アジア大洋州地域の人材確保・賃金高騰の現状と対応アジア大洋州地域の人材確保や人件費を巡る動き(総論)
2024年3月21日
ジェトロでは、2023年8月21日から9月20日にかけて、東南アジア、南西アジア、オセアニア(以下、アジア大洋州地域)に進出している1万社を超える日系企業(注1)を対象に、アンケート調査〔2023年度海外進出日系企業実態調査(アジア・オセアニア編)」、以下「日系企業調査」(注2)〕を実施した。本特集では、同調査結果を基に、アジア大洋州地域に進出する日系企業が直面する人材確保や人件費高騰の現状、さらには、これら課題への対策などについて解説する。本稿は、アジア大洋州地域について俯瞰(ふかん)し、各国からの報告への導入とする。
人材不足の課題に直面する割合に差も、専門職種では共通して深刻度高く
日系企業調査で、人材不足の課題に直面していると回答した割合は、アジア大洋州地域では、マレーシアが63.5%と最も高く、ラオス(58.6%)、オーストラリア(57.4%)、シンガポール(55.6%)、フィリピン(52.2%)が続いた(表1参照)。アジア大洋州地域とほぼ同じ時期に、別の地域で実施した調査結果を含めた「全地域」(世界83カ国・地域)の回答割合(51.4%)と比べても、これらの国では高い(注3)。業種別に見ても、マレーシア、ラオス、シンガポールについては、製造業、非製造業ともに、「全地域」の各業種の回答割合を上回った。例えば、マレーシアでは、製造業よりも非製造業が「全地域」との格差が大きいが、非製造業の中でも建設業の開きが大きい。同国では、新型コロナウイルス禍後の建設プロジェクト一斉再開により、建設業の人手が逼迫し、半導体関連の投資が相次ぐ地域での工事の遅れが指摘されている。
国・地域名 | n | 全体 | 製造 | 非製造 |
---|---|---|---|---|
全地域 | 7,247 | 51.4 | 53.2 | 50.0 |
マレーシア | 301 | 63.5 | 63.9 | 63.0 |
ラオス | 29 | 58.6 | 60.0 | 57.1 |
オーストラリア | 115 | 57.4 | 88.0 | 48.9 |
シンガポール | 390 | 55.6 | 65.5 | 52.9 |
フィリピン | 159 | 52.2 | 55.8 | 47.9 |
インド | 278 | 50.4 | 51.0 | 49.6 |
ベトナム | 778 | 42.7 | 39.8 | 45.2 |
タイ | 559 | 40.4 | 36.8 | 44.7 |
カンボジア | 117 | 40.2 | 34.1 | 43.4 |
バングラデシュ | 83 | 39.8 | 28.1 | 47.1 |
ミャンマー | 102 | 39.2 | 35.3 | 40.0 |
インドネシア | 473 | 38.5 | 29.5 | 48.6 |
パキスタン | 45 | 33.3 | 52.4 | 16.7 |
スリランカ | 31 | 32.3 | 33.3 | 31.6 |
注1:nは集計対象企業数。
注2:「全地域」は、北米、中南米、欧州、ロシア、北東アジア、ASEAN、南西アジア、オセアニア、中東、アフリカの83カ国・地域の合計。
注3:東南アジア9カ国、南西アジア4カ国、オセアニア1カ国の計14カ国を掲載。
注4:太字箇所は、「全地域」を超える国。
出所:「2023年度海外進出日系企業実態調査(アジア・オセアニア編)」および「2023年度海外進出日系企業実態調査(全世界編)」(いずれもジェトロ)
他方で、ベトナム(42.7%)、タイ(40.4%)、カンボジア(40.2%)、バングラデシュ(39.8%)、ミャンマー(39.2%)、インドネシア(38.5%)、パキスタン(33.3%)、スリランカ(32.3%)での業種を問わない全体の回答率は5割を切った。例えば、14カ国の中で回答割合がもっとも小さかったスリランカについて、人材不足に悩む日系企業は比較的に少ない背景として、市場での製品・サービス需要の低下のほか、地場企業よりも概して賃金の高い日系企業での就労を希望する労働者が多いことなどが挙がる。
全体的な人材不足の状況については、進出国ごとに差があるものの、不足する人材については、共通した結果を確認することができる。人材不足の課題に直面している企業に人材不足の深刻度合いを職種別に尋ねたところ、マネージャーなどの「一般管理職」、また、法務、経理、エンジニアなど専門技能を必要とする職種の「専門職種」では、14カ国全てで、「やや深刻」もしくは「とても深刻」(以下、「深刻」)と回答した割合が50%を超えた(表2参照)。
地域名 | 国名 | n | 上級管理職(ディレクターなど) | 一般管理職(マネージャーなど) | 一般事務職 | 工場作業員 | プログラマーなどのIT人材 | 専門職種(法務、経理、エンジニアなど専門技能を必要とする職種) | その他(委託も含む/運転手、建設関係、宅配関連など) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
