過去最大の市民の「怒り」は政府に届くのか−経済改革の次に必要なもの−

(中東、エジプト)

中東アフリカ課

2011年01月31日

国内各地で発生した大規模デモは多数の死傷者を出し、1月28日時点で収束の兆しをみせていない。携帯電話、インターネットがつながらず、政府による情報統制と報じるメディアもあり、依然として予断を許さない状況だ。ジェトロ・アジア経済研究所中東研究グループの土屋一樹研究員に、デモの背景と政府の対応、今後注目すべき点などについて聞いた。

<政治的抑圧や所得格差が背景に>
問:チュニジアの政権崩壊がエジプトにも飛び火し、今回の大規模デモにつながったとの報道があるが、その背景は。

答:エジプトとチュニジアに共通するのは、政治面では長期独裁政権、経済面では慢性的な高失業率と高インフレ率だ。他方で、チュニジアで悪名の高かった大統領一族による広範な経済支配やメディアへの厳しい規制などは、エジプトではあまり大きな問題になっていない。今回のエジプトでの大規模デモは、チュニジアの政権崩壊に触発されたものだが、その背景はチュニジアと同じ要因だけではなく、最近のエジプトの政治・経済状況に対する不満を反映したものだ。

最近のエジプトの政治・経済状況への不満とは、2010年11月に実施された人民議会選挙での政府の抑圧的な行動や近年一層顕著となった所得格差の拡大だ。エジプトでの政治的抑圧や所得格差はいずれも新しい問題ではないが、過去数年でさらに深刻になっており、国民の不満が高まっていたといえるだろう。

問:抗議デモの主体と主張は。

答:今回のエジプトの大規模デモは、前回(05年)の大統領選挙時以降に活発化した若年中間層を中心とするいくつかの政治運動グループの呼び掛けで発生したもので、既存の野党やイスラム勢力が主導したものではない。その意味では、組織的な抗議デモというよりも、複数のグループが集結したものといえるだろう。さらにデモに賛同した市民が加わり、現政権下で最大規模となった。

デモ参加者の要求は、「変化」を求め、政権に異議を唱えるという点では共通しているが、具体的な主張はその参加者の多様性を反映してさまざまだ。目立った主張としては、政治的にはムバラク大統領の退陣と非常事態令の解除、経済的には賃上げと雇用だ。なお、今回のデモにはイスラム勢力も参加しているようだが、主導的立場にはない。実際、デモ参加者の主張に宗教的なスローガンはほとんど聞かれない。

1月25日のデモは、事前に呼び掛けられていたこともあり、全国各地で発生した。その規模は少なくともカイロで1万5,000人、全国で5万人以上と報道されている。これほどの規模の抗議デモは現ムバラク政権では初めてで、過去50年でも軍隊が出動した1977年の「パン暴動」以来の規模となった。今回のデモは事前の予想では多くても参加者1,000人程度とみられていたこともあり、その規模の大きさは衝撃を与えた。

問:デモはエジプト人の広い層に支持されているのか。一部の不満を持った市民だけに支持されているのか。

答:デモ参加者の規模と市民層という点では、これまでのデモと比較しても広範な支持を得ているといえるだろう。その一方で、デモによる不安定化や治安の悪化を懸念する市民も少なくない。国民の多くが現在の政治経済状況に閉塞(へいそく)感を持っており、「変化」を求める行動に対しては肯定的にとらえていると考えられる。しかし、個々の思い描く「変化」は多様で、統一的な支持ではない。

<実質的な政治改革に踏み込むかが解決の糸口に>
問:デモに対する政府の姿勢は。

答:現時点(1月28日)では、政府は平和的なデモの尊重と暴力的な行為への厳しい対応を表明している。また、これまでと同様、多くの治安警察を配置してデモをコントロールしようとしている。デモに対する政策という点では、経済政策に関しては、過去数年の重点施策は中低所得者向けの再分配制度の改善で、既に今回のデモの主張にも沿うものになっている。

しかし、中低所得者層はこれまで必ずしも政策の恩恵を実感していないため、今後矢継ぎ早に再分配政策を打ち出すことで、政府の政策実行能力を示そうとするだろう。従って、経済政策については、政府はデモ参加者の要求に応えるような政策を提示することが期待できる。

一方、政治改革については、従来から国民の政治参加拡大を推進するとしながらも、政府が積極的に政治改革に取り組んでいるとはいい難い。むしろ10年11月の人民議会選挙でみられたように、権威主義的な政治運営が非難の的となっている。従って、政府が実質的な政治改革に踏み込むかどうかが、今回のデモの平和的な解決の糸口になるのではないかと考える。

<外国企業を敵対視する動きはなし>
問:デモ参加者の抗議の矛先が、今後、外国企業などに向かう可能性はあるか。

答:外国企業がデモのターゲットになる可能性は小さい。現在のエジプトでは外国企業を敵対視する動きはみられない。もし抗議の矛先が企業に向かうとするならば、まずは政府に近いとされている一部現地大企業が糾弾されるだろう。しかし、エジプト国民の多くは、90年代の経験から、治安悪化と政治の不安定化が外国投資や外国人観光客の減少を招き、自らの経済状況悪化に結び付くことを実感として理解していると思われる。従って、デモの暴徒化など治安悪化につながる行動は、国民から支持を得ないだろう。

<野党やイスラム勢力などが結集するかがポイント>
問:ムバラク政権への影響や11年に実施予定の大統領選挙への影響は。ムバラク大統領の再出馬や後継者問題などにはどう影響するか。

答:現時点で政権崩壊のシナリオは考えにくい。しかし、現政権の正当性は、その選挙過程や抑圧的な統治体制から、必ずしも盤石とはいえない。そのため、今後、ムバラク政権は国民の期待に応えるものであることを示す必要があるだろう。

また、11年秋の大統領選挙は、誰が出馬するにせよ、まずは大統領選挙が公正であることが求められるだろう。今回のデモでは政治改革要求の1つとして大統領選挙制度の変更も掲げられており、その成否がムバラク大統領の再出馬あるいは後継者問題に影響するだろう。

問:今後のデモの行方、注目すべき点は。

答:現時点で今後の展開について現地識者の一致した見解は、先行きが見通せないということだけだ。今回のデモは現政権下で最大のもので、その意味では既に未曾有の段階にある。さらに、今回のデモの呼び掛けや情報交換が、過去数年で急激に契約者数を拡大した携帯電話を利用したもので、従来以上にデモへの動員が容易になっている。新しい「武器」を持った若年中間層を中心とする国民が、今後どのように政治運動に反応するかを、過去の事例で判断することは困難だ。

今後の注目点の1つとしては、既存野党、イスラム勢力(ムスリム同胞団)、エルバラダイ氏を支持するグループなど、組織的な基盤を持つ政治集団の動向が挙げられる。現地報道によると、その中には今後行われるデモへの合流を表明した集団もある。さまざまな政治運動グループが、今後1つの勢力に集結していくのかが注目される。

(若林利昭)

(エジプト・中東)

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