デモ隊強制排除で多数の死傷者発生−11日以降は小康状態に−

(タイ)

バンコク発

2010年04月12日

4月10日、反政府デモ団体(通称、赤シャツ)と治安当局(軍、警察)との衝突が現実のものとなった。これまで衝突の懸念はあったものの、赤シャツは平和的にデモを行い、治安当局も強制力の使用を控えてきただけに、突然の感もある。多くの死傷者を出した衝突前後の状況と今後の見通しについて、12日朝時点での状況を報告する。

<衝突激化で政府は軍を撤収>
報道などによると、10日午後、赤シャツは陸軍第1司令本部前で軍の撤収を要求し、建物内に物を投げ入れるなど、激しい抗議活動を行った。これを受け、軍は放水や催涙ガスなどで赤シャツを排除した。夕方には、赤シャツの集会拠点となっているパンファー橋周辺でも軍と警察は放水や催涙ガスなどで、赤シャツの排除を実行、小競り合いとなった。陸軍第1司令本部やパンファー橋は、市内中心部からやや外れた首相府や民主記念塔周辺にあり、3日から赤シャツが座り込み、道路占拠を行っている市内中心部商業地域(セントラルワールドや伊勢丹のあるラチャプラソン交差点付近)や日本人が多数居住する地区からは離れている。

同じく10日夕方、筆者は市内中心部の高架鉄道(BTS)プルンチット駅下の道路上で、赤シャツに囲まれた警察隊が座り込んでいる場面に遭遇した。赤シャツは気勢を上げた後、ラチャプラソン交差点方面へ戻って行ったが、「バンコク・ポスト」紙(4月11日)によると、警察隊はラチャプラソン交差点の赤シャツを排除するために待機していたようだ。

photo

こうした事態やBTSへの攻撃を懸念し、14時30分にBTSは全線で運行を休止した。

19時20分ごろ、民主記念塔付近で、5万人以上(「バンコク・ポスト」紙4月11日)の軍と赤シャツとの間で衝突が発生、多数の死傷者が出た。21時すぎ、政府は衝突が激化したため軍を撤収すると緊急テレビ放送で明らかにし、事態は収束し始めた。犠牲者は時間とともに増加しているが、11日18時時点では死者21人、負傷者858人(「バンコク・ポスト」紙速報)。このうち赤シャツなど民間人の犠牲者は死者17人、負傷者は3分の2に上る。衝突のあった場所は邦人が居住する地域ではないものの、取材していた邦人カメラマン1人が亡くなった。

<大使館などからは緊急の注意喚起>
邦人に犠牲者が出るなど緊迫した事態を受け、タイ国日本人会事務局は10日22時すぎ「デモ騒動で死傷者が出たもよう。ニュースなどを確認し注意してください」という携帯電話のショート・メッセージ・サービス(SMS)を送信。在タイ日本国大使館は10日夜から11日未明にかけて、2度にわたり緊急一斉メールを発信した。11日2時30分現在のメールでは「抗議活動が広範囲に及ぶような場合には、不要不急の外出を控えられることをお勧めします」と注意喚起した。ただし、今回衝突のあった地域以外での外出まで自粛を求めるような勧告内容とはなっていない。12日朝の時点で、政府は外出禁止令や戒厳令を発令していない。

<ひとまず小康状態に>
11日は、衝突のあった民主記念塔付近をはじめバンコク市内は朝から小康状態を保った。昼間の地元テレビニュースでは、10日夜の衝突の模様と、軍と赤シャツ両方のけが人が病院に搬送される映像が断続的に流された。ラチャプラソン交差点での座り込みも、平和的に続けられたもよう。交差点に設けられたステージでは、赤シャツリーダーたちが死亡者を悼んでいた。

運行が中止されていたBTSは11日、ラチャプラソン交差点周辺を除いた部分運行となった(モーチット〜ラーチャテウィー、オンヌット〜アソーク)。12日朝の時点では、ラチャプラソン交差点周辺でも運行が再開された。

