早期の制定が期待される事業担保法−現地の債権回収事情(2)−

(タイ)

バンコク事務所

2013年03月29日

タイの債権回収事情について具体的に、債権譲渡制度、譲渡担保、集合債権譲渡担保、留置権に関して詳しく問題点をみる。タイ政府は担保物権制度自体の欠陥を認識しており、現在、新たな法律の制定を検討している。タイにおける債権回収関連法制度の知識を蓄積すれば、今後メコン各国へのビジネスニーズの紹介および法制度調和の推進など横展開が可能になる。これらは、在外日系企業を支えるソフト面のインフラだ。連載の後編。

<法令と慣習上の問題点>
これまで取り上げた企業の声をより詳細にみると、次のような問題がある。

(1)債権譲渡制度
ある日系企業A(債権者)が、現地企業B(債務者)に部品を供給しており、現地企業Bはその部品を加工して企業C(第三債務者)に納品しているケースを想定する。現地企業Bの経営状況が悪化している場合、AはBとの取引を停止する選択肢もあるが、部品供給の停止はBの経営状況の急激な悪化を招き、回収はさらに困難になることから、「最終的な選択肢」となる。そのため、Aは第三債務者Cから債権の回収を求める。日本では、BのCに対する債権をAに譲渡させる方法があり、Cに譲渡通知を行えば対抗要件を具備できる(民法466条1項、467条1項)。

しかし、タイでは第三債務者Cの合意取得が慣例的に行われている。タイの民商法第303条によると、タイでは第三債務者の合意がなくとも債権は譲渡でき、306条により対抗要件の具備は通知で足りる。日本法とタイ法の構造は全く同じだが、実際の運用では第三債務者Cの合意を取ることが慣例となっている。日系企業が現地の弁護士に相談しても、第三債務者の合意は取るべきという見解を提示されることが多い。

これらを運用すると、債権譲渡実施の意向はAとBの両当事者以外のCにも情報が流れることにより、Bの経営状況に関する風聞が流布する可能性が高まり、Bにとって厳しい経営状況に陥る可能性が高くなる懸念がある。これら情報の流布により「債権回収の競合」が予想されるため、Aにとっては「サイレント型」の債権譲渡ができることが望ましいが、現在のタイでの実施は難しい。

(2)譲渡担保
企業が機械などを担保に資金調達する場合、非占有担保物権として日本では譲渡担保を設定できるが、タイでは難しい。タイ民商法第747条では、質権設定には「占有の移転」が必要とされているが(「delivery」の解釈問題)、占有の解釈が極めて厳格であり、実際の占有移転が必要とされている。現地金融機関などでは、例えば倉庫や金庫内の機械については「鍵の移転が必要」などの議論がなされている。実際の占有を伴わない質権設定は、民商法の潜脱行為として違法と解されている。資金調達手法の制約は、資金調達コストを高めることにつながっている。もっとも、一部工場用資産などについては商業省の事前検査を受けることで譲渡担保を行うことができる特例法も制定されているが、一般的な商取引には適用されない。

(3)集合債権譲渡担保
譲渡担保は前述のとおりであるため、集合債権譲渡担保などについてタイ政府は全くといっていいほど問題意識はない。日本では最高裁判所は、特定性が満たされている限り将来の長期間にわたる債権の包括的譲渡の有効性を承認(1999年1月29日)しており、2004年には「動産および債権の譲渡の対抗要件に関する民法の特例等に関する法律」において、債権譲渡の対抗要件を登記ファイルへの登記で実施するに際し、必ずしも債務者の特定が必要ではなくなった(必要的登記記載事項ではなくなった)。こうした日本法の動向は、タイ政府にとっても強い関心の的だ。

(4)留置権
建設業者は完成物である建物の引き渡しと引き換えに代金支払いを請求するが、代金支払いが行われない場合には、「債務者の所有する物」(商法521条)である建物とその敷地を留置すること、を考えるだろう。もっとも日本でも、商事留置権の成立については争いがあるところだ。ただ、判例では土地の商事留置権の成立を認めるものがあり、「物」に土地が含まれるとの解釈も文言的には無理がない〔参考:道垣内弘人教授「担保物権法(第3版)」〕。

タイでは留置権の行使が一般に行われていない。タイ人弁護士に聞くと、多くの専門家が「留置権は存在しない」または「留置することはできない」と回答するだろう。しかし、確かにタイでも民商法で留置権の規定は存在しており、民商法241条から250条で規定されている。問題は242条で、「債務者側の指示により留置権を排除することができる」と規定されている。日本でも両当事者の合意によって留置権の排除は可能だが(商法521条ただし書き、商事留置権でない留置権についても同様の解釈が通説)、タイでは一方当事者の一方的意思表示で排除できる。このため、留置権が実質的に機能していない。これが、留置権は存在しないとの運用がタイで定着している理由と推測される。留置権は両当事者の公平を図るために設けられた制度だが、一方当事者によって排除できるというのは問題だと考えられる。

<政府内で事業担保法の調整協議>
タイ政府は担保物権制度自体の欠陥を認識しており、これを補完するため、事業担保法の制定を検討中だ。司法省のウィシット局長によると、同法は国会に提出されていたものの、現政権下での優先順位は決して高くはないことから、「長らく放置されていた」という。しかし2012年末以降、同局長は本法の重要性をインラック首相に直接説明を行っており、早期の成立が期待される。現在は政府機関内での調整協議を再度実施しているようだ。

「取れる担保が少ない」という問題の一部は解消する見込みだが、依然として問題は山積している。例えば、「担保引き受け者」は、金融機関または省令で規定する者とされており、引き続き事業会社は担保を取ることができない見込みだ。日ASEAN経済産業協力委員会(AMEICC)は、タイでの債権回収法制研究会を開催しており、同研究会で検討を深めつつ、今後、タイ政府へ要望する予定。特に、欧米法との決定的な違いは、法律文献へのアクセスの難しさにある。判例も最高裁のものは公表されているが、ケースブックとして整備されている英語文献は見当たらない。これらの整備が最優先事項と考えられる。また、タイにおける債権回収法制度の蓄積が進めば、メコン各国へのビジネスニーズの紹介および法制度調和の推進など横展開が可能になる。これらメコン圏のビジネスに関する法制度整備は、在外日系企業を支えるソフト面のインフラだ。

(吉岡正嗣)

(タイ)

債権回収の難しさに直面する進出日系企業−現地の債権回収事情(1)−

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