アジア大洋州地域の人材確保・賃金高騰の現状と対応人材不足の現状と対応、今後の最低賃金の動向にも注目(タイ)

2024年5月16日

ジェトロが2023年8~9月に実施した「2023年度進出日系企業実態調査(アジア・オセアニア編)」(以下、日系企業調査)によると、タイでは日系企業の40.4%が人材不足に直面していることが明らかになった。また、タイにおける投資リスクに関する設問では、「人件費の高騰」を挙げた企業が最多となっている。さらには、新政権の筆頭政党であるタイ貢献党は、2027年までに法定最低賃金(日額)を全国一律で600バーツ(約2,520円、1バーツ=約4.2円)に引き上げることを公約として掲げている。そのため、今後も人件費の高騰に拍車がかかる可能性がある。

本稿では、日系企業調査で明らかになった、タイにおける人材不足や人件費高騰などの結果を基に、その背景や、関連する政策を概観し、雇用を取り巻く状況に対する企業の対応、また今後の方向性について解説する。

在タイ日系企業の40.4%が人材不足に直面、特にマネージャー職が不足

日系企業調査によると、在タイ日系企業の40.4%が人材不足の課題に直面していることが明らかになった(図1参照)。しかしながら、調査対象となったアジア・オセアニア地域全体では、日系企業の47.9%が人材不足の課題に直面していることを踏まえると、タイの状況は、相対的には悪くないとも言える。

図1:人材不足の課題に直面している割合(国・地域別)(単位:%)
日系企業調査によると、在タイ日系企業の40.4%が人材不足の課題に直面していることが明らかになった。しかしながら、調査対象となったアジア・オセアニア地域全体では、日系企業の47.9%が人材不足の課題に直面していることを踏まえると、タイの状況は、相対的には悪くないとも言える。

注:国・地域名の後のカッコ内の数字は有効回答数。
出所:ジェトロ「2023年度海外進出日系企業実態調査(アジア・オセアニア編)」

2022年からの雇用状況の変化を見ると、アジア・オセアニア地域全体では、2023年(8~9月)の雇用状況は、前年同期と比べて「悪化」と回答した企業が16.4%だったのに対し、「改善」と回答した企業が13.6%となり、「悪化」が2.8ポイント上回った(図2参照)。他方、タイでは「悪化」と回答した企業が13.0%であるのに対し、「改善」と回答した企業が9.6%となり、「悪化」が3.4ポイント上回り、全体平均と同様に若干「悪化」の傾向があるものの、ほぼ拮抗(きっこう)した。なお、中国やベトナムでは「改善」が「悪化」を上回る結果となった。

図2:各国・地域の雇用状況の変化(2022年比)(単位:%)
日系企業調査によると、在タイ日系企業の40.4%が人材不足の課題に直面していることが明らかになった。しかしながら、調査対象となったアジア・オセアニア地域全体では、日系企業の47.9%が人材不足の課題に直面していることを踏まえると、タイの状況は、相対的には悪くないとも言える。

注:有効回答数10社以上の国・地域。
出所:ジェトロ「2023年度海外進出日系企業実態調査(アジア・オセアニア編)」

続いて、職種別の人材不足度合いを見てみよう。人材不足が「とても深刻」または「やや深刻」と回答した企業の割合(以下、深刻度合い)は、アジア・オセアニア地域全体では、一般事務職が38.3%、工場作業員が51.9%、プログラマーなどのIT人材が58.2%、専門職種(法務、経理、エンジニアなど専門技能を必要とする職種)は71.2%となった。これに対して、タイでは、一般事務職が34.1%、工場作業員が42.3%、プログラマーなどのIT人材が56.7%、専門職種が73.1%、一般管理職(マネージャーなど)が79.8%となった。専門職種と一般管理職の深刻度合いが、地域全体の平均より高い結果となっており、特に一般管理職の深刻度合いは、地域全体の深刻度合い(68.8%)を大きく上回り、タイでの一般管理職不足が、地域内よりも深刻であることがうかがえる。なお、日系企業においてエンジニア不足が顕著であることについては、タイ国日本商工会議所が実施した「2023年上期在タイ日系企業景気動向調査」の結果とも整合的である。同調査では、回答企業の2割強がエンジニアの不足を経営上の課題のひとつとして捉えていることが分かった。

以上のことから、タイの人材不足について整理すると、タイにおける人材不足の割合は相対的に悪い状況ではなく、雇用状況についても「改善」と「悪化」が拮抗する状況であるものの、一般管理職やエンジニアなどの人材不足が深刻な状況と言える。

