複数国間交渉を評価−「貿易投資のグローバル・ガバナンス」シンポジウム(3)−

(世界)

海外調査部

2012年07月03日

シンポジウムの第3セッションでは、情報技術協定(ITA)の拡大交渉開始で期待の高まる複数国間(プルリ)の貿易交渉の意義や課題について議論が行われた。シリーズの最終回。

<ITA参加74ヵ国に増え対象品目も拡大>
先の第1セッションではWTOの多国間(マルチ)交渉が具体的な成果を挙げていくことの重要性が確認された。第3セッションのテーマである「プルリ」(注)の枠組みは、その現実的な手段になり得ると期待されるアプローチだ。WTOの枠組みの中で成功したと評価されているプルリ合意にITAがある。ITAは任意参加の協定で、参加国が約束した関税撤廃・引き下げは、WTOの最恵国待遇原則に基づき全WTO加盟国に適用される。しかも、参加国は1997年当初29ヵ国にすぎなかったが、現在では74ヵ国に達し、対象品目の世界貿易額の約97%をカバーする。2012年5月の日本などの提案に基づき、協定がカバーする対象品目は拡大しつつある。

他方、プルリアプローチは必ずしもその成果が最恵国待遇ベースで適用されることを意味しない。実際、12年に入り、高度なサービス自由化を目指す19ヵ国・地域が「国際サービス協定」(ISA)に向けた議論を開始している。そこでは、「ただ乗り(フリーライダー)」を認めない、つまり成果を参加国間のみに適用する案の採用が有力視されている。第3セッションではプルリをどのように活用していくべきかについて、内外の専門家が議論した。

<通商ルール作りの重要なツール>
第3セッション前半では3人のスピーカーが基調報告した。まず、経済産業研究所(RIETI)の中富道隆上席研究員が「プルリ合意とグローバル・ガバナンス」と題し、WTOでのプルリ合意の位置付けや今後の可能性について以下のように話した。

ラウンド交渉のスピードの遅さと対象の狭さという問題を解決するためには、いろいろな方法を考えていかなければならない。プルリ合意は、貿易自由化および国際通商ルール作りの重要なツールとなり得る。自由貿易協定(FTA)が増加する現在、貿易ルールが乱立するという意味で「ルールのスパゲティボウル」とも呼び得る現象が懸念されている。そのような状況下で、プルリ合意は過度のFTA競争と貿易システムの分極化を防ぎ、WTOを支える役割を果たし得る。

ラウンド交渉が多様な分野の包括合意なのに対し、プルリは分野別の課題ごとの対応が可能となる点に特長がある。プルリ合意の可能性のある分野としては、既に議論が本格化しているITAの品目拡大やサービス自由化のほか、ドーハ・ラウンドでの交渉化に失敗した投資ルールと競争政策ルール、電子商取引、さらにもともと同ラウンドの対象となっていないが非関税貿易制限措置の増加で重要性の高まる基準認証ルールなどがある。

プルリ合意には課題もある。WTOの枠内でプルリ交渉を行う場合は、その正当性を担保するという意味で、参加国全体の貿易規模が一定規模に達していることが合意成立の条件となる場合が多い。例えばITAでは、参加国全体が対象品目の貿易金額の約90%をカバーすることを合意成立の基準とした。明確な基準はないが、このような参加国の規模要件を「クリティカルマス」という。プルリ交渉では、自由化水準の高い合意を目指すことと、クリティカルマスの形成つまり参加国を増やすことの間で対立が生じ得るという問題があり、「目標とする合意水準」「参加国」「合意成立の期限」という3つの軸を常に考える必要がある。

<ITAは途上国貿易にも貢献>
次に、欧州国際政治経済研究所ディレクターのホースク・リー・マキヤマ氏が、現在機能しているプルリ合意を検証する目的で、ITA拡大の意義と課題について以下のように紹介した。

ITAはWTO発足以降に達成された貿易自由化の中で最も意義が大きい。ITAは対象品目の貿易額の約97%を占め、かつその50%は途上国からの輸出であるなど、途上国貿易への貢献も大きい。WTOが「デジタルデバイド」を埋めたと評価しても過言ではない。

他方、成立から15年が経過し、ITAは、インターネットの発達やモバイル端末など、現在の技術革新やプロダクトサイクルに対応できていないという面は否めない。ITAの対象に入っていない品目には、例えばスマートフォンの場合、全地球測位システム(GPS)などの探知機器、リチウムイオン電池、インターネットインフラとして不可欠な互換機器、基本ソフト(OS)をはじめアプリケーションなど数多い。実質的には、現行のITAは世界のデジタル物品貿易の65%程度しかカバーできていない。また、非関税障壁やサービス分野を対象としないという点でも限界がある。

