統一地方選で与党大敗、極右勢力が躍進−パリに初の女性市長−
パリ事務所
2014年04月07日
統一地方選挙の第1次投票が3月23日に、決選投票が3月30日に行われ、オランド政権与党の社会党が大敗し、人口10万人以上の都市では軒並み右派が当選した。極右の国民戦線が14都市で勝利し第3党の座を固めた。なお、パリでは社会党が持ちこたえ、史上初の女性市長が誕生した。与党の大敗を受け、オランド大統領は3月31日に首相交代を発表、マニュエル・バルス内相が首相に指名された。
<36%台の記録的な棄権率>
今回の統一地方選挙は比例代表制で、全国の市町村議会議員(3万6,767人)と市町村長のほか、初めて人口1,000人以上の都市共同体の議会議員も選出された。また、男女同数の固定名簿式の投票が実施される対象都市の条件が、これまでの人口3,500人以上から1,000人以上に引き下げられた。
3月30日の決選投票では、与党社会党が人口1万人以上の151自治体で議会多数派の地位を失うという大敗を喫した。一方で、最大野党の国民運動連合(UMP)は142自治体で多数を占める結果となった。人口10万人以上の都市に限れば、選挙前には左派が29都市、右派が13都市で、左派が多数派だった構図が逆転、左派は19都市(全国で4番目に大きいトゥールーズはじめサンテチエンヌ、アンジェ、ランスなど10都市を失う)となり、右派は23都市で勝利を収めた。前回の2008年の統一地方選挙では左派509人、右派433人だった市町村長は、今回は左派349人、右派572人と逆転した。国政が右派だった1995〜2012年の17年間に、当時のオランド社会党党首が中心となって確立してきた「地方政治は左派」という構図を、国政が左派に移行して初の地方選挙で自らの不人気が原因で崩壊させる結果となった。
社会党大敗の直接の原因として、記録的な棄権率が挙げられている。第1次投票の棄権率は36.5%、決選投票でも36.3%と、1958年に始まった第5共和政史上最高の棄権率を記録した。特にオランド政権に強い不満を抱く、本来左派志向の有権者の棄権率が高かったことが社会党の敗北につながったと分析されている。
<2大政党への不信感が極右支持に>
極右の国民戦線は人口15万人のマルセイユ市第7区をはじめ、人口9,000人以上の14市町村で勝利した。マリーヌ・ルペン党首が党の若返りとイメージづくりに成功したことに加え、これまでは極右の当選が可能な選挙区で右派と左派が共同戦線を組んで極右の台頭を阻んできたが、今回はその作戦を右派が拒否し機能しなかった点も指摘されている。また、2大政党への不信感が極右支持に流れたともいわれる。国民戦線は全国で少なくとも1,200人の地方議員を当選させたことになる。
社会党の全国的大敗の一方で、首都パリの市長選では、2001年から現ドラノエ市長の助役を務めてきた社会党のアンヌ・イダルゴ氏と、前サルコジ政権時代に環境相を務めたナタリー・コシウスコ=モリゼ氏の一騎打ちとなったが、20区中11区を制したイダルゴ氏が53.33%の得票率で、パリ史上初の女性市長に選ばれた。
<大都市では社会党の健闘も>
また、これまで社会党の市長だったリヨン、ストラスブール、リール、ルーアン、ナントなどの大都市でも社会党が政権を維持した。しかし、今回の地方選挙から導入された都市共同体議会議員の直接選挙の結果をみると、リールでは市会議員選は左派が勝利を収めたが、周辺都市の多くで右派が勝利を収めたため、都市共同体議会議員は右派が過半数を占めることになる。
パリ周辺都市の多くでも右派が勝利を収めたため、2016年1月に誕生する予定のグラン・パリ・メトロポール(パリおよび周辺3県から成る大都市共同体)は右派が過半数を占めるとされ、今後の「グラン・パリ計画(パリ周辺地域大型開発計画)」の遂行に支障を来す可能性が指摘されている。
<内閣改造を余儀なくされた大統領>
統一地方選挙での与党の大敗を受け、オランド大統領は3月31日、テレビを通じて演説を行い、「国民の失望と不満が投票および棄権というかたちで表されたことを個人的に受け止める。今日新しい段階に入る時が来た」と述べ、エロー首相に代わってマニュエル・バルス内相を首相に任命し、「戦う内閣」を目指して改革のピッチを上げる意向を示した。社会党内で最も右寄りとされるバルス内相が首相に指名されたことで、党内分裂は必至という見方が出ている一方で、バルス氏が国民に人気があり、2012年の大統領選でオランド氏の広報担当を務めた経験が内閣を機能させるのではないか、とする向きもある。
(渡辺智子)
(フランス)
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