が域外から最初に輸入された時点の価格をVNMに足し上げると規定しているため、域外から輸入調達した対象品目を使用して生産された中間製品が、たとえその後にNAFTAの品目別原産地規則(PSR)を満たしてNAFTA原産品となったとしても、当該中間製品(原産品)に含まれるトレーシング対象品目の輸入価格だけは、VNMに計上しなければならない〔「ロールアップ」(注3)しない〕。
具体例を挙げると、NAFTA域内で完成車メーカー(OEM)が一次サプライヤー(Tier1)から自動車用の座席を調達し、Tier1は二次サプライヤー(Tier2)から座席用フレームを調達する。Tier2は座席フレームの材料として、電気モーター(HS8501.10)を域外から輸入調達する。電気モーターはNAFTA別添403.1に掲載されているトレーシング対象品目だが、このサプライチェーンにおいて電気モーター以外の域外から輸入したトレーシング対象品目はないと仮定する。
このサプライチェーンの各階層においてVNMに計上する材料は、座席フレームの製造工程でも、座席の製造工程でも、完成車の製造工程でも、域外から輸入した電気モーターとなる。Tier2は電気モーターの輸入価格をTier1に報告し、Tier1はTier2から報告を受けた電気モーターの輸入価格をOEMにも報告する。座席フレームと座席の製造工程はNAFTAのPSRを満たしているため、座席フレームも座席もNAFTA原産品(原産材料)だが、その中に含まれている電気モーターの価格部分については、OEMもVNMに計上する必要がある(表1参照)。
生産者 (サプライチェーンの階層) |
調達する部品・原材料のトレーシング有無 |
非原産材料価額(VNM)に 足し上げる原材料 |
||
---|---|---|---|---|
電気モーター | 座席フレーム | 座席 | ||
座席フレームメーカー(Tier2) |
対象 (域外から輸入) |
電気モーター | ||
座席メーカー(Tier1) |
対象 (域外から輸入) |
対象外 | 電気モーター | |
完成車メーカー (OEM) |
対象 (域外から輸入) |
対象外 |
対象外 (域内生産のため) |
電気モーター |
(注)電気モーター以外のトレーシング対象品目は域外から輸入されていないと仮定した場合。自動車用の座席(HS9401.20)はAnnex403.1に掲載されているトレーシング対象部品だが、域外から輸入されていないため、非原産材料としてトレーシングする必要はない。
(出所)NAFTA第403条、NAFTAの税関手続きに関する規定の適用における一般規則
トレーシングにメリットとデメリットの両面
自動車メーカーや自動車部品メーカーにとってトレーシングのメリットは、トレーシング対象外の原材料を柔軟に域外から調達できることだ。NAFTA別添403.1のトレーシングリストには、鋼材や樹脂などの素材、ボルトやナットなどの汎用(はんよう)部品などは含まれておらず、これらは日本や中国、韓国から調達しても非原産材料価格(VNM)に計上する必要はない。
他方、トレーシングのデメリットとしては、(1)サプライチェーンの中でトレーシング対象品目が輸入調達されている場合、たとえその後の工程で中間製品が原産品となってもトレーシング対象品目の調達価格はロールアップしないこと、(2)トレーシング対象品目が域外から輸入されていないかどうかを最初に輸入した時点までさかのぼってサプライヤーに確認するプロセスが煩雑で管理コストがかかること、が挙げられる。
トレーシングに対する見解はさまざまだが、北米の自動車産業はトレーシングリストを基にサプライチェーンを形成してきているため、同リストの廃止や変更はサプライチェーンの見直しを意味することになり、北米自動車産業に少なからぬ影響が及ぶことになる。
熱延鋼板の多くを域外からの輸入に依存するメキシコ
