タイトな雇用市場、賃金上昇・人材確保が課題に−飲食業を取り巻くビジネス環境(2)−

(シンガポール)

アジア大洋州課・シンガポール事務所

2015年02月18日

シンガポールでは失業率が2%前後で推移するなど雇用市場はタイトで、人件費の上昇、労働力不足、従業員の転職などが経営上の課題となっている。また、外国人労働者を新規で雇用するためにはシンガポールの社会保障制度である中央積立基金(CPF)への積み立てが必要となることなど、知っておかなければならないシンガポール固有の制度もある。連載の後編は、飲食業を中心とした労務管理上の諸課題について。

<外国人雇用抑制策が人手不足に拍車>
シンガポールの雇用市場はタイトだ。失業率はリーマン・ショック以降、2%前後で推移している。人材省(MOM)が発表した2013年通年の失業率は1.9%と前年より0.1ポイント低下し、2014年9月時点でも2.0%と、労働力需給は逼迫した状態が続いている。

この背景には、シンガポール政府が外国人雇用規制を年々強化している事情がある。具体的には、MOMが外国人労働者に対する就労許可証の発給条件を調整することで、規制強化を進めてきた。同省は管理・専門職種向けに「エンプロイメント・パス(EP)」、中技能向けに「Sパス」、建設労働者や工場労働者など低技能向けに「ワーク・パミット(WP)」と、外国人労働者の技能や学歴、就労経験、賃金に応じて異なる種類の就労許可証を発給している。

飲食業に特に関係があるのはWPとSパスだが、これらについてMOMは、2010年から段階的に雇用限度率を引き下げるとともに、外国人雇用税を引き上げている。例えば、飲食業を含むサービス業については、WPを保持する外国人労働者は全従業員のうち40%以下、Sパスは同じく15%以下しか雇えない。また、外国人労働者を1人雇うごとに全外国人労働者数に応じて300〜700シンガポール・ドル(約2万6,100円〜6万900円、Sドル、1Sドル=約87円)を外国人雇用税として納税する必要がある(雇用できる外国人労働者数の上限があるだけでなく、その限度内でも多く雇うほど、1人当たりの課税が高くなる)。これらの措置により、サービス業の現場での人不足に拍車を掛けている(EPの申請・更新に対しても規制が強められている。詳細は2014年9月8日記事参照)。

<高騰する人件費を見込んだ上で進出検討を>
雇用市場がタイト化する中、多くの雇用機会がサービス業中心に増加していることから、人件費の上昇、労働力不足、従業員の転職などにつながっており、多くの日系企業の間で経営上の課題になっている。連載前編でも触れたとおり、ジェトロによる在シンガポール日系企業に対する調査でも、「人件費の上昇:74.7%」「労働力の不足・人材採用難:42.0%」が投資環境上のリスクとして指摘されている(2015年2月17日記事参照)。また、同調査によると、シンガポールの非製造業・スタッフの賃金(基本給・月額)は、オセアニアを除くアジアではトップとなる2,447米ドルで、非製造業のベースアップ率は2014年、2015年(見込み)ともに3.6%となっている。シンガポールの2014年1〜11月の消費者物価指数(CPI)上昇率は前年同期比1.1%、住宅関連費と民間輸送費を除くコアインフレ率は2.0%であり、ベア率はそれらを上回るペースで上昇する傾向にある。

労働需給の逼迫に伴い、賃金の上昇圧力が働いているが、こうした中でもある日系飲食店は「確かに人件費は高く経営上の負担は大きいものの、人件費が過剰にならないよう計算している。シンガポールには費用以上のポテンシャルを感じている」という。前編で触れた店舗賃料と合わせ、高い人件費は固定費を押し上げ、収益を圧迫する要因となっており、あらかじめ人件費の上昇を見込んだ上で進出を検討する必要がありそうだ。

また、人手不足も深刻だ。シンガポールで長年、人材紹介などを手掛けるプログレスアジア代表の斉藤秀樹氏は「労働人口の90%以上が労働市場に参入している状況だ(注1)。『求職者が企業を選ぶ』という日本のバブル期さながらの売り手市場だ。転職や引き抜きも頻繁に行われる」という。人材確保が難しいのは、日系企業に限らず、現地企業にとっても同様だ。中華レストランチェーンのレイガーデンは2014年7月1日、人手不足を理由にシンガポール国内にある2店舗のうち1店舗を閉店した、と地元英字紙に大きく報じられた。また、「サンデータイムズ」紙(2014年12月28日)は、2011年に369軒のカフェがオープンしたが、既にその45%が閉店、さらに2013年オープンの391軒のうち23%が閉店したと報じた。閉店の理由として、店舗の立地などの要因も挙げられるが、最も共通する課題は人手不足で、オーナー自らが働かなければならない場合も多いという(注2)。

人材が確保できても、維持が難しい。別の日系飲食店は「雇用の流動性は非常に高く、転職が頻繁にある。従業員全員が入れ替わる例も耳にしたことがある」と話す。プレオープン期間中に雇った人材が正式開店前に全て辞められてしまった日系飲食店もあるという。プログレスアジアの斉藤氏は、シンガポール人が転職する理由として、「不適切な待遇・ベネフィット」「日系企業のマネジメント能力不足」「成長機会の少なさ」「昇進機会の少なさ」「キャリアの転換」「ワークライフバランス重視」を挙げる。定着率を高めるためにも、シンガポール人に合わせた給与体系や手当てをつくり、福利厚生などと組み合わせて、魅力ある職場にする必要があるという。