東南アジア | カンボジア | 47 | 62.2 | 67.4 | 48.8 | 50.0 | 71.4 | *85.0 | 36.7 |
インドネシア | 182 | 65.1 | *82.2 | 35.1 | 21.0 | 64.8 | 76.1 | 15.7 | |
ラオス | 17 | 76.9 | 81.3 | 56.3 | *91.7 | 66.7 | 78.6 | 27.3 | |
マレーシア | 191 | 42.6 | 67.8 | 35.7 | 58.7 | 53.3 | *73.5 | 23.9 | |
ミャンマー | 40 | 65.4 | 75.0 | 38.2 | 47.1 | 65.2 | *82.4 | 37.5 | |
フィリピン | 83 | 54.1 | 65.3 | 40.0 | 36.4 | 69.0 | *82.7 | 23.4 | |
シンガポール | 217 | 40.4 | 65.1 | 53.2 | 65.1 | 65.7 | *75.3 | 43.3 | |
タイ | 226 | 48.7 | *79.8 | 34.1 | 42.3 | 56.7 | 73.1 | 20.9 | |
ベトナム | 331 | 52.2 | *67.1 | 26.6 | 49.5 | 56.7 | 61.7 | 17.9 | |
南西アジア | バングラデシュ | 33 | 79.2 | *82.8 | 44.8 | 16.7 | 31.6 | 80.0 | 26.9 |
インド | 140 | 46.7 | *71.1 | 37.7 | 54.5 | 60.7 | 67.3 | 16.8 | |
パキスタン | 15 | 72.7 | 83.3 | 50.0 | 33.3 | 63.6 | *84.6 | 11.1 | |
スリランカ | 10 | 28.6 | 55.6 | 40.0 | 42.9 | 66.7 | *77.8 | — | |
オセアニア | オーストラリア | 65 | 34.0 | 67.2 | 56.5 | 82.8 | 70.3 | *78.6 | 69.2 |
注1:nは「人材不足の課題に直面している」と回答した企業数。深刻度合いを、「深刻ではない」「あまり深刻ではない」「やや深刻」「とても深刻」「該当なし」のいずれかを選択。「該当なし」を除いた企業を集計対象とした。
注2:東南アジア9カ国、南西アジア4カ国、オセアニア1カ国の計14カ国を掲載。
注3:太字箇所は80%以上の項目。
注4:*は各国で回答率が最も高い項目。
注5:「-」は回答なし。
出所:「2023年度海外進出日系企業実態調査(アジア・オセアニア編)」(ジェトロ)
特に各国ごとに最も回答率が高かった職種を見ると、14カ国中8カ国と半数以上の国で、「専門職種」の人材不足が「深刻」と回答した割合が最も高かった。「専門職種」の人材不足が「深刻」とした割合を国別にみると、カンボジア(85.0%)が最も高く、パキスタン(84.6%)、フィリピン(82.7%)、ミャンマー(82.4%)、バングラデシュ(80.0%)が続く。これらのうち、例えば、カンボジアでは、後掲の表にもあるように、同国の投資環境のリスクとして「税制・税務手続きの煩雑さ」が上位になるなど、税務対応人材の確保が課題とされる。税務を理解する経理担当者は引く手あまたで、管理職よりも給与水準が高くなる場合も多い。
また、パキスタン、フィリピン、ミャンマー、バングラデシュなどでは、専門職種を筆頭に、上級管理職、一般管理職などが一般事務職や工場作業員などよりも、人材不足が「深刻」とした割合が高い。これらのうち、例えば、ミャンマーでは、見通しが立たない国内情勢などを背景に、国外での就労による人材の流出が進んでいる。進出日系企業からは、「優秀なエンジニアほど海外に就職口を求める傾向にある」といった声が聞かれる。技能実習制度などを通じて、ミャンマーの一般事務職や工場作業員の国外就労先として日本が人気を集めている。日本での就労ビザ取得の条件となる日本語能力試験(JLPT)への応募者数は年々増加し、2023年7月には10万人を超えた。
人件費上昇やワーカー不足が自動化への取り組み後押し
日系企業調査では、所在国の投資環境面でのリスクについて尋ねている。所在国の投資環境面でのリスクで回答した項目について、最も当てはまる項目を3つまで選択した結果が表3だ。各所在国で挙がったリスクの項目を上位3つに絞って見ると、「人件費の高騰」が10カ国で上位3位までに挙がる。産業政策、エネルギー政策、外資規制など「現地政策の不透明な政策運営」(6カ国)、「税制・税務手続きの煩雑さ」「法制度の未整備・不透明な運用」(いずれも5カ国)が続く。
人件費の高騰は自動化への取り組みの後押しとなっている。自動化に取り組む製造企業に、自動化に取り組む背景や理由を尋ねたところ、多くの国で「生産ラインや生産技術の高度化」との回答割合が最大だったが、オーストラリア、シンガポール、タイ、インドネシアでは、「人件費の上昇」との回答が「生産ラインや生産技術の高度化」を上回った(表4参照)。また、先の職種別の人材不足で、工場作業員の人材不足が深刻と回答した割合が比較的に大きかったオーストラリア、シンガポール、マレーシアでは、自動化に取り組む背景として「ワーカー不足」を挙げる割合は50%を超えた。