米国で2017年6月末に開催されたNAFTA再交渉に関する公聴会の中で、米国鉄鋼協会(AISI)は、トレーシングリストに鉄鋼を加えるように主張した。トレーシングリストに鉄鋼のHSコードが追加されることにより、具体的にはどのような影響が出るのか、メキシコの鋼板輸入の現状から分析してみた。
自動車産業で多く用いられる鋼板としては、サスペンションフレームや骨格部品などに用いられる熱延鋼板、熱延鋼板をさらに薄く引き伸ばして軽量化した冷延鋼板、ドアや外板などに用いられる亜鉛メッキ鋼板(冷延鋼板に耐食性を付与した鋼板)、合金鋼を素材として用いた特殊鋼板(熱延・冷延・亜鉛メッキ)などが挙げられる。熱延鋼板については、自動車産業でよく用いられる幅や厚さなどから対象となる品目(HSコード)を選定し、表2の輸入統計を作成した。
品名 【HS】 |
原産国 | 2006年 | 2008年 | 2010年 | 2012年 | 2014年 | 2016年 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
数量 | 構成比 | 06年比 | |||||||
熱延鋼板 【7208.26-27】 |
NAFTA域内 | 105 | 172 | 239 | 340 | 249 | 256 | 42.7 | 143.3 |
その他 | 153 | 159 | 180 | 230 | 306 | 345 | 57.3 | 125.8 | |
合計 | 258 | 331 | 419 | 570 | 554 | 601 | 100.0 | 133.0 | |
冷延鋼板 【7209.16-17】 |
NAFTA域内 | 197 | 268 | 257 | 259 | 187 | 217 | 36.5 | 9.8 |
その他 | 332 | 85 | 151 | 283 | 301 | 376 | 63.5 | 13.3 | |
合計 | 529 | 353 | 409 | 543 | 488 | 593 | 100.0 | 12.0 | |
溶融亜鉛メッキ鋼板 【7210.49】 |
NAFTA域内 | 372 | 269 | 263 | 325 | 337 | 295 | 36.1 | △ 20.8 |
その他 | 279 | 248 | 358 | 455 | 527 | 521 | 63.9 | 86.5 | |
合計 | 652 | 517 | 622 | 780 | 865 | 816 | 100.0 | 25.2 | |
特殊鋼板 (熱延) 【7225.30-40】 |
NAFTA域内 | 68 | 124 | 106 | 138 | 125 | 202 | 32.0 | 197.7 |
その他 | 188 | 195 | 55 | 317 | 271 | 429 | 68.0 | 128.5 | |
合計 | 256 | 319 | 161 | 455 | 397 | 632 | 100.0 | 146.9 | |
特殊鋼板 (冷延) 【7225.50】 |
NAFTA域内 | 76 | 69 | 115 | 164 | 123 | 152 | 46.9 | 100.3 |
その他 | 105 | 74 | 61 | 48 | 140 | 172 | 53.1 | 63.2 | |
合計 | 181 | 143 | 177 | 212 | 263 | 324 | 100.0 | 78.7 | |
特殊鋼板 (亜鉛メッキ) 【7225.92】 |
NAFTA域内 | 96 | 63 | 318 | 177 | 264 | 249 | 63.5 | 158.7 |
その他 | 88 | 134 | 139 | 127 | 109 | 143 | 36.5 | 63.0 | |
合計 | 184 | 197 | 457 | 305 | 373 | 392 | 100.0 | 113.1 | |
6品目合計 | NAFTA域内 | 915 | 965 | 1,299 | 1,404 | 1,286 | 1,372 | 40.8 | 49.9 |
