研究は活発だが恩恵享受には時間が必要−新型インフルエンザ治療薬など−

(米国)

ニューヨーク発

2009年05月26日

新型インフルエンザに対して、欧米の製薬企業やバイオ企業は、抗インフルエンザ薬の増産を急ピッチで進めるとともに、新たな治療薬や、ワクチンの有効性を高めるアジュバント(免疫増強薬)の開発などを進めている。また、ワクチンを短期間で大量に製造する新たな製造法の開発も行われている。しかし、新たな治療薬や製造法の多くは、安全性や有効性などを確立するのに相当な時間を要する可能性が高い。

<報道は落ち着きつつあるが、油断は禁物>
新型インフルエンザについては、国内での報道は徐々に落ち着きつつある。しかし、1918年に発生した、いわゆるスペイン風邪も、流行が始まった春には軽症だったが、その年の秋から急激に致死的となり、1919年初旬までに2,500万人以上の死者を出した。

1918年当時は、ワクチンはおろか、抗インフルエンザ薬などもなく、医療処置や衛生状態も現在に比べればはるかに劣っていたため、当時の状況と現在とを単純に比較できないが、一方で、現在は交通手段の発達によって大量のヒトやモノの移動が短期間で容易になるなど、パンデミック(感染症の世界的流行)に対して当時にはなかった新たなリスク要因もある。世界銀行は、1918年同様のパンデミック・インフルエンザが世界で発生した場合、7,100万人が死亡し、3兆ドルの経済的損害がもたらされると試算(PDF)している。

<新たな治療薬の開発が進む>
新型インフルエンザを含むA型インフルエンザに対しては、欧米では、商品名「タミフル」(一般名オセルタミビル)、「リレンザ」(同ザナミビル)、「シンメトレル」(同アマンタジン)、「フルマジン」(同リマンタジン)などが承認されている。しかし、米国疾病対策センター(CDC)によると、新型インフルエンザに対して、タミフルとリレンザは有効性を示したが、シンメトレルとフルマジンは効果がなかった。

欧米では、タミフルはロシュが、リレンザはグラクソ・スミスクライン(GSK)が独占的に販売している。途上国では、タミフルやリレンザの普及率が非常に低い。新型インフルエンザの影響を最も受けているメキシコでは、人口の1.3%分の抗インフルエンザ薬しかなく、かつて鳥インフルエンザの影響を最も受けたインドネシアでは、人口の0.2%分の抗インフルエンザ薬しかない。これに対して、日本、英国、米国では、人口の約4分1をカバーする抗インフルエンザ薬があるといわれている。

ロシュとGSKは、それぞれタミフル、リレンザの増産を発表しており、GSKは月々400万人分の生産が12〜14週間後から可能になり、ロシュは年間4億人分の生産が可能だと発表している。しかし、パンデミック・インフルエンザが発生した場合、世界人口の30〜40%が感染すると予測されているため、こうした増産でも不十分になる。

また、最近ではタミフルに耐性を持つインフルエンザ・ウイルスが発見されており、新たな抗インフルエンザ薬の開発が必要とされている。市販に最も近い治療薬としては、ペラミビルとCS-8958があり、ともに臨床試験フェーズ3の段階にある。

ペラミビルは、アラバマ州バーミングハムにあるバイオクリストが開発しており、日本では塩野義製薬が開発を進めている。CS-8958は、徐放性(薬が体内で徐々に放出され作用が持続する)のリレンザ(注1)で、リレンザを発明したオーストラリアのバイオタと日本の第一三共製薬が開発を進めている。ペラミビルとCS-8958は、タミフル同様、ノイラミニダーゼ阻害剤(注2)ではあるが、タミフル耐性インフルエンザに対して有効だと報告されている。

次に開発が進んでいるのが、日本の富山化学工業のT-705で、インフルエンザ・ウイルスのRNAポリメラーゼ(注3)を阻害する経口剤で、臨床試験フェーズ2段階にある。これらの抗インフルエンザ薬は、低分子製剤だが、カリフォルニア州サンディエゴにあるネクスバイオの抗インフルエンザ薬は、融合タンパク質の生物製剤で、現在、臨床試験フェーズ1段階にある。

また、前臨床段階であるクルーセル(オランダ)とMDRNA(ワシントン州ボセル)の抗インフルエンザ薬も生物製剤で、クルーセルは抗体治療薬(注4)、MDRNAはRNA干渉治療薬(注5)を開発している。抗体治療薬は、自己免疫反応による抗体ではないため、インフルエンザ・ウイルス感染に対する応急処置であり、RNA干渉治療薬は、インフルエンザ・ウイルスの遺伝子を抑制すると見込まれている(表1参照)。

