銀行の顧客情報守秘義務や法人優遇税制の見直しに着手−国内外からの圧力に対応−

(スイス)

ジュネーブ事務所

2014年08月06日

多国籍企業に有利な法人税、銀行の顧客情報守秘義務、国内外からの優秀な人材の登用など、ビジネス環境を有利にしてきた諸条件が、EUや米国などの圧力により見直しを迫られている。政府は7月1日、EUとのビジネス税制に関する協議に合意した。同日、米国ではスイスの金融機関にも直接影響を及ぼす外国税制順守法が施行された。政府は6月20日、2月の国民投票で可決した大量移民制限規制に関する実施計画案を発表した。これらを受けて、政府は法人税制改革、銀行の顧客情報秘匿主義の見直し、移民規制法案の作成に着手した。

<法人税制を一本化する一方、R&D促進に向けた優遇税制の導入を検討>
2005年から10年近くにも及ぶビジネス税制についてのEUとの協議が7月1日、決着した。スイスの法人税は、連邦税が8.5%(表面税率)と一律ではあるものの、州税(市町村税含む)部分は税率・制度ともに州ごとに異なっている。各州が、一定の条件の下で州税を減免し、州内に所在する企業に対して、国内と国外の事業収益に対して異なる税率を課す(注)など多国籍企業向けの優遇制度を競うように導入しており、それがスイスでの事業立地を不当に有利にしているとしてEUからの批判の的となってきた。政府はEUに対して、国内と国外の収益について異なる税率としてきた制度を廃止することを含め国全体で統一した法人税制を構築するための改革を実施すると約束した。

財務省で検討作業中のその税制改革案が日刊紙「ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング(NZZ)」(7月13日)に掲載された。公式に発表されたものではないものの、明らかになった検討内容によると、(1)連邦と州に分かれていた法人税を国全体で統一し、現在、約22%の全州平均の実効税率(連邦・州税の合計)を全国一律16%に引き下げる、(2)これにより全体で22億スイス・フラン(約2,490億円、CHF、1CHF=約113円)の減収となる。その内訳は連邦が5億CHF、州が17億CHFの減収で、州の減収分に対しては、連邦から10億CHFを補填(ほてん)する、(3)新たに研究開発(R&D)などイノベーションを促進するための優遇税制「ライセンスボックス」を導入する、というのが骨子だ。

これまでの一般企業への実効税率は12〜24%(州ごとに異なる)だったのに対して、統括会社・持ち株会社は州・地方税が減免されていたため、実効税率は8〜12%と低かった。法人税率が一律16%に一本化されることで、スイスの立地を有利にしていた「魅力的な税制」が幾つかの国の後塵を拝することになる。このため新たな「ライセンスボックス」と呼ばれる優遇税制を、これまで低い税率の恩典を受けていた業種・業態を中心に導入することで、既進出企業をつなぎとめたいというのが政府の狙いのようだ。今後、州への補填額をめぐって、各州との調整や研究開発企業などに対する優遇税制の詰めなど、政府内や国会での審議が行われていく見通しだ。

<米国や国際機関からの圧力を受け銀行の秘匿主義の見直しに着手>
スイスの銀行の顧客情報秘匿主義は、米税務当局との摩擦の元となっている。米国人の顧客に対し脱税を手助けしていたとして2009年に大手銀行UBSが罰金を米国当局から科せられたのに続き、2014年5月20日、クレディ・スイスが米国当局から巨額の罰金を科せられた。米国では2014年7月1日から、外国口座税務コンプライアンス法(FATCA:Foreign Account Tax Compliance Act)が施行された。同法は、外国金融機関に対して、一定の条件に該当する米国人が保有する国外口座について米国当局に通報・登録し、定期的に資産情報を報告することを求めている。金融機関はコストと時間を割きこの作業を行わねばならず、一方、米国の顧客にとっても銀行の秘匿主義の恩恵は過去のものとなった。