その他 | 1,145 | 896 | 944 | 1,461 | 1,654 | 1,986 | 59.2 | 73.5 | |
合計 | 2,060 | 1,861 | 2,244 | 2,865 | 2,940 | 3,358 | 100.0 | 63.0 |
(出所)国立統計地理情報院(INEGI)通関統計
メキシコは2016年に、熱延鋼板(自動車産業でよく用いられるHSコードに限定)を約123万トン(非合金鋼60万トン、特殊鋼63万トン)、冷延鋼板を約92万トン(非合金鋼59万トン、特殊鋼32万トン)、溶融亜鉛メッキ鋼板を約121万トン(非合金鋼82万トン、特殊鋼39万トン)、合計で336万トンを輸入している。そのうち、NAFTA域内産の輸入は4割にすぎず、残りは韓国、日本、EUなどからの輸入となっている。
過去10年間の推移をみると、自動車産業の成長に伴い、2016年の輸入量は2006年比63.0%増と拡大しているが、非合金鋼の分野では、現地で熱延鋼板を冷間圧延し、亜鉛メッキ処理を行う工場がここ数年で増えたため、冷延鋼板や亜鉛メッキ鋼板の輸入は熱延鋼板ほど伸びていない。他方、原料となる熱延鋼板(非合金鋼)の輸入は、メキシコ国内に有力な熱延鋼板のメーカーがないこともあり、10年前の2.3倍に拡大している。特殊鋼板の場合は、熱延、冷延、亜鉛メッキの全てで伸び率が高いが、その中でも熱延特殊鋼板の輸入の伸び率が特に大きい。同分野はまた、域外からの輸入に約7割を依存している。
原産国・地域別に熱延鋼板の輸入量をみると、非合金鋼の熱延鋼板は米国、韓国、日本、カナダ、EUの順に輸入量が多く、上位3ヵ国は2016年の輸入量が10年前の3倍以上に達している(図1参照)。熱延特殊鋼板は2016年に日本、米国、カナダ、中国、EUの順に輸入量が多く、日本製の輸入量は10年前の5.5倍に達した(図2参照)。
トレーシング制度廃止なら鋼板のPSR改定が不可欠
域外からの鋼板輸入が多い現状で、トレーシングリストに鋼板のHSコードが追加されることは、域外調達された鋼材の輸入価格を輸入された時点にさかのぼってVNMに計上することを意味するため、鋼材の利用量が多い自動車産業にとっては、VNMが大幅に上昇し、62.5%(完成車)や60%(主要自動車部品)といったRVCの達成が困難になることが予想される。
特に深刻な影響を与えると想定されるのは、熱延鋼板のHSコードがトレーシングリストに追加されることだ。メキシコでは近年、韓国のポスコやイタリア・アルゼンチン資本のテルニウム、日本の新日鉄住金などがメキシコで冷間圧延工程を行う工場や溶融亜鉛メッキ処理を行う工場をメキシコに建設している。従って、現在は冷延鋼板や亜鉛メッキ鋼板がメキシコでも生産されているが、原料となる熱延鋼板は日本や韓国などから輸入されている。このため、熱延鋼板がトレーシング対象に追加された場合、メキシコで製造されている冷延鋼板や亜鉛メッキ鋼板であっても、原料の熱延鋼板をNAFTA域外から輸入していれば、最終的な鋼板の輸入調達価格に含まれる熱延鋼板の価格についてはVNMに計上しなければならなくなる。また、自動車産業など裾野が広くサプライチェーンが複雑な産業において、鋼材などあらゆる階層で使用頻度が高い素材がトレーシング対象となることは、サプライヤーから納入先へのトレーシング対象価格の伝達実務を煩雑にし、管理コストが大幅に増大することも懸念される。
なお、NAFTA見直しの議論の中では、トレーシングの対象拡大のみならず、トレーシング制度そのものの廃止を提案する声もある。仮にトレーシング制度が撤廃された場合、自動車や自動車部品も通常の純費用方式によるRVCの計算となり、トレーシング対象であるかないかにかかわらず、非原産材料であればVNMに計上する必要があり、鋼材をトレーシングリストに追加するのと同様の効果となるからだ。