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<高効率の新たなワクチン製造法の開発に注力>
食品医薬品局(FDA)は2008〜09年のインフルエンザ・シーズンに、5社のインフルエンザ・ワクチン(6製品、注6)を新たに承認したが、それらのワクチンは新型インフルエンザに対して有効ではない、とWHOは報告している。現在流行している新型インフルエンザは、北米・欧州・アジアの豚インフルエンザ・ウイルス、北米の鳥インフルエンザ・ウイルス、ヒト・インフルエンザ・ウイルスの遺伝子をすべて含んでおり、ウイルス表面タンパク質の赤血球凝集素(注7)には90もの変異があると報告されている。赤血球凝集素はワクチンの標的部位であるため、変異によりワクチンが効かなくなることが懸念されている。

また、ワクチン生産には、通常、4〜6ヵ月かかる。このため、オバマ政権が新型インフルエンザ・ワクチンの生産を決定しても、本格的に普及し始めるのは、早くても11月ごろになる。また、インフルエンザ・ウイルスは、体内でほかのインフルエンザ・ウイルスと遺伝物質を交換することが可能で、09年秋冬には、別のタイプの新型インフルエンザ・ウイルスが流行する恐れもある。このため、ワクチンをより早く生産する製造法や限られたワクチンをより効果的に使う技術が注目され始めている。

現在、FDAが承認しているワクチン製造法は、ニワトリの卵を使うもので、製造には、4〜6ヵ月かかり、短期間での増産はできないため、パンデミック・インフルエンザへの対処には適していない。このため、生産期間が短く、大量生産が可能な、各種細胞を使ったインフルエンザ・ワクチンの製造法が注目されている。

保健社会福祉省(HHS)は06年に、動植物の細胞などを使ったインフルエンザ・ワクチンの製造法を開発するため、ソルベイ、GSK、ノバルティス、バクスター・ダインポート(連合体)、メドイミューン(現アストラゼネカ)と、5年間にわたる研究開発契約を締結した。HHSは同契約により、将来的に、パンデミック・インフルエンザの発生から6ヵ月以内に、2億4,000万人分の細胞由来のワクチンが国内で製造されるようになると見込んでいる。

さらにHHSは08年、細胞を使ったインフルエンザ・ワクチン製造設備を建設する企業に対して助成金を提供すると発表している。HHSの助成金の上限は建設費の40%で、残りの60%は事業者自らが負担する必要がある。ノバルティスが09年1月、この助成金の初の受領者となった。ノースカロライナ州ホリー・スプリングに建設が予定されており、14年には生産が始まると見込まれている。

ノバルティスは既に、ドイツで、イヌ腎臓細胞(MDCK細胞)を使ったインフルエンザ・ワクチン(オプタフル)の製造を行っており、米国では承認されていないが、欧州では既に承認されている。オプタフルは、ニワトリの卵を使った製造法に比べ、製造期間が3〜4週間短縮され、増産も可能で、卵アレルギー患者にも投与が可能だとされる(表2参照)。

現在、MDCK細胞などの哺乳類細胞以外に、昆虫細胞、酵母細胞、細菌細胞、植物細胞などによるインフルエンザ・ワクチンの製造法の開発が行われている。このうち、米国での承認に最も近いのが、プロティン・サイエンスの昆虫細胞を使ったインフルエンザ・ワクチン製造方法(フルブロック)で、FDAに生物製剤承認申請(BLA)を08年7月に提出した。

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<ワクチンの効果を高める免疫増強剤の研究も>
製薬・バイオ企業は、ワクチンの新たな製造法だけでなく、限られたワクチンの効果を高める免疫増強薬(アジュバント)の開発も進めている。アジュバントとは、ワクチンの免疫原性を高める物質で、ワクチンとともに投与される。理論上、アジュバントの使用により1人分のワクチンを4人分以上にすることができる。FDAはアジュバントを含むインフルエンザ・ワクチンをまだ承認していないが、欧州ではノバルティスのフルード、GSKのプレパンドリクス、クルーセルのインフレザルVが承認されている。

ノバルティスのフルードは、スクアレン(油脂の一種)を、GSKのプレパンドリクスはトコフェロール(免疫刺激剤)を、クルーセルのインフレザルVはリン脂質を、それぞれアジュバントとして含むインフルエンザ・ワクチンである。現在、この3社以外に、複数の製薬・バイオ企業がアジュバントの開発を進めている(表3参照)。