国名 | n | 人件費の上昇 | ワーカー不足 | 生産ラインや生産技術の高度化(安定生産、品質管理、安全確保、データ管理) | 生産品の高付加価値化 | 安定した電力供給 | 安価な電気代 | 自動化技術を扱える人材(エンジニア・機械工)の確保が容易 | 感染症対策に伴う省人化 | その他 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
カンボジア | 19 | 57.9 | 5.3 | 73.7 | 47.4 | — | — | 15.8 | — | 15.8 |
インドネシア | 129 | 79.1 | 9.3 | 78.3 | 20.2 | — | 2.3 | 3.1 | — | 3.1 |
マレーシア | 101 | 73.3 | 51.5 | 78.2 | 24.8 | 1.0 | 2.0 | 5.9 | 4.0 | 3.0 |
フィリピン | 46 | 67.4 | 21.7 | 84.8 | 32.6 | 2.2 | — | 2.2 | — | 6.5 |
シンガポール | 39 | 82.1 | 64.1 | 64.1 | 23.1 | 2.6 | — | 7.7 | 2.6 | 2.6 |
タイ | 155 | 79.4 | 31.0 | 76.8 | 25.8 | 1.3 | 0.6 | 5.2 | 4.5 | 3.9 |
ベトナム | 219 | 74.0 | 37.0 | 79.9 | 27.9 | 0.9 | — | 3.2 | 4.1 | 2.3 |
バングラデシュ | 13 | 76.9 | 7.7 | 92.3 | 7.7 | — | — | — | — | — |
インド | 92 | 50.0 | 16.3 | 79.3 | 31.5 | — | 1.1 | 5.4 | 2.2 | 5.4 |
パキスタン | 13 | 30.8 | 7.7 | 76.9 | 53.8 | — | — | 23.1 | — | — |
オーストラリア | 15 | 93.3 | 86.7 | 33.3 | 26.7 | — | 6.7 | — | 6.7 | 6.7 |
注1:nは自動化に「すでに取り組んでいる」もしくは「(現在は取り組んでいないが)今後取り組む予定がある」と回答した製造業企業数。未回答除く。
注2:東南アジア9カ国、南西アジア4カ国、オセアニア1カ国の計14カ国のうち、nが10社以上の11カ国のみ掲載。
注3:太字箇所は各国で最大の回答項目。
注4:「-」はゼロ。
出所:「2023年度海外進出日系企業実態調査(アジア・オセアニア編)」(ジェトロ)
もっとも、所在国の投資環境面でのメリット(長所)のうち、最も当てはまる項目を3つまで選択する問いでは、「人件費の安さ」が上位に挙がった(表5参照)。各所在国で挙がったメリット(長所)項目の上位3つの中では、「市場性規模/成長性」が最も多い13カ国で、「人件費の安さ」(10カ国)、「安定した政治・社会情勢」(7カ国)が続く。「人件費の安さ」では、ラオス(50.0%)、ミャンマー(48.5%)、フィリピン(46.3%)での回答割合が高い。例えば、ラオスでは、現地通貨キープがドルに対して大幅に値を下げている(注4)。キープ安に伴う物価高騰による実質賃金の目減りや、隣接国タイでの外国人労働者に対する需要の増加、タイでの最低賃金引き上げなどとともに、出稼ぎ要因になっている。「人件費の安さ」は進出企業にとって魅力となるケースもあるが、国内からの労働流出の要因にもなっている。
- 注1:
- 日本側による直接、間接の出資比率が10%以上の現地法人、日本企業の支店・駐在員事務所。
- 注2:
- 本調査は1987年に開始し、今回で37回目。最新調査は、2023年8月21日から9月20日にかけて、日系企業1万4,018社(うち、東南アジア、南西アジア、オセアニアは11,393社)を対象に実施。4,982社(3,746社)から回答を得た〔有効回答率35.5%(32.9%)〕。調査結果の詳細は、プレスリリース、報告書、過去の調査の報告書からダウンロード可能。
- 注3:
- 北東アジア、東南アジア、南西アジア、オセアニアのほか、北米、中南米、欧州、ロシア、中東、アフリカでも同様の調査を実施。調査結果の詳細は、プレスリリース、報告書、過去の調査の報告書からダウンロード可能。
- 注4:
- 例えば、IMFによると、1ドル当たりの現地通貨キープの水準(月平均)は、2019年8月が8,699.41キープ、2023年8月が1万8,197.61キープ、2023年12月が1万9,258キップ。
- 執筆者紹介
-
ジェトロ・シンガポール事務所次長
朝倉 啓介(あさくら けいすけ) - 2005年、ジェトロ入構。海外調査部アジア大洋州課、国際経済研究課、公益社団法人日本経済研究センター出向、ジェトロ農林水産・食品調査課、ジェトロ・ムンバイ事務所、海外調査部国際経済課を経て現職。