トレーシング制度が完全に撤廃された場合、現状でトレーシング対象品目を域外から輸入調達している企業は、その後の域内の製造工程で中間製品が原産品となれば、当該品目の輸入調達価格は非原産材料として考慮しないロールアップの効果が期待できるほか、トレーシング対象価格を適切に管理し、納入先に伝達するための手間と管理コストが削減でくる。ただし、現状でトレーシング対象でない部品を域外から輸入調達している企業にとっては、今まで考慮しなくてもよかった材料をVNMに計上しなければならなくなる。
さらに、トレーシング制度が完全に廃止された場合に鉄鋼分野で問題となるのは、NAFTAの品目別原産地規則(PSR、別添401)だ。NAFTA別添401によると、鋼板のPSRは原則として4桁レベルの関税分類変更(CTH、注4)だが、その例外として、たとえHSコードが上4桁で異なっていても同じ素材のグループ(非合金鋼であれば非合金鋼の鋼板、棒鋼、形鋼、特殊鋼であれば合金鋼のインゴット、鋼板、棒鋼、形鋼)からの変更は認められないため、熱延鋼板を冷延工程で薄くのばし、亜鉛メッキ処理を施してもNAFTA原産品とならない。
対米輸出の観点からすれば、米国の鋼板のMFN(最恵国)関税率が0%であるため、NAFTA非原産品であっても米国側で関税が発生することはない。ただし、自動車メーカーや自動車部品メーカーのRVCの計算には影響するため、トレーシング制度が廃止された場合は、新日鉄・テルニウムの合弁企業やポスコがメキシコで生産している亜鉛メッキ鋼板は非原産材料扱いとなる可能性が高く、VNMに計上する必要が出てくる。
新日鉄住金がテルニウムとの合弁で建設し、2013年に稼働させた亜鉛メッキ鋼板工場には約3億ドルが投じられている。同工場に隣接するかたちでテルニウムが建設した冷延鋼板工場への投資額は約7億7,000万ドルだ。JFEスチールも米国のニューコア(Nucor)と合弁でグアナファト州に約2億7,000万ドルを投じ、自動車用亜鉛メッキ鋼板工場を建設中だ。これらの巨額の投資が伴う工場であっても、原料となる熱延鋼板が域内産でないとNAFTA原産品とならないのが現状なため、トレーシング制度が完全に廃止されるのであれば、NAFTA再交渉でPSRの変更を促し、熱延鋼板が域外産であってもその後の工程次第で原産資格が付与されるようにするというオプションは考えられるだろう。
米国商務省の統計によると、米国でも特殊熱延鋼板は2016年に39万4,000トンをNAFTA域外(スウェーデン、ドイツ、日本、オランダ、中国など)から輸入しているため、米国でも自動車産業のRVC達成が今までよりも厳しくなると想定される。
(注1)取引価格から利益を除いた総費用から、当該総費用に含まれる販売促進、マーケティングおよびアフターサービスにかかる費用、使用料、輸送費および梱包(こんぽう)費などを減じたものを「純費用(NC)」と定義し、NCから非原産材料の価格(VNM)を控除して残った付加価値がNCの何%に相当するかを計算する方式。
(注2)TPPでは、取引価格(FOB)から品目別原産地規則(PSR)に規定されている特定の非原産材料(FVNM)を控除して、残った付加価値がFOB価格の何%に相当するかを計算する公式が採用されており、それを「重点価額方式」と呼ぶ。TPPの原産地規則については、ジェトロ「TPP解説書(原産地規則編)」(2017年1月)(0B)を参照。
(注3)一般的にFTAの原産地規則で用いられているルールで、域内でしかるべき工程や付加価値を経た結果、協定の原産地規則に照らし合わせて原産品となった中間製品の中に、たとえ域外からの輸入などにより調達した非原産材料が含まれていても、当該非原産材料の価格は考慮せず、加工後の中間製品の価格を100%原産材料の価格として計上することができるというルール。
(注4)製品を生産するために使用した非原産材料と製品の間に、HSコードの上4桁の変更があれば原産品と見なす基準。
(中畑貴雄)
(メキシコ、米国、カナダ)
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