政府は、スイスの銀行の顧客情報守秘という伝統は維持しつつも、口座が脱税や資金洗浄といった犯罪行為に使われることを防止するとの考えから、OECDの「税に関する各国当局間での自動的な情報交換」に関する新しい基準を支持し、導入に当たり関係国と議論する権限(マンデート)を現在議会に求めている。政府が常々、銀行の口座情報の各国当局間での交換は、各国が参加する(公平なビジネス環境が設定される)限り、スイスも対応すると主張しているように、国際的な基準である以上理屈の上では相対的な競争力の喪失につながるものとは考えにくい。

その一方で、今まではスイス銀行法に基づき、銀行口座の情報漏えい、外部提供が罰則の対象になっていたが、今後は、米国のFATCAに基づき当局に情報提供を適切に行わないと処罰の対象となるという、まったく逆の発想、対応が求められる。今のところ銀行法改正が必要との議論は出ていないが、政府はこれまで国内外の課題に対し、「漸進的」すなわち急激な手段を取らず、順を追って少しずつ政策を講じることで対処してきており、その政策的な安定性がビジネス環境の安定につながっているとして、立地上の魅力的な要因の1つと評価されてきた。しかし今回の銀行の秘匿主義の見直しは、漸進的な変化どころか今後の大きな変革につながる可能性があると考えられる。

<量的な枠を設け移民管理を行う実施計画案を発表>
政府は6月20日、2014年2月に可決された大量移民制限イニシアチブ(2014年2月12日記事5月13日記事参照)の実施計画を発表した。その内容は3年後の2017年から移民を管理する量的な枠を導入するというもので、枠の設定方策が示されている。政府が総数と毎年の許可数を決め、これを州ごとに配分すること、この方策を実行する法案を2014年末までに作成することや「人の移動の自由に関するEUとの協定」の見直しの協議をEUに要請することなどが盛り込まれている。経済界や各州に配慮し経済情勢、労働市場などの実態を踏まえるとの考えを盛り込みながら、基本的には可決されたイニシアチブの内容を実行計画に落としたものだ。

現在提案されている実施計画が導入された場合、EUの研究開発プログラムなどにスイスが参加できず研究の機関・大学などでの研究資金の調達が困難になる懸念があり、一部では既に影響が出ている。また、人材の確保が将来的に難しくなることも懸念され、制度の設計・運用いかんでは、企業においても手続きなども含め新たに何らかの対応を迫られるとみられている。

EUは、スイスからの「人の移動の自由に関する協定」見直しに向けた協議要請には応じないとしている。そうしたEUと妥協点を見いだすのは困難に思われる中、有識者などからは「そのようなEU側の反応を予期して、政府は移民を制限するような考えはもはや国際的には受け入れられないことを示し、将来再び国民投票に問う覚悟ではないか」との意見も聞かれる。いずれにしても、この実施計画が関連法案にどのように具体化されていくのか、各州の移民管理当局でどう運用されていくのかがポイントとなる。

<政策の先行きが読みにくい時期が続く可能性>
魅力的な税制、優れた人材の確保、銀行の秘匿主義はビジネス環境の大きな競争力要因で、これらが多国籍企業の本社や欧州統括拠点、金融機関の誘致が多い理由となってきた。こうした有利な要因に対する政策の変化がこの国の競争力にどのように影響を与えるのか、これを評価するには今しばらく制度の具体化、運用の状況をみていく必要があろう。ただ、現時点でもいえることは、スイスの経済界、政府関係者がビジネス環境として重視する政策の予見可能性、具体的には、「いろいろな議論、プロセスがあっても、仕上がりの姿がおおよそ予測できる」という観点からみると、スイスの特徴である魅力的な税制、優れた人材の確保、銀行の秘匿主義の今後は、予測の幅も広く予測の難しい時期がしばらく続くとみるべきだろう。

(注)スイス居住法人については、全世界所得が課税対象になるが、スイス国外の恒久的施設または不動産に帰属する所得は、除外されている。また、州ごとに異なる条件の下、「優遇税制」を導入し、持株会社がスイス国外で得た収入に対し低い税率を課している。

(中村幸一郎、マーク・ガンバラザ)

(スイス)

ビジネス短信 53df34d07fee0