多国間での貿易ルール形成をいかに回復するか−「貿易投資のグローバル・ガバナンス」シンポジウム(1)−

(世界)

海外調査部

2012年06月29日

ジェトロと経済産業研究所(RIETI)は6月7日、東京で「貿易投資のグローバル・ガバナンス−自由貿易を守るために−」と題するシンポジウムを開催した。世界の貿易自由化および貿易ルールの形成におけるWTO、地域貿易協定/自由貿易協定(RTA/FTA)、そして最近注目される情報技術協定(ITA)などの複数国間枠組みといった多様なプラットフォームの意義と課題について、内外の専門家が議論を展開した。内容を3回に分けて報告する。

<企業のサプライチェーンに影響する国際ルールに高い関心>
WTOでの多国間(マルチ)の貿易交渉が停滞する中、貿易自由化や国際貿易ルール形成の手段として2国間(バイ)や広域のRTA/FTAが急速に拡大している。さらに最近では、マルチの行き詰まりを打開する手段として、情報技術、サービス自由化といった個別分野ごとに任意の複数国間(プルリ)合意を進める動きが注目されている。シンポジウムでは(1)WTOドーハ・ラウンドとWTO改革、(2)RTA/FTAの展望、(3)プルリ合意とグローバル・ガバナンス、の3つのセッションが設けられ、マルチ・バイ・プルリそれぞれの役割や課題が議論された。

冒頭のあいさつで、来賓の中根康浩経済産業大臣政務官は、グローバル化が進む企業のサプライチェーンの実態に即した貿易環境を実現すべきであり、保護主義に対抗するルールに基づく貿易体制を構築する上でWTOの重要性は変わらないことから、ビジネスのニーズにシンクタンクの中長期的な視点を結合させ、今後の自由貿易の展望を見いだしていきたいと語った。さらに、貿易自由化と不断の国内改革を一体的に取り組む必要性について述べた。

またRIETIの藤田昌久所長は、WTOと自由貿易の前途は憂慮すべき状態にあるとしながら、貿易システムの現状や今後の展望についての理解が促進されることで、自由貿易の推進に寄与したいとシンポジウムの意義を述べた。

企業をはじめ参加者は約160人に上り、こうした国際ルールの重要性に対する関心の高さがうかがえた。

<WTOは変化への対応が必要>
多国間交渉をテーマにした第1セッションでは、まずアレハンドロ・ハラWTO事務次長が「WTOとラウンドの現状と見通し」について基調報告を行った。要点は以下のとおり。

2008年7月に枠組み合意に失敗して以降、ドーハ・ラウンドは停滞している。今必要なのは政治的な意思と推進力である。11年にはG20などから多くの支持を得たにもかかわらず、同年12月の第8回WTO閣僚会議でのラウンド合意は達成できなかった。しかしラウンドは「死んだ」のではなく、その目的は今も有効だ。必要なことは、この10年の国際貿易環境の変化を認識し、その変化に対応していくことだ。

では、何が変わったのか。まずラウンド開始とほぼ同時にWTOに加盟した中国や新興諸国の台頭が著しいこと。これにより国際貿易体制は目指す方向性を定めかねている。また金融危機以降、保護主義的な貿易措置が増加している。このような措置が国際貿易に及ぼす影響は、かつては世界の物品貿易の1%程度だったが、金融危機以降に導入された措置で現在は3%に及ぶ。その他、WTOは主に輸入措置を規律してきたが、食糧輸出を制限する措置など、輸出の問題に対応できていない。

このような新しい課題に対応できる国際ルールを構築しなければならない。RTAなど特恵制度の促進は、それが将来の多国間貿易自由化に貢献する限りにおいては正しい方向性といえる。WTOも個別課題ごとに、段階的に取り組むことが求められている。

<WTO交渉の成果をどのように上げていくか議論>
続くパネルディスカッションでは、まずモデレーターの石毛博行ジェトロ理事長が、国際貿易の実態の変化に貿易交渉が対応できておらず、「従来のやり方ではラウンド終結は望めない」と問題提起した。変化の具体例としてジェトロ・アジア経済研究所とWTOの共同研究で発表した「付加価値貿易」の概念を紹介した。付加価値貿易とは、商品の製造工程上の原産地国ではなく、その付加価値の源泉国に着目した概念である。石毛理事長は、現代の貿易構造はこうした観点を考慮する必要があるにもかかわらず、貿易交渉は今でも原産地主義のみに依拠しているというズレを通商交渉の問題点の1つとして挙げた。その上で具体的な論点として、特にa.WTOの従来の方式に代わるアプローチの可能性、b.保護主義の動きをどうみるか、c.産業界のWTOへの支持をどう確保するか、d.RTA/FTAとWTOとの関係をどうみるかという4点を挙げて議論を促した。