3日以降休業となっているセントラルワールドや伊勢丹は休業が続いている。9日に一時営業を再開したサイアムパラゴン、セントラルチットロムは11日午後、再び臨時休業とした。ショッピングセンターの休業により、日常の買い物などにも影響が出ている。

観光業への影響も大きく、バンコク市内の王宮など寺院を巡るバスツアーを主催するA社は「ツアーを中止しているわけではないが、申し込みが少ない。加えてキャンセルが相次ぎ、この数日間運行の予定はない。申し込みがあってもお勧めはしない」と話している。

タイでは13日から3日間、タイ正月(ソンクラン)の祝日となっている。実質的に10日から9日間のソンクラン休暇に入る企業もある。日系製造業でも当初からソンクラン期間中は休業予定のところもあり、市内にオフィスを構える企業でも休暇の前後ということで出張者など来客も少なく、普段と比べると企業活動への影響は限定的な面がある。

<政府は下院解散時期を早めるとの報道も>
死傷者が出た衝突を受け、赤シャツはアピシット政権に対する「15日以内の下院解散」というこれまでの要望を「下院の即時解散とアピシット首相の国外退去」に変更、対決姿勢を強めている。

連立を組む与党実力者は11日会合を持ったが、首相の辞任を求めることなく、下院解散の予定表を明らかにすることで一致した。アピシット首相はもともと赤シャツとの話し合いの中で「9ヵ月(年末まで)」以内の下院解散の考えを示していたが、ここではそれより早い「6ヵ月」以内の下院解散が示されたもよう(「バンコク・ポスト」紙4月12日)。

アピシット首相自身は10日深夜(23時30分ごろ)の緊急テレビ放送で、治安当局と赤シャツの衝突は、3月末に行われた首相と赤シャツリーダーの話し合いが物別れに終わったことで、赤シャツがデモを先鋭化させ、法による統治に対する信頼を壊していることに起因するとして、原因は赤シャツ側にあると説明。さらに赤シャツは武装しており、M79グレネードランチャーにより攻撃してきたため、多数の死傷者が出たと語った。また「政府と私は問題を解決し、平和を再構築し国の正義を守る義務がある」と、辞任するつもりはないとの姿勢を示した(「バンコク・ポスト」紙4月11日)。

<解決の道筋はなお不明>
北部や東北部といった地方から上京しているデモ参加者は、ソンクラン休暇前には帰省するという見方が根強くあった。しかし、衝突前には市内中心部での集会参加者はむしろ増加する勢いをみせていた。このため長期化する市内中心部の占拠という異常事態をできるだけ早期に正常化したいアピシット政権が、強制排除という手法を選んだとみられる。

「バンコク・ポスト」紙は11日、衝突の写真を多数掲載した特別紙面で論評を掲載、「反赤シャツ派の中には軍の一時退去を快く思わない者もいるだろうが、われわれは一時撤退を支持する」と、とりあえず政府の対応を評価した。「強制排除を続けても事態が収拾するとは思われず、赤シャツは地下に潜り、反政府の戦いを続け内戦となるかもしれない」と強制排除を否定する立場。

「06年クーデター後、選挙でタクシン元首相系の政党が政権を担ったが、反タクシン派の黄シャツがこれに反発、首相府や空港を占拠し、司法によるタクシン派政党の解党処分で占拠は終わった。その後、アピシット連立政権が誕生したが、今度は赤シャツがこれを拒否している。このことは、黄シャツ(反タクシン派)も赤シャツ(反アピシット政権派)も、ともに民主主義を否定していることを意味する」とも指摘し、法に基づく統治を国民が受け入れることが必要だと主張している。

解決に向けた具体策として、1つは下院解散への道筋を示すことが挙げられる。その上でなお赤シャツが商業地占拠を続けるならば、道路の明け渡しを求める世論の圧力が高まっていくとの見方だ。もう1つは話し合いを行うこと。「バンコク・ポスト」紙は12日の社説で、下院での討論と信任投票を提案している。303人からなる大学教授などの市民団体は、平和的な話し合いを求めている。

(鶴岡将司)

(タイ)

ビジネス短信 4bc297a12b368