少子高齢化の加速、日系企業の採用競争力の低下が人材不足の要因

次に、エンジニアなどの人材不足の背景について触れたい。まず、ひとつの要因として、少子高齢化による生産年齢人口の減少が挙げられる。タイは、ASEAN各国の中でも著しく高齢化が進んでいる。国連の世界人口予測(2022年)によれば、タイの人口は2029年に7,207万人とピークに達し、その後減少する見通しである。一方、ASEAN全体では2062年にピークに達することから、周辺国より33年も早く、人口が減少に転じることになる。また、世界銀行の人口予測によれば、タイの生産年齢人口(15-64歳)は、2017年に5,043万人のピークに達した後、減少し続けている。

一方で、昨今ではタイ人の求職者が日系企業ではなく、地場企業や日系以外の外資系企業を就職先として選択する傾向がある、と指摘する声もある。一昔前のタイでは、日系企業が就職先として人気が高く、日系企業が人材を採用する際の競争相手は日系企業であった。しかし、現在では、タイの大手財閥系企業やインフラ開発企業なども事業規模を拡大し、給与や待遇面も向上してきていることから、タイの大手企業の方が就職先として人気がある、との指摘もある(2022年12月23日付地域・分析レポート参照)。実際に、タイの企業ブランディングに関するコンサルタント会社であるワーク・ベンチャーが発表している「就職したい人気企業ランキングTOP50」によれば、2023年は、50位までにランクインしている企業の過半数が地場企業であり、日系企業は4社のみとなった。その中でも、上位10に入った日系企業はトヨタ1社のみだった。

なお、大学生の履修言語の選択においても変化がみられる。タイ国立教育試験機関(NIETS)が公表する、タイの大学入学試験時における第二外国語の選択者数の内訳を見ると、中国語、韓国語、日本語の3言語の割合はいずれも増加傾向にあるが、中でも韓国語の割合はこの数年で大きく増え、2022年以降、韓国語が日本語を上回っている。具体的には、2021年は中国語が34.6%で首位、次いで日本語(16.5%)、韓国語(13.3%)の順だったが、2023年は中国語が39.0%で首位、次いで韓国語(19.7%)、日本語(18.9%)となった。こうした背景には、タイ人の若者の間で、「ブラックピンク」などの韓流アイドルの人気が非常に高まっていることも影響していると思われる。

人件費の高騰が投資リスク1位に、新政権による最低賃金の引き上げの動きに注目

次に、タイにおける人件費について見ていく。日系企業調査によると、タイの投資環境上のリスクを問うた設問では、「人件費の高騰」と回答した企業の割合が72.8%となり、最も回答が多い項目となった(図3参照)。特に、2番目に回答が多かった「不安定な政治・社会情勢」(58.3%)に14.5ポイントもの差をつけており、より多くの日系企業が、人件費の高騰をリスクとして捉えていることがうかがえる。

図3:タイにおける投資環境上のリスク(単位:%)
タイにおける投資環境上のリスクについて、当てはまる項目および、特に当てはまる項目の回答割合は次の通り。人件費の高騰72.8%、37.0%、不安定な政治・社会情勢は58.3 % 、22.9%、現地政府の不透明な政策運営32.9%、10.7%、従業員の離職率の高さ32.0%、9.8%、労働力の不足・人材採用難(専門職・技術職、中間管理職等)31.3%、12.5%。

注:青色はビジネス環境上のリスクとして回答した企業の割合。オレンジ色はリスクとして特に当てはまると回答した企業の割合。特に当てはまるものは最大3項目まで選択可能。
出所:ジェトロ「2023年度海外進出日系企業実態調査(アジア・オセアニア編)」

賃金については、タイ以外のASEAN各国でも、シンガポール、マレーシア、インドネシアにおいて、人件費の高騰を投資環境上のリスクと回答する企業の割合が最も高かった。当該4国(タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシア)の月額基本給を見ると、いずれの職種においても、高い順にシンガポール、マレーシア、タイ、インドネシアとなる。他方、賃金の前年比昇給率(2023年)は、インドネシア(5.7%)、マレーシア(4.6%)、シンガポール(4.0%)を含むASEANの調査対象国9カ国の中で、タイ(3.8%)は最も低くなっている。タイの投資リスクとして高く認識されている人件費の高騰だが、実際の昇給率が周辺国より低いのはなぜだろうか。要因のひとつには、過去の政権の政策がある。具体的には、インラック政権(2011~2014年)が、2011年から2013年にわたり、日額最低賃金を全国的に300バーツまで引き上げた(バンコクなどで改定前の40%増)後は、最低賃金の上昇が緩やかだったことだ。そのため、元々、最低賃金を上回る給与体系をとっていた日系企業にとって、近年の最低賃金の改定は影響が少なかったと言えるだろう。