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<万能ワクチン開発にも期待がかかる>
インフルエンザ・ウイルスの保存配列(注8)をワクチンの標的に選んだ場合、理論上、多様なインフルエンザ・ウイルスに有効な万能ワクチンが開発できる。実現すれば、インフルエンザ・ウイルスの種類に応じてワクチンを選択する必要がなくなり、ウイルスの突然変異の脅威も解消される。

製薬・バイオ企業が注目している保存配列はM2外部ドメインペプチド(M2e、注9)で、それは、A型インフルエンザ・ウイルスのすべての表面に保存的に存在している。しかし、M2eは、インフルエンザ・ウイルスが細胞に感染した後に表面化するため、ワクチンの標的としては最適ではないが、抗インフルエンザ薬の開発にとっては、感染者をより速く回復させる標的として有効と考えられている。万能ワクチンの開発が最も進んでいるのが、ニュージャージー州クランバリーにあるバクシネートで、臨床試験フェーズ2a段階(ヒトでの安全性の確認)にある。

<未承認薬剤の緊急使用によるリスクも>
製薬・バイオ企業は、パンデミック・インフルエンザに備え、抗インフルエンザ薬、ワクチン製造法、アジュバントの開発などを進めているが、その大部分は、09年、10年のインフルエンザ・シーズンまでの承認には間に合わない。このため、パンデミック・インフルエンザが発生した場合、未承認薬剤の緊急承認と使用は、FDAの判断に委ねられる。FDAは、未承認薬剤の緊急承認と使用について、その利益と危険性を慎重に検討する必要がある。過去にこうした緊急承認と使用によって薬害を伴った例もみられる。

1976年、ニュージャージー州の陸軍基地フォート・ディクスで200人以上が豚インフルエンザに感染し、政府はパンデミックを恐れ、4,000万人にインフルエンザ・ワクチンを投与したが、このうち532人以上が副作用でギラン・バレー症候群(注10)を発症し、25人以上が死亡した。また、91年の湾岸戦争で戦った退役軍人の多くが、その後、脱毛症・疲労感・痛み・記憶障害・倦怠感や関節痛など、今では湾岸戦争症候群として知られている症状に悩まされているが、これらは、兵士が摂取した炭疽(たんそ)病ワクチンに含まれていたアジュバントの副作用によるものでないかとの疑惑が取りざたされている。

(注1)通常のリレンザは1日2回(毎回2錠)を5日間吸入する必要があるが、CS-8958は1回の吸入で済む。
(注2)ノイラミニダーゼ阻害薬とは、細胞膜表面にあるノイラミニダーゼを阻害する抗ウイルス薬の総称である。体内でインフルエンザ・ウイルスが増殖する過程で、感染細胞からのインフルエンザ・ウイルスの放出に必要なノイラミニダーゼを抑制することによって、インフルエンザ・ウイルスの増殖を抑制する。
(注3)RNAポリメラーゼ とは、ヌクレオチドを重合させ、RNAを合成する酵素のこと。
(注4)抗体治療薬とは、標的となる抗原に対して特異的に働く抗体を、チャイニーズ・ハムスターの卵巣などで生産する治療薬。
(注5)RNA干渉とは、ある遺伝子と相同な塩基配列をもつ二本鎖RNAが、その遺伝子の転写産物を破壊する現象である。結果として、遺伝子の発現が特異的に阻害される。
(注6)GSK:Fluarix、FluLavalの2種類、ノバルティス:Fluvirin、サノフィ・アベンタス:Fluzone、CSL:Afluria、アストラゼネカ:FluMist
(注7)インフルエンザ・ウイルスの表面には、赤血球凝集素(HA)とノイラミニダーゼ(NA)がある。このため、インフルエンザの型は、HとNの組み合わせで表現される。細胞の受容体にウイルスの赤血球凝集素が接着することにより、ウイルスは細胞に侵入する。
(注8)増殖などの生命機能に必須な遺伝子などの塩基配列やアミノ酸配列が、種を超えて共通に保存されている領域。
(注9)M2eは、細胞外ドメインに存在するタンパク質の一種。
(注10)ギラン・バレー症候群とは、急性・多発性の根神経炎の1つで、主に筋肉を動かす運動神経が障害され、四肢に力が入らなくなる。

(田中哲也、大谷泰三)

(米国)

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