インラック首相が下院解散と総選挙実施を発表−反政府デモ隊は首相府に集結−

(タイ)

バンコク事務所

2013年12月10日

12月5日の国王誕生日を挟んでやや落ち着きをみせていた反政府デモだが、反政府派が「最後の闘い」としていた9日には全てのデモ隊がバンコクの首相府に集合、緊張が高まっている。インラック首相は同日、下院の解散を発表したが、デモの勢いは収まらず、市民らも合流して15万〜25万人の規模に達した。デモ隊を率いるステープ元副首相はインラック政権を糾弾する声明を読み上げた。

<新政権発足まで暫定首相にとどまる意向>
インラック首相は12月9日午前8時40分、緊急テレビ演説を行い、下院解散および総選挙の実施を発表した。また、同首相は選挙を通じた新政権が発足するまで引き続き暫定首相としてとどまる意向を明らかにし、「和解のために、各界の有識者を招いての会議や、反政府側が要求している人民評議会への権力移譲の是非を問う国民投票を呼び掛けたが、反政府側が応じていない」と主張。今後、騒乱が起きかねない状況であることに鑑み、「最良の方法として、決定を国民に委ねることを決断した」と説明した。選挙の実施時期については、「可能な限り早期に行う」との方針を示した。

<野党民主党は下院議員が総辞職しデモに参加>
一方、最大野党の民主党は12月8日、全会一致で下院議員の総辞職を決定。一般市民として12月9日のデモに参加すると表明していた。9日午前の時点で、アピシット元首相を含む民主党のメンバーとその支持者が首相府へ向かう反政府デモに加わった。

<下院解散発表後もデモの規模は拡大>
インラック首相による解散発表を受け、反政府デモ隊の指導者の1人であるサーティト・ワングノングトェイ前民主党議員は「暫定首相であるインラック首相とその閣僚は、人民評議会設立への道を開くために退陣しなければならない。反政府デモの目的は、下院解散によって現政権が暫定政権として残る状況では達成されない。われわれは人民評議会が暫定的に統治を行うことを要求している」と語った。その後、国王はインラック首相が求めた下院解散を承認。2014年2月2日に総選挙を実施することを決定した。

インラック首相による国会解散の発表後も、デモ隊の規模はますます拡大し、当初の予告どおり、12月9日午前9時39分から市内各所の集会ポイントから首相府を目指したデモを開始。デモ隊が主導するかたちでの人民評議会の設立を訴えた。

タイ警察や複数メディアによると、デモ参加者は全体で15万〜25万人に達したと推計されている。市内全39ヵ所の主要集会ポイントおよびポイントごとの時刻表は、前日のうちにソーシャルメディアを通じて広く周知されていたことから、一般市民やオフィスワーカーなどが続々と参加するかたちで規模が膨れ上がった。デモは平和的に行われ、大きな衝突などは起こらず、デモ隊は午後、計画どおり首相府前に集結した。

<人民評議会設立には有識者に異議も>
他方、デモ隊の主張する(国民投票や選挙を伴わないかたちでの)人民評議会設立については、学術界や法律専門家の間で異議も出ている。国家法治委員会のウクリット委員長は地元紙「ネーション」のインタビューで、「民主主義では、国民の声が最も尊重される。事態の真の解決のためには、憲法第165条に従い人民評議会設立の是非を問う国民投票が行われるべきだ。(デモに参加する)20万人の声ではなく、タイ国民6,000万人の声を、国の方向性に係る意思決定に反映させなければならない」と述べている。

<ステープ元副首相はインラック政権の排除を主張>
反政府デモ隊のリーダーであるステープ元副首相は9日午後6時に声明を発表。首相の兄のタクシン元首相により実効支配されているインラック政権を排除し、改革を行う必要があると主張した。声明の要旨は以下のとおり。

(1)インラック政権による国会運営は、多数派による独裁により公平性を欠いており、恩赦法案の可決や憲法裁判所の判決の否定など違法行為を犯している。
(2)ラムカムヘン大学の衝突により死者が出た責任もインラック政権にある。
(3)政府の不正・汚職により経済情勢は悪化し、国際競争力の低下を招いた。
(4)われわれの人民評議会は、憲法第3条に基づき、主権を国民の手に取り戻し、汚職を排除し、公平な国をつくり上げるための政治改革を行う必要がある。

また地元紙「バンコク・ポスト」電子版によると、ステープ元副首相は声明を読み上げた後の演説で、「人民の下に力が戻った。インラック首相はもはや国政を担っていない。憲法は、タイの主権はタイの人民に属するとしている。この瞬間から、人民の手に主権が戻った」と語った。

(伊藤博敏、若松寛)

(タイ)

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