ムセ国境ゲートに圧倒的に大きな存在感−ミャンマー・中国国境貿易の現状(3)−

(ミャンマー)

海外投資課・ヤンゴン事務所

2013年12月05日

シリーズの最終回は、ムセ市内中心部から車で数時間でアクセスできるナムカン(南坎)とチューコック(九谷)の町に置かれた中国との国境ゲートの現況を報告する。また、そこからみえる今後も「一人勝ち」が続くであろうムセ国境ゲートの優位性について考察する。

<ナムカンとチューコックの国境ゲートを視察>
1948年のミャンマー独立以来、中国との国境付近の人口の大部分を占める少数民族グループ(カチン、ワ、コーカン族など)は、時にビルマ共産党と共闘を続けながら自治権拡大などを求めてきた。1997年にミャンマー国軍と17の少数民族が停戦に合意したことにより、これら少数民族が実効支配する「特区」が認められた。各少数民族は独自の国境ゲートを設置し、独自の関税、通行料を定めて中国と自由に国境貿易を行うようになった(注1)。

このように大部分の国境地域は少数民族が支配する中、ミャンマー政府は1989年に開始した対外経済開放政策により、当時からミャンマー政府直轄地だったムセ、ナムカン、チューコック(1987年にビルマ共産党支配からミャンマー政府統治下になる)、ラーショの4ヵ所に「国境貿易管理事務所」を設置した(注2)。ラーショは国境から200キロほど離れたシャン州北部の経済的な中心地だ。ムセ国境ゲートとの比較のため、実際に国境ゲートが設置されたナムカンとチューコックの視察結果を報告する。

<ナムカン:中国は国家2級以下と認定>
ナムカン・弄島(Nong Dao)国境ゲートは、ムセから西へ車で1時間ほどのところにある。同アクセス道路は現在、マンダレー〜ムセ間の道路整備を手掛けたアジア・ワールドが拡幅舗装・料金徴収を行っている。道は起伏が少なく、道路状況も通常のミャンマーの国道と同等レベルだ。

ナムカンの町はムセよりはるかに小さく、にぎわいも少ない。町の外れの瑞麗江からは100メートルほど先に中国側の様子が見える。鉄条網や国境警備員などの姿も特に見当たらず、川以外の境界線はないといえるほどだ。1988年にミャンマーが中国との国境を正式に開いた際には、ムセとナムカンの2ヵ所に税関が設置されたことからも、当時はナムカンもある程度の重要性を持つ国境だったと思われる。しかし現在、中国(雲南省)は弄島・ナムカン国境ゲートの位を国家2級以下の「国境通路」として認定しており(瑞麗・ムセは国家1級)、両国間のヒトの移動は認めているが、モノや第三国人の通過は原則として認められていない。実際にトラックの往来はほとんど見られなかったことからも、現在ではナムカンを介した国境貿易が盛んでないことは確かだ。対岸の中国側の町・弄島の規模も非常に小さく、現在ではナムカンからムセへのアクセスも容易なので、通関などの設備・機能が整ったムセに貿易活動が集約されていったものと思われる。

ナムカンからさらに西のカチン州バーモ(Bhamo)方面に向かうと、ムセに次いで国境貿易が盛んに行われているルウェジェ(Lweje)国境ゲートがある。2006年の雲南省側の統計では、ムセ・瑞麗国境ゲートに次いで国境貿易全体の14%程度を占めている。しかし、ナムカンから先はほぼ未舗装の山道が続き、ルウェジェまで13時間前後要するようだ。雨期にはさらに悪路となり、地元のドライバーも危険と認識しているほどで、活発に貨物トラックが行き来しているような状況にはみえなかった。

ムセ〜ナムカン間の料金所、ナムカンの中心部

<チューコック:国家1級だが、貨物車は見掛けず>
チューコックは、ムセから西側に位置するナムカン方面とは反対に、ムセ中心部から東側に車で40分程度の場所にある。ムセからナムカンに向かう平たんな道とは対照的に、起伏の多い山間地を通る。チューコックの国境ゲートから川を隔てた対岸は●(田へんに宛)町(ワンディエン)。中国はチューコック・ワンディエン国境ゲートを、ムセ・瑞麗と同じく国家1級のチェックポイントに認定している。

