現行特許法で初の強制実施権発動−日本企業の製薬ビジネスにも危機感−

(インド)

ニューデリー発

2012年03月19日

インド特許局は3月12日、現行法で初めての強制実施権を発動した。がん治療薬の特許を持つドイツ企業に対して、インド企業が強制実施権の発動を申請したことによるものだ。強制実施権が発動されると、当該特許権者の事前承諾を得ることなく、その技術を使うことができる。インドでビジネス拡大を狙う日本の製薬企業にも危機感が広がっている。

<地場ナトコがドイツのバイエルに発動を申請>
現行の特許法〔日本の特許庁による和訳(PDF)〕で初めての強制実施権の発動は、インド特許局ウェブサイトの決定文書(PDF)を通じて発表された。

通常、第三者が持つ特許技術を利用して製品を製造する際には、特許権者の許諾が必要だ。しかし、一定の要件(特許法第84条第1項)を満たしていることを前提に、当局に申請し、それが認められれば特許権者の事前の承諾を得ることなく、当該特許技術を使うことができる。これを「強制実施権(の発動)」という。強制実施権は、WTOの知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定)で認められたもので、実施要件は各国で異なるものの、日本や米国をはじめほとんどの国で特許法上認められている。

今回、インド特許局が発表した文書によると、11年7月、インドのジェネリック医薬品製造企業ナトコは、ドイツの製薬大手バイエルが持つがん治療薬の特許についての強制実施権の発動を申請した。この申請に対し、インド特許局は「バイエルが適切な薬価設定を行わず、インド国内で適正な価格で十分な量の薬を供給しなかった」と認定し、強制実施権の発動条件の1つ、「特許発明が適正に手ごろな価格で公衆に利用可能でないこと」〔特許法第84条第1項(b)〕に基づき、以下の条件(一部抜粋)の下で当該特許の利用を許可した。文書中の発動決定の日付は3月9日になっている。

○販売上限額の指定
○販売状況の特許局および特許権者への報告
○適切な量の自社工場での生産(外部委託の禁止)
○非独占性(「通常実施権」)
○委託の禁止
○特許権使用料の支払い(売上高の6%)
○貧困層の患者600人への無料配付および特許局への報告
○輸入の禁止
○特許権の存続期間のみ有効
○特許権者製品との混同防止
○被許諾者のみによる製造者責任
○特許権者による自己実施や第三者への実施許諾の自由

同決定に対して、バイエルは法的な対抗手段を検討しているとの報道されているが、現時点ではその詳細は不明。

<日本の製薬業界、インドでのビジネス自体見直しの可能性も>
インドでは、05年までは製法特許(有効成分の合成方法に関する特許)が採用され、物質特許(有効成分を保護する特許)が認められなかった。このため、医薬品の特許技術の使用については歴史が新しく、欧米を中心とした外国の製薬企業と地場製薬企業との間で特許をめぐる争いが後を絶たない。

特に、インドの強制実施権は、その発動要件の1つに、「特許発明が適正に手ごろな価格で公衆に利用可能でないこと」〔特許法84条1条(b)〕とあるのが特徴で、医薬品の販売価格とインドの物価水準の差を理由に、地場製薬企業が権利を乱用するのではないか、と外国の製薬企業の間で懸念されてきた。こうした状況の下、10年には強制実施権の運用に関する意見(パブリックコメント)が募集され、日本知的財産協会は「運用対象領域を限定すること(拡大しないこと)、運用基準を明確にすること」などの意見(PDF)を提出していた。

今回の強制実施権の発動を受け、日本製薬工業協会で知的財産委員会専門委員を務める藤井光夫氏(アステラス製薬の知的財産部次長)は、ジェトロの取材に対し、「日本の製薬業界は現在がん領域に力を入れている。今回の決定により、インドでがん領域の医薬品の開発、販売することが難しくなるのではないか。さらに、インドでのビジネス自体を見直していくことを考えざるを得なくなるかもしれない。また、そのほかの疾患、例えば慢性疾患の分野にまで対象領域が広がることを懸念している」とコメントし、業界としての危機感を表明した。

(西澤知史)

(インド)

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