<外国人労働者を新規雇用する場合も注意が必要>
外国人雇用規制については、新規に事業を立ち上げる際にも注意が必要だ。新規に会社を設立し、外国人労働者をスタッフとして雇用するためにWPまたはSパスの申し込みをしたことがない場合、WPやSパスの申請書類を提出するのに先立って、組織のビジネス活動を申告する必要がある。その後、申告したビジネス活動に基づき、MOMによって産業分類が割り当てられ、当該組織が雇用できるWP、Sパス保有者の人数が決定される。

この際、設立した組織が会計・企業監督庁(ACRA)に登録されてから6ヵ月以内で、シンガポールの社会保障制度である中央積立基金(CPF、注3)の口座を持っていない場合、CPFの口座を開設する必要がある。シンガポール人(永住権者を含む)を雇用する場合は、雇用主・被雇用者双方がCPFの積み立てを行わなければならないが、このCPFについてはビジネス活動申告の時点で少なくとも1ヵ月間積み立てていなければならない点に注意が必要だ。

CPFの口座は組織のシンガポール人従業員数を決定するために利用され、また当該データは外国人労働者の割り当て(クオータ)を計算するために用いられる(クオータは、上述した業種ごとに定められたWPとSパスの雇用限度率以下となる)。雇用しているシンガポール人の数の微増減に対応するために、MOMは3ヵ月間のCPF積立額の平均値を確認する。CPF積み立てをある月の14日までに行った場合、翌月の外国人労働者のクオータに含まれることになる。例えば、従業員の7月分の積み立てを7月14日までに行った場合、8月のクオータに含まれる。8月のクオータは5月、6月、7月のCPF積立額に基づいて効力を持つため、例えば5月に設立した企業は8月までWP・Sパスを必要とする外国人労働者を雇用できない点に注意する必要がある(注4)。

飲食店を展開する複数の日系企業から、クオータを得て外国人労働者を雇った後も、シンガポール人が辞めてしまうことで、外国人労働者のクオータが減り、外国人労働者を辞めさせざるを得ない場合もあるとの声も聞かれた。MOMもCPFの積立状況によりシンガポール人従業員数を把握しているため、外国人労働者をクオータ以上に雇っている場合、クオータが減ったことを飲食店が個別にMOMから注意されることがあるという。クオータを適切に管理・把握するため、日系企業の中には、会計事務所などに委託している場合もある。

<病気休暇取得の管理も課題に>
労務管理上の課題として、従業員の病気休暇の取得を挙げる日系企業も多い。シンガポールでは、従業員が雇用主の下で3ヵ月以上勤務した場合、年次有給休暇(勤続年数に応じて7〜14日を付与)のほかに、有給の病気休暇が付与される(注5)。勤続期間に応じ、外来については5〜14日、入院については15〜60日の病気休暇が与えられる。病気休暇の取得は労働者の体調に左右されるため、取得のタイミングが読めないのはやむを得ないことだが、経営にあたっては念頭に置くべき点の1つだろう。年次有給休暇の取得日数と合わせ、皆勤ボーナス付与を行うなど、工夫が欠かせない。

シンガポールは、事業のスタートアップがしやすく、基本的にはビジネスがしやすい国であるため、外国人労働者の雇用規制を含む労働事情や店舗賃料の課題など、日本と異なる部分を見落としてしまう可能性がある。地元老舗レストランでも、賃料上昇や人件費増加などにより店舗の閉鎖、収益の減少に悩まされている。冷静に事業の採算性を見極めるなど、進出前の下準備を怠らないことが肝要だろう。

(注1)男性25〜64歳の労働参入率は、2013年には92.2%と極めて高い。30代から40代前半に至っては97%を超えている。女性を含めた合計の労働参入率も、年々増加しており、2013年には81.7%となっている。詳しくは、MOMの「Labor Force in Singapore 2013」を参照。
(注2)労働力不足に対応するためにも、労働生産性の向上が求められているが、伸び悩んでいる。この辺りの事情は、2015年1月7日記事参照
(注3)中央積立基金(CPF)は、国民(永住権者を含む)とその雇用主の双方に月給の一定額の積み上げを義務付ける貯蓄制度(例えば、35歳以下の従業員の場合、雇用主は月給の17%、従業員は20%を拠出する必要がある)。積み立てた貯蓄は、入院費を中心とする医療費、国民の8割以上が住む公共住宅(HDBフラット)の購入のほか、老後の年金に用いられる(2014年9月3日記事参照)
(注4)クオータの計算の詳細はMOMウェブサイト「Calculation of Foreign Worker Quotas」参照。また、厳密には外国人労働者の出身国によっても雇用条件が異なるため、注意が必要だ。詳細は同ウェブサイト「Work Permit−Before you apply」などを参照。
(注5)病気休暇を利用するに当たり、会社もしくは政府指定の医者による診断書(Medical Certificate)が必要になるため、シンガポールでは本制度をMCと呼ぶことが多い。

(板東辰倫、小島英太郎)

(シンガポール)

進出は容易だが、市場の競争も激化−飲食業を取り巻くビジネス環境(1)−

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