しかし、今後は状況が変わりそうだ。2023年9月にタイ貢献党のセター・タビシン首相率いる新政権が発足した。タイ貢献党の政権公約の1つが日額最低賃金を2027年までに600バーツに引き上げることである。最低賃金の引き上げは、当初から新政権の目玉政策の1つになっており、2023年10月にピパット・ラチャキットプラカーン労働相が労働委員会と、2023年末ごろまでに最低賃金を引き上げる計画を討議した。最高400バーツまで引き上げる提案が議論されたが、結果として、労働省、経済団体、労働組合の代表などで構成する中央賃金委員会は、330~370バーツへの引き上げを決定し、2024年1月から同水準が適用されている(注1)。今回の最低賃金の上昇率は平均2.4%と、プラユット政権時(2022年10月)の上昇率(平均5.0%)に比べても小幅で、インフレへの影響も大きくないと想定された。しかし、2024年4月には10都県の特定区域における50人以上の従業員を雇用する4つ星以上のホテルについては、最低賃金を日額400バーツまで引き上げられたことに加え、政府からはさらなる引き上げを求める声も上がっている。仮に、最終的に600バーツへの引き上げが実現するとなれば、インラック政権時の引き上げよりも大きな影響が生じると推測され、最低賃金の上昇だけにとどまらず、他の給与体系にも上昇圧力が働き、ますます企業のコスト負担が増加し競争力に影響することになるだろう。

自動化実施は3割弱、人事制度改善や定年延長で人材不足に対応か

人材不足や人件費の高騰への対応として、自動化に取り組む企業もある。日系企業調査では、製造業企業に対して、自動化の取り組み状況や自動化への関心度合を尋ねた。結果、在タイ日系企業では、「すでに取り組んでいる」と回答した企業が27.9%、「(現在は取り組んでいないが)今後取り組む予定がある」が27.5%、「しばらく取り組む予定はない」が44.6%となった。3割弱の企業が自動化を実施済みであったが、自動化がまだ拡大していないことがわかる。また、自動化の取り組み状況について、「すでに取り組んでいる」、もしくは「今後取り組む予定がある」を回答した企業が、自動化に取り組む背景・理由については、「人件費の上昇」との回答が79.4%と最も多かった。他方で、自動化の障壁については、5割超が「自動化技術を扱える人材の確保が困難」としている。つまり、人件費の高騰に対処するために自動化を試みようとするが、自動化技術を扱える専門人材が確保できないという構図になっており、自動化による人件費高騰への対応は一筋縄ではいかない状況となっているようだ。

また、エンジニアなど優秀な人材が定着しない、ジョブホッピングなどによる離職率が高いなどの課題を抱える企業も少なくない。外資系企業と日系企業での給与の差やキャリアアップのスピードの差などが、前述したとおり、日系企業の採用競争力の低下につながっている。こうした状況の中、給与体系を改善することで、離職率を下げることに成功している企業もある。バイオ技術系企業A社では、マネージャーなど職責の大きな役職の社員について、給与を引き上げるなど給与体系を改善することで、優秀な人材が定着するようになった。また、従業員からの要望にも変化が見られ、以前は給与面の要望が多かったが、現在はA社のビジネスを拡大するための要望なども挙がってくるという。他方で、人事制度の改善に取り組む企業も見られる。タイ国内でオフィス家具の販売などを行う日系企業B社では、離職率が高いといった悩みはないが、部門間の縦割りによる業務負担の偏りがある。また、ある程度の年数に応じて賃金の目安が決められており、パフォーマンスに応じた報酬体系になっていない。そのため、B社では、部門間で柔軟に業務負担を調整するとともに、会社が求める職責を果たそうとする社員を評価できるように、人事制度の改善を実施しようとしている。具体的には、業務負担の調整を諮る際には、その都度、ジョブディスクリプションに職務の追加、変更を記載して明示的に社員に説明した上で、それに応え、職責を果たす社員を評価できるような制度を導入したいという。概して前例が踏襲されることが多い現地社員の人事配置や制度に関して、現状に応じて各職務を調整、明確化し、社員とコミュニケーションを取りながら評価していくことは、ジョブホッピングの傾向が強いと言われるタイで、組織の変革と社員の定着を両立させる一手になると思われる(注2)。

その他、タイでは55歳が一般的な定年年齢となっているが、定年年齢を引き上げることや、シニアのリスキリングなどが解決の一助になるのではないか、と指摘するタイ政府関係者もいる。

前述の通り、人材を取り巻く課題に対して、自動化の取り組みを進めるだけでなく、採用競争力の向上につながる給与体系の改善や、駐在員にとって前例踏襲となりがちな人事制度の改革などを通じたエンジニアなどの優秀な人材の獲得・定着、政府による定年延長を可能にするような法整備など、様々な解決方法を模索する必要があるだろう。


注1:
タイの法定最低賃金は、地域によって異なるが、2024年1月から330~370バーツに設定。改定前と比べ、全体で平均2.4%の引き上げ率となっている。
注2:
人材関連の取り組みについてはゼロボードへのインタビュー記事も参照されたい(2024年3月19日付地域・分析レポート参照)。
執筆者紹介
ジェトロ・バンコク事務所
藤田 豊(ふじた ゆたか)
2022年から、ジェトロ・バンコク事務所勤務。