社会党のオランド氏51.63%の得票で当選−大統領選決選投票−
パリ発
2012年05月08日
5月6日に行われた大統領選決選投票の結果は当初の予想どおり、51.63%を獲得した社会党フランソワ・オランド氏の勝利に終わった。国内はミッテラン大統領以来の左派の勝利に沸いているが、内政外交とも課題は山積みだ。オランド氏の勝利宣言にもその重みがうかがえた。
<初めての閣僚未経験の大統領>
正式な選挙結果は5月8日の憲法評議会の発表を待つことになるが、5月7日正午(現地時間)時点の内務・海外県・海外領土・地方自治体・移民省の発表によると、社会党候補のフランソワ・オランド氏が51.63%の得票率で、現職のニコラ・サルコジ氏(48.37%)に約114万票の差をつけて第5共和制7代目大統領に当選した(表参照)。
投票率は、4月22日の第1回投票(2012年4月24日記事参照)を多少上回る80.35%と、有権者の関心の高さを示した。一方で、白紙投票がこれまでに比べ非常に高く、票数にして約215万票が両候補への不支持を表したことで、両者の得票率の差は当初予想されていたほど大きくはなかった。
就任式は5月15日までに行われ、続いて大統領による首相任命と組閣が予定されている。オランド氏は、1981年に左派として初当選したフランソワ・ミッテラン大統領に続き2人目の社会党出身の大統領となる。閣僚経験のない初めての大統領でもあり、中央政権でのミッテラン大統領補佐官(81〜82年)と社会党書記長としての11年間のほかは、中部のコレーズ県で県議会会長、市長、同県選出の国会議員として地味な政治活動を行ってきた(注)。その点は10年間主要閣僚、大統領を歴任したサルコジ氏とは対照的な政治家といえる。
2001〜08年までの7年間、市長を務めたチュール市で開票結果を待ったオランド氏は勝利宣言をまず同地で行い、「地元に根差した堅実さ」を強調した。07年の当選時にパリのコンコルド広場で勝利宣言を行い、その後シャンゼリゼ通りの高級レストランで業界人を集めて祝杯を上げたサルコジ現大統領の派手さとは対照的な演出だった。政治基盤、政治コンセプトの違いに加え、金融危機後の経済不況という時代背景も、この演出の要因といえよう。
その後、オランド氏はパリに飛び、31年前のミッテラン大統領誕生時と同様に、フランス革命の象徴的場所バスチーユ広場に設けられた舞台を囲み、17年ぶりの社会党大統領の誕生に歓声を上げる大群衆に向かって夜中の0時過ぎに演説を行った。チュール市とバスチーユ広場での両演説では、当選の喜びを前面に出すというよりは、むしろ今後の多くの課題の前に謙虚な態度で当選の重みをかみしめていた。
バスチーユ広場に集まった十数万人ともいわれる支持者には、特に若者の存在が目立った。また、バスチーユの塔の周りには、フランス国旗以外の国旗を振りかざす若者たちもみられた。選挙公約で「若者対策」を柱にし、市町村選挙の外国人の選挙権を認める立場を取ったオランド氏の当選を祝う集まりを象徴した光景だった。
<サルコジ氏に対する国民審判>
オランド氏の勝利は社会党の勝利ではなく、反サルコジ派の勝利として捉えられている。投票日当日のアンケート調査(世論調査会社イプソスとロジカ・ビジネスコンサルティングが3,100人を対象に実施)では、55%がサルコジ氏続投を阻む動機でオランド氏に投票したと答えている。サルコジ政権の進めた政策とその結果への審判という側面と同時に、サルコジ大統領の政治スタイルそのものが批判対象とされ、サルコジ氏本人に対する国民審判的色合いが濃い選挙となった。
第1回選挙で17.9%を獲得した極右・国民戦線支持派の動向がサルコジ氏当選のカギといわれていたが、サルコジ候補の極右寄りの最終選挙戦の戦術にもかかわらず、極右支持者の51%を獲得するにとどまり、白紙投票と棄権が35%を占めた。第1回選挙で11.1%を獲得した左派戦線の票は81%がオランド候補に流れた。中道の民主運動(MoDem)の第1回選挙の9.13%の票は41%がサルコジ候補、オランド候補には29%、棄権と白紙投票が30%と分裂し、決定要因にはならなかった。