かつてチューコック周辺はビルマ共産党が実質支配していたこともあり、後背地がアヘンの大生産地帯だったころは、中国との密貿易で隆盛を極めたとされる。1987年にミャンマー軍がこの地を実質統治下に収めて以降も、1992年に瑞麗と同時にワンディエンが国境経済交流区と指定されたことにより、国境貿易はさらに拡大した。しかしその後、国境施設の再編成などが行われ、また中国側もワンディエンよりはるかに都市としての規模が大きく物流面からも恵まれた位置にある瑞麗の姐告(ジェーガウン)地区の開発を推進。ミャンマー政府も国境機能のムセへの集約化を進めたことから、同ゲートを介する国境貿易は急速に衰退したと考えられる。

現在のチューコックは人影もまばらな寂れた町という印象で、かつての面影をたどることも困難なほど静かだった。ムセと同じく中国は国家1級のゲートとして認定しているため、ムセと同じ条件・手続きで出入国ビザを取得できる。ムセのパレスゲート(旅行客用)はビザ取得のために長蛇の列ができ、取得に数時間を要することもあるが、チューコックのゲートでは申請するミャンマー人の姿はなかった。また、貨物トラックも1台も見掛けなかった。中国側のワンディエンは30〜40メートルほどの橋を渡るだけという近さで、ミャンマー側の国境に背を向けて記念撮影をする中国人観光客の姿があった。しかし、ヒト、物流双方の観点から、今後この国境ゲートが急速に発展していくとは考えにくい状況だ。

ムセからチューコックに向かう道、チューコック・ワンディエン国境ゲート

<優位性を示す両国の「国境貿易展」開催>
これまでミャンマー全体の国境貿易の状況、そしてムセ、ナムカン、チューコックの国境ゲートの状況について紹介してきた。その中で、ムセ・瑞麗国境ゲートの存在感が圧倒的に大きかった。ミャンマーと中国との国境貿易額を示す公式データは非常に限られているが、ミャンマー商業省発表のミャンマー・トレード・ネットによる両国主要国境での貿易額は図のとおり。入手できなかったデータがあり、また依然として密貿易なども行われているため、実態を完全に反映しているものではないが、やはり特筆すべきはムセ・瑞麗国境の輸出・輸入額が他の主要な国境ゲートを圧倒していることだ。

主要なミャンマー・中国国境ゲートでの貿易額の変化

また、他の国境ゲートの貿易額が伸び悩んでいる中、ムセ国境ではその伸びが最も大きいことも目立った特徴の1つだ。少数民族支配地域の国境ゲートの衰退の理由に、少数民族グループの影響力自体の低下のほか、独自の多重課税やミャンマー市場へのアクセス道路の未整備といった物流コストなどの問題が考えられる。代わりに、道路・制度・施設の三拍子がそろったムセ・瑞麗(姐告)国境ゲートが国境貿易の主役として不動の地位を築いたものと考えられる。

ムセの優位性を象徴するものとして、「ミャンマー・中国国境貿易展」が挙げられる。同展示会は「国境経済と管理に関する2国間の協定」に基づき、2001年から毎年ムセと瑞麗で交互に実施されている。2012年12月には12回目となる国境展示会が3日間の日程でムセで開催された。ミャンマー商業省国境貿易局の発表によると、同展示会参加企業は中国側140社、ミャンマー90社の計230社。参加人数は3日間で延べ15万人に上った。2008年当時はミャンマー63社、中国73社、4万〜6万人の参加だった(2009年3月11日記事参照)ことからも、本展示会の規模は拡大基調にあるといえる。ミャンマー商業省によると、第13回は2013年12月6〜8日に瑞麗側で開催される。ミャンマー・中国国境貿易におけるムセ・瑞麗国境ゲートの「一人勝ち」の状況は、今後も続くと思われる。

ミャンマー・中国国境展示会開会直後の様子、ミャンマーの果物・野菜生産輸出協会によるミャンマー産スイカなどの展示

(注1)工藤年博「中国の対ミャンマー政策:課題と展望」(2012年「中国・インドの台頭と東アジアの変容」第5回研究会)
(注2)畢世鴻「中国とミャンマーの国境貿易に関する研究」(V.R.F.Series No.457)」アジア経済研究所、2010年)

(高橋史、水谷俊博)

(ミャンマー)

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