ドイツ・マルクの実績と信認の継承に成功−ユーロ10周年の評価と金融危機後の課題(4)−
デュッセルドルフ発
2009年01月20日
誕生から10周年を迎えたユーロについて、ドイツの有識者や金融関係者は、成功を収めたドイツ・マルクの実績を引き継いで順調に発展してきたと評価している。欧州中央銀行(ECB)についても、独連邦銀行(中央銀行)の独立性を継承し、より発展させたとみられている。在独日系企業にとっても、ユーロの発展は欧州事業を展開する上で追い風になったようだ。
<独仏を中心とした政治的な歴史を背負う>
今ではすっかり定着した感のあるユーロだが、導入前には懐疑論も多くみられた。今日でも、ハーバード大フェルドシュタイン教授をはじめ、米英を中心にユーロの問題点を指摘する声がある。しかし、ドイツ銀行リサーチの主任エコノミスト、ノルベルト・ワルター博士は「政治的な背景を知ることによってのみ、初めてユーロを理解できる」とユーロが持つ歴史や背景の堅固さを指摘する。ワルター博士はさらに、独仏をはじめとした賢人達の存在の重要さを指摘する。「70年のウェルナー(ルクセンブルク首相)委員会の報告がスタートだった。ジスカール・デ・スタンとシュミット、ミッテランとコールをはじめとする、優れた独仏首脳同士の協調や、優れた外交官、研究者の存在が大きかった」という。
独仏両国が共通通貨導入に向けて、それぞれが乗り越えるべきものは大きかった。ワルター博士は「独仏両国では、経済面における哲学がそもそも異なっていた。フランスはかつて為替切り下げ(仏フラン安)政策を重視しており、独連邦銀行(中央銀行)のような安定政策を受け入れるようになったのはミッテラン政権(81年〜95年)からだ。一方、ドイツ経済は欧州では支配的だが、マルクが『欧州通貨』にはなり得ないことをドイツ人が受け入れるまでには、多くのことを克服する必要があった」と指摘する。
<マルクの実績を引き継がせることに成功>
しかし、共通通貨を持つことは、ドイツにとってもマルクを失う痛みを伴った。安定した通貨として成功を収めてきたマルクとほかの欧州通貨を統合することは、「ファンダメンタルズの低下を意味し、国民の愛着の高いマルクの価値が低下することを意味した」と、梅本勝久・みずほコーポレート銀行デュッセルドルフ支店長はいう。ワルク・メッツェラー銀行主任エコノミストが指摘するように、「国民にとって、欧州共通通貨に向けたステップは、安定したマルクを失い、弱いユーロを得るのではないかという不安と結びついていた」とされる中で、ドイツにはユーロにマルクの実績を引き継がせる必要があった。
99年1月4日に1ユーロ=1,1789ドルで始まったユーロの対ドル為替レートは、その後下落を続けて、00年2月にはパリティー(1ユーロ=1ドル)を割り込み、02年中ごろまで回復できなかった。これについて、ワルター博士は「最近のユーロ高を含めて、相対的な力の変化を反映しただけのこと。金利、経常収支、成長速度の相対的な差を見た場合に、ユーロ発足当初は米国だけが経済的な強さを示していた。その後、米国のユーフォリー(陶酔)の調整がなされる一方で、欧州やドイツが成長してきたにすぎない」という。
しかし、ユーロ導入当初、ECBが十分に信認を得ていなかったという見方も多い。ワルク氏は、ユーロが導入時の加盟11ヵ国の共通通貨である一方、これに相当する政府が存在しなかったことや、ECBと市場の間のコミュニケーションが当初円滑でなかったことを指摘する。梅本支店長も、「時間の経過とともにECBの運営に信頼が醸成された」と指摘する。その後、対ドル為替レートは02年半ばに1ユーロ=1ドルを回復し、08年7月に1ユーロ=1.6ドル近くに達するまで、ユーロ高傾向で推移してきた。ユーロ圏のインフレ率も、年平均2%前後で推移してきた。ドイツはこれまで、マルクの実績をユーロに引き継がせることに成功してきたといえるだろう。
<欧州中銀も独連銀の独立性の高さを継承>
連邦銀行(中央銀行)はかつて、政府が意向を異にする場合でもインフレ率を抑制し、マクロ経済環境の安定を図る「インフレ・ファイター」として名をはせてきた。連邦銀行は、金融政策の決定がECBに移管された今日でも「通貨の安定」を役割としている。
ECBは、連邦銀行の金融政策を引き継ぎ、さらに発展させたと評価されている。ワルター博士はECBを、「明確な委任と、高い独立性と、最も優れた規定がある。財政赤字を受け入れない。総裁、副総裁や理事などの指導層は任期8年で再任しない。これらにより自治・自律性がはっきりと定められている」と高く評価する。竹内淳・日本銀行フランクフルト事務所長も「ECBは独連邦銀行の独立性を引き継ぎ、さらに発展させたモダンな中央銀行」と指摘する。
<日系企業は両替コストや為替リスクが消滅>
両替コストや為替リスクが消滅したことは、日系企業にとっても追い風となった。梅本支店長は「経済規模の小さいいわゆる周辺国の通貨は需要が比較的低いために、手数料が高くなる傾向があった。これらが消滅したことは金融機関にとっては損失ではあったが、事業会社にとっては有利に働いた」と指摘する。企業立地については、「独仏伊をはじめ単一通貨が導入されたことで、欧州拠点を集中させやすくなったはず」と葛原圭・三菱東京UFJ銀行デュッセルドルフ支店トレジャリー課課長は指摘する。
08年夏までユーロの為替レートが上昇し、インフレ率も安定して推移してきたことは、「当地の日系企業の大半が販売会社であることを考えると、日本やアジア諸国から輸入した製品を欧州市場で販売する際に追い風になった」と川島時夫・三菱東京UFJ銀行デュッセルドルフ支店長は評価する。しかし、08年秋の金融危機とその後の世界的な不景気の中で、「これらが急に逆のかじ取りになり、主体的にリスクヘッジを行わなければならないような、当地の日系企業にとって初めての時期に入った」と、状況の厳しさを示唆する。
(小谷哲也)
(ドイツ)
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