現在、さまざまな分野でプルリ合意が注目されているが、プルリ合意は最終的にはマルチ化されて、より多くの国がメリットを享受できることが望ましい。

<途上国の利益に合致する合意が重要>
続いて、WTO参事官の押川舞香氏がプルリ合意と途上国をテーマに以下のように報告した。

WTOには現在155の加盟国があり、その大半は開発途上国だ。途上国といっても、中国やインド、ブラジルといった大きな力を持つ国から、後発開発途上国・アフリカ・カリブ途上国などG90と呼ばれる途上国グループまで幅広い。G90は貿易量でみると世界の商品貿易の4%程度と小さいが、国の数の多さから無視できない存在だ。

途上国はASEANなど一部を除いて、プルリ合意には総じて消極的だ。一部の国のみで合意を進めることはWTO体制の価値を損なう上、G90など多くの途上国からは「特に貿易ルールに関するプルリの交渉内容には、得られるメリットが実感できない」との声が上がっている。プルリ合意に正当性を持たせるには途上国の参加が不可欠で、途上国自らの利益に合致するようにプルリ合意を作り上げること、透明性や能力向上・強化(キャパシティービルディング)を確保すること、そしてプルリ合意が将来の多国間ルールの基礎をつくるものだという方向性が重要だ。

後半のパネルディスカッションでは、まずモデレーターのRIETIファカルティフェローで東京大学教授の小寺彰氏が、WTOだけでなく、国連や気候変動枠組み条約など150を超えるような多国間での意思決定はいずれも行き詰まっている、との認識を報告。またサプライチェーンのグローバル化に対応するにはグローバルな貿易ルールが必要だが、FTAでは作れないと指摘した上で、ではプルリ合意が解になり得るのか、と問題提起した。

ピーターソン国際経済研究所シニアフェローのジェフリー・ショット氏は、プルリ合意への参加は途上国にとって一時的にはコストとなるが、ITAなどこれまでのプルリ合意は、途上国にとって投資の誘致要因となるため受け入れられてきたと分析。その上で、現在構想の進むISAに言及し、サービス分野は多くの国で最大の産業セグメントで、ISAに参加すると投資における魅力を引き上げることになる、と途上国にとっての同分野のプルリ合意への参加意義を訴えた。

経済産業省参事官の黒田淳一郎氏もプルリ合意と途上国の関係について、途上国の賛同を得るには、各国・地域の経済への影響を正しく分析し、伝えていき、それぞれの利益になることをいかに認識してもらうかが重要だと指摘した。そしてISAについて、日本としては高いレベルのサービス自由化を目指して取り組んでいく、との姿勢を示した。

中富上席研究員は、これまでの議論を受けて、プルリ合意はWTOの中で行った方がいいが、テーマによってはWTOの外で進めることが現実的な場合もあるとして、WTO外のプルリの例として模倣品・海賊版拡散防止条約(ACTA)を挙げた。ACTAは途上国の賛同が得にくく日米欧など先進国中心に合意したプルリ条約だが、WTOの知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定)に整合的な、マルチを意識した協定だと指摘し、プルリ合意はこのように将来的な多国間ルールを視野に入れたものであるべきだと強調した。

マキヤマディレクターも、最終的にマルチに向かっていくことが重要だ、と同意した。ISAについても、もし包括的なサービス協定を目指すのであれば、途上国を含めずにITAのような「クリティカルマス」を得ることはできないと指摘し、ISAが特定のサービス分野に限定した合意となる可能性に言及した。その場合でも、サービス分野ごとにクリティカルマスを達成することが望ましいとの見解を示した。

押川参事官は、WTOで途上国問題を扱ってきた印象として、途上国には貿易交渉で、「何も約束しないことが勝利」、つまり自国にとってコストとなるような合意はできるだけしないという消極的な交渉姿勢が現在も根強いと、途上国側の課題にも触れた。一方で、「変わる国が出てくれば、ほかの国にも影響を与える」と、途上国の変化に期待感を示した。

<ISA構想を歓迎するも今後に注目>
会場からは、WTO事務次長アレハンドロ・ハラ氏が、プルリ方式が差別的になることがあってはならないと発言した。その上で、現在議論されているISA構想については、サービス交渉の実質的な再開という意味で歓迎するが、今後の行方を見守りたいと述べた。

質疑応答では、「プルリの議論がWTO(マルチ)に向かうのではなく、FTAに向かっているように感じる」との意見が出た。これに対し中富上席研究員は、産業界にとってはWTOのラウンド交渉が停滞する中でどう成果を出していくかが問題で、プルリもFTAもどちらも重要なので並行して考えるべきだ、との見方を示した。押川参事官は、発言力の小さい途上国にとっては、FTAでもプルリでもその成果がやがてマルチ化されることが望ましいと述べた。

(注)プルリ(複数国間):通商関係において、WTO全加盟国の体制がマルチラテラル(マルチまたは多国間)、2者間の合意関係がバイラテラル(バイまたは2国間)と表現されるのに対し、任意で参加する複数国・地域間での合意の枠組み(プルリラテラル)を指す。広義では、広域FTAもプルリ合意に含まれるが、本シンポジウムでは、情報技術、サービスなど個別の通商分野ごとの複数国・地域間での枠組み作りをプルリ合意と呼んでいる。

(安田啓)

(世界)

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