年齢別の得票率では、60歳以上の高齢者層を除き、おしなべてオランド候補が過半数を得た。職業別では、農業従事者・小売業者・自営業者および年金生活者がサルコジ氏を大きく支持したほかは、すべてオランド氏が過半数を獲得している。注目されるのは、07年にサルコジ氏に投票した産業界の管理者層と自由業従事者の過半数(52%)がオランド氏に投票したことだ。
<サルコジ大統領は政界引退>
以前から明言していたように、サルコジ大統領は敗北宣言の中で、「フランス国民の1人になる」という表現で、政界から引退する意思を支持者に伝えた。強いリーダーシップでまとめ役を果たしていたサルコジ氏の引退で現与党・国民運動連合(UMP)の分裂が懸念されているが、同氏は6月10日(第1回投票)と17日(第2回投票)に予定される国民議会選挙に向けて、「団結」を呼び掛けた。UMPの主要党員は各テレビ局のインタビューで、「国民議会選挙で左派が勝つことは、地方圏・県・主要都市および上院で過半数を握る左派の政治独占を意味する」として、何としても右派が結束して国民議会選挙の勝利を獲得することを訴えた。
<株式市場はギリシャ選挙に反応>
オランド氏の当選から一夜明けた5月7日のパリ株式市場のCAC 40種指数は1.2%安で始まったが、最終的には1.06%高で終結した。各経済紙は大統領選の影響より、むしろギリシャの国会議員選挙結果(極左と極右の台頭)によるマイナス影響を論じている。
<外交日程が目白押し>
内政面では、オランド次期大統領は夏までに、議会を通さない法令(デクレ)のかたちで、選挙公約にある社会党にとって象徴的な以下のいくつかの具体策を実行する予定だ。
(1)大統領と閣僚の給与30%カット。
(2)購買力向上のための4つの政策決定:a.学年度初めの低所得者層への援助金25%アップ(12年9月の新年度から実施)、b.石油価格の3ヵ月凍結、c.若者の住宅賃貸を容易にするための連帯保証制度の立ち上げ、d.非課税預金(リブレA)の預金限度の倍増。
(3)若年時から労働を始め、年金満額拠出期間に達した場合の年金支給年齢60歳への回帰。
(4)国有企業(国が最大の出資者となっている企業)の給与幅を1〜20倍に定め、管理職の給与制限を行う。
欧州債務危機への対応として、オランド氏は財政緊縮だけが解決策ではないとして、景気刺激策・雇用増大による成長を促進すべきだと主張してきた。就任後最初の訪問国としてドイツのメルケル首相との会談を予定している。サルコジ候補支持を明言していたメルケル首相だが、オランド氏の当選確実となった6日夜には祝福とベルリンへの招待を電話で伝えた。オランド氏が求める新財政協定の見直しには同意しないとしながらも、実践型のオランド氏との協力体制を強調している。
外交面では、就任直後の5月18日から米国キャンプデービッドで開催予定のG8首脳会議に続き、5月20〜21日のシカゴでのNATO首脳会議が外交舞台となる。12年末にアフガニスタンからのフランス軍撤退を公約したオランド氏の出方が注目される。オバマ米大統領は両会議の前に個別会談を提案している。
(注)フランソワ・オランド氏の略歴:1954年8月12日北西部ルーアン市生まれ。父が医師、母はソーシャルワーカー。高等商業学院(HEC)、パリ政治学院、国立行政学院(ENA)を卒業。会計検査院高官。07年大統領選挙社会党候補だったセゴレーヌ・ロワイヤルとの間に4人の子どもがいる。ミッテラン大統領の補佐官(81〜82年)、97年から08年まで11年間社会党書記長を務める。中部コレーズ県選出国民議会議員(88〜93年、97年〜)、チュール市市長(01〜08年)、コレーズ県県議会会長(08年〜)などを歴任。
(渡辺智子)
(フランス)
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