タクシン元首相の資産、一部没収の判決−タクシン支持派は反政府運動継続−
バンコク発
2010年03月04日
最高裁判所は2月26日、国により凍結されていたタクシン・チナワット元首相とその親族の資産約766億バーツ(1バーツ=約2.7円)のうち、約464億バーツを没収する判決を出した。判決後、事前に警戒された暴動などは起きず、バンコクの街中は基本的に平常通りの生活が続いている。今回の判決を機に、今後どのような動きが想定されるか、地元英字紙の報道などを基に整理する。
<没収額は凍結資産の6割>
「シン・コーポレーション(SHIN)」。携帯電話最大手アドバンスト・インフォ・サービス(AIS)、衛星通信シン・サテライト(現タイコム)などを傘下に抱える、タクシン元首相が創設した会社だ。SHINといえば、タクシン氏が首相だった2006年当時、法改正により一族が保有する同社株をシンガポールのテマセクホールディングに売却できるようにし、それにより同氏一族が多額の利益を得たとして、国民の間で不満が噴出して首相辞任を求める集会が開かれ、今日まで続くタイ政情不安の端緒となったことが思い出される(2006年2月8日記事参照)。
最高裁は今回の判決で、SHINのビジネスに関連して6つの争点について、以下のような判断を下した(「バンコク・ポスト」紙2月27日)。
(1)タクシン元首相とポジャマン元夫人は、SHINの14億株を子どもと親族の名義として隠匿したか→認定。事実上すべての株は同元首相と同元夫人が保有していた。
(2)携帯電話事業権料に対する物品税の変更がSHINに有利な扱いになったか→認定。国に約600億バーツの損害を与えた。
(3)AISとTOT(旧タイ電話公社)間で行われたAISのプリペイド電話サービス通信事業権料の変更が、TOTの収益を減少させた問題→認定。当該変更がAISに利益をもたらした。
(4)ネットワークを使用する際のローミングサービス料金を課す通信事業権契約の変更により、TOTとCAT(旧タイ通信公社)にとって180億バーツのコストとなった問題→認定。AISとテマセクへの優遇になった。
(5)通信衛星産業を活性化させる諸政策を決定した問題→認定。シン・サテライトに利益をもたらした。
(6)タイ輸出入銀行がミャンマーに対して行った通信衛星製品・サービス購入のためのソフトローン40億バーツを認可した問題→認定。シン・サテライトの利益のために権力を乱用した。
判決は、(1)を除く5点について首相在任時の利益誘導を認め、それにより得た財産として認定した同氏とその親族の資産464億バーツを没収し、首相在任以前から保有する財産302億バーツは権力乱用とは関係ないとした。判断は9人の判事により行われ、タクシン元首相がSHINに利益をもたらしたかについて8人がこれを認定し、資産没収については7人が一部没収、2人が全額没収という判断となったもようだ(「バンコク・ポスト」紙3月1日)。
今回の資産没収は利益誘導による不正蓄財という面から出た判決だが、3月3日の英字紙ではさらに訴追の可能性があることが報じられた。「バンコク・ポスト」紙によると、国家汚職追放委員会など政府機関は、タクシン元首相に対する刑事・民事両面からの提訴の準備に入るという。また、「ネーション」紙は1面記事で、没収された464億バーツと非没収の302億バーツが今後どういう取り扱いとなるかを図で解説。非没収の302億バーツもすぐに銀行口座から引き出せるわけではないとしている。
<ビジネス界は政情安定を望む>
判決を受けて、私立アサンプション大学は翌2月27日、17県1,308世帯を対象に世論調査を行った。それによると、「タクシン元首相は異議申し立てを行うべきか」との問いに56.7%が「NO」と回答、同元首相は資産の一部没収判決を受け入れるべきだとする意見が多数を占めた。ただし、32.6%が「YES」と回答しており、タクシン元首相を支持する人も少なからず存在することがうかがえる(「バンコク・ポスト」紙3月1日)。
ビジネス界からは政情の好転を期待する空気が伝わってくる。「この3年ほど、タイは暗闇の中にいたが、その峠は越えた」〔タイ工業連盟(FTI)のパイブーン・ポンスワナ副会長〕というコメントに代表されるように、今回の判決を機に、タイの政局や社会対立が収束に向かうことへの期待感は強い。同氏は「日本企業はタイへ投資する機会を待っている。日本企業はタイが彼らの事業を牽引するだろうという希望をもっているからだ」ともコメントしており、今回の判決を機にタイの政情が安定へ向かい、それが日本からの投資決定を後押しするとみている(「バンコク・ポスト」紙2月27日、3月1日)。
<判決後も不安定な情勢が続く懸念も>
タクシン元首相自身は、今回の判決は公正を欠いているとして、承服していないようだ。今回の裁判は最高裁政治職者刑事訴訟部での判決だが、現憲法第278条には、同部の判決を受けた者(今回はタクシン元首相)は、重要な事実関係の変更をもたらす新たな証拠がある場合、判決日から30日以内に最高裁大法廷に上訴できる、と規定されている。今後、タクシン氏側がどのような対応をとるか注目される。
タクシン氏を支持するUDD(赤シャツ団)の動向について、在タイ日本大使館が2月26日に周知した緊急一斉メールは、「UDDはアピシット政権の退陣・国会解散などを求め3月12日から地方各地で集会を行い、14日からバンコク都内の王宮前広場と首相府付近で大規模集会を行うと発表。集会の規模は10万人を超え、デモの開催期間は長期間にわたるとの見方もあり、十分な注意を払う必要がある」などとし、念のため引き続き治安情勢に注意を払うよう求めている。
「市民は今回の判決の余波を懸念」と題する「ネーション」紙(2月28日)は、国立ラチャパット大学スワンドゥシット校がバンコクとその周辺県に住む1,016人を対象に行った世論調査を紹介、「今回の判決が一層の政治的な問題をもたらすか」との問いに53.8%が「YES」と回答、「現状のまま」とする25.2%の回答と合わせ、政情不安は払拭されていないと報じている。
タイの産業界には今後の情勢変化に備える動きがあるようだ。陸運、海運などロジスティクス関連では、原材料や消費財、石油燃料などの運搬に支障がないよう、車両手配に万全を期すなどの対策を整えているという(「バンコク・ポスト」紙3月1日)。
地場ホテル関係者はジェトロに対し、「日本からの旅行客については、在タイ日本大使館から注意喚起が行われていることもあり、若干のキャンセルが出ている。空港閉鎖ほどの影響はまだないが、先行きの不透明感がある」と述べるなど、このところ回復の動きが出てきた観光に水を差しかねないとしている。
<投資や渡航を見合わせるほどの深刻さは感じられず>
ただ、治安面からみて、タイでのビジネスや観光について今はまだ緊迫感はない。当地日系金融機関関係者は「赤シャツの集会は、これまでも延期を何度も繰り返している。タクシン氏サイドの資金力低下という側面もあるかもしれないが、むしろ(これまでの集会では手当てを支給して動員しているのが実態なので)景気がよくなり失業率も下がって、大人数を集めるのが難しくなっているのではないかという見方がある」と語っている。
ジェトロに対する日系企業からの投資相談も、景気回復を背景にこのところ増加している。街中を歩いても、ショッピングやイベントなどで活気にあふれている。もちろん、最新の情報を収集する必要はあるが、渡航を見合わせなければならないほどの深刻さは感じられない。
(鶴岡将司)
(タイ)
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