日本経団連国際本部長の金原主幸氏は、経団連は一貫してドーハ・ラウンドを推進する立場をとってきたが、交渉に進展がない中、企業のWTOに対する関心が薄れているとの危機感を表明した。FTAは相手国が明らかであるため企業側も問題点を明確にしやすいことを挙げ、多国間交渉もその成果はビジネスに直結する、という理解を広めることが重要だと提言した。

欧州委員会貿易総局次長のジョアン・アギアル・マチャード氏は、WTO体制には大きく分けて、各国の貿易制度の監視機能、紛争解決機能、立法機能の3つの機能があり、ドーハ・ラウンドの停滞はそのうちの1つである立法機能の問題ではあるが、それだけでWTO全体が危機にあると考えるのは誤りだとコメントした。ドーハ・ラウンドについては、多様な交渉分野の一括合意を目指すという前提を見直していく必要性を強調した。ラウンド開始当初は農業が問題の中心だったが、サービスや非農産品の市場アクセスの重要性が増し、ラウンドは当初の前提では解決できなくなっているとした。

RIETI上席研究員の中富道隆氏は、ドーハ・ラウンドの問題点はスピードの遅さと交渉範囲の狭さにあると指摘した。「遅さ」については、ラウンドが開始されて10年といわれるが、実際は前ウルグアイ・ラウンドが終結した1993年から本格的な自由化がストップしているとの見方を示した。「狭さ」については、ドーハ・ラウンドが投資ルールや競争ルールといった重要な国際課題の取り込みに失敗したことを問題に挙げた。そして、今必要なのは、早急な成果の実現によって、産業界からの信頼を回復することにあると訴えた。

中国社会科学院(CASS)国際問題研究学部主任の張蘊嶺氏も、WTOのハラ事務次長同様、国際貿易環境の変化にWTOがどう対応していくかが論点だと述べた。変化の例として、ラウンド開始時点では開発途上国の関心の中心は先進国の農業補助金の削減にあったが、現在では中国など有力な途上国にとっては工業製品の重要度が増していることに言及した。またRTA/FTAは多国間体制に代替するものではないと指摘し、マルチでのルール形成を推進する意義を強調した。

最後にコメントした経済産業省通商政策局通商機構部総括参事官の黒田淳一郎氏は、ほかのパネリストの見解に同意しつつ、WTOに求められる点として、保護主義への対応と、成果を積み上げていくことの重要性を特に指摘した。保護主義的措置については、過去数年導入された措置が継続されていくことで、確実に措置の総数が増えていること、さらに新規に発動される措置の数も減っていないという問題認識を示した。交渉の成果が見込める課題としては、貿易円滑化ルールの形成と、WTOの枠内でのプルリ合意である情報技術協定(ITA)による自由化対象品目拡大交渉を挙げた。特にITAについては各国の関心が急速に高まっており、短期間で成果を挙げることも可能であるとの見方を示した。

基調報告を行ったハラ事務次長は、WTOが単にこれまでのやり方を続けたのでは現状を打開できないという点では、パネリストのコメントと認識を共有するとしたが、その方法は、これまでの交渉の成果をリセットするのではなく、できるところから見直していくことが現実的だと述べた。政治的なモメンタムを回復するには、WTO交渉の推進が、グローバルサプライチェーンの構築や雇用の拡大といった国際的な課題に貢献するということの理解を深めていくことが必要だと呼び掛けた。

<WTOは保護主義に対する歯止めとして機能>
質疑応答では、フロアから「産業界の関心を損ねないために、どうしたら交渉のスピードを速くできるのか」との問いがあった。これに対し中富上席研究員は、産業界と政府の連携だけでなく、国を超えた産業間の連携も重要だと述べ、1997年にITAの合意に至った背景には当時の日、米、欧、カナダのIT産業界の協調があったと紹介した。他方、マチャード次長は、ビジネス界にとってスピードが重要であることに同意しつつ、FTAでも交渉に2、3年、発効に至るまではさらに数年かかると指摘、通商交渉には時間がかかるという実態に理解を求めた。

セッションの最後に、モデレーターの石毛理事長は、2008年の金融危機後、保護主義的な動きがあるとはいえ1930年代のような混乱に陥らなかったのはWTOが歯止めの機能を果たしたからだとWTOの意義を強調した。その上で、多国間体制がうまくいかないことのダメージを認識し、マルチの立法機能を回復させなければならない、と締めくくった。

(安田啓)

(世界)

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