日本食品に対する懸念は限定的—原発事故から半年が経過した日本食市場を取り巻く現状と今後の見通し(シンガポール)

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2011年10月28日 シンガポール事務所発

人口わずか500万人の小国シンガポール。近年、日本からの農林水産品・食品のシンガポールへの輸出は、拡大の一途をたどり、主要輸出先として、第8位(2010年)の輸出市場である。近年、日本食ブームが急激な盛り上がりを見せていることを背景に、シンガポール人の消費者の間で、日本食は身近な存在となっている。そのようななか、3月11日の東日本大震災の発生に起因した原子力発電所事故の影響により、日本食を取り巻く環境は一変。風評被害も影響して、一時、市場では急激なプレゼンスの落ち込みを見せた。その影響は現在も続いているのか。日本食に対する見方はどのように変化したか。震災発生から6カ月が経過したシンガポールの日本食を取り巻く市場の現状、今後の展望について報告する。

現地メディアの論調—風評被害を助長する報道はもはや皆無
3月11日の震災発生直後から4月下旬にかけて、とりわけ原子力発電所事故に関する報道は、シンガポールのメディアでも連日トップニュースで取り上げられた。特に、シンガポールに輸入される日本食品の安全性、健康への影響に関する懸念については、日本食がすでにシンガポール人にとって身近なものであるだけに高い関心を集めた。震災関連の報道のほとんどは、シンガポール政府〔農食品・獣医庁(AVA)〕による日本食品の輸入規制が刻々と厳格化する状況や客足が遠退いたことを受けて、日本産の食材の取り扱いをやめたレストランの事例、一般消費者の日本食を敬遠するコメントを紹介するものなどであり、いたずらに日本食に対する不安を煽る内容も一部でみられた。

震災発生から6カ月が経過した現在に至ってはどうか。今年5月、シンガポールは、5年に一度の議会総選挙の年に当った。そのため、5月初旬には、シンガポールのメディアの焦点は、震災ニュースから一転して、選挙報道一色に変わることとなった。特に今回の議会総選挙は、これまでシンガポール政府が推進してきた外資誘致に傾注した政策の末、国民の所得格差の拡大、著しい物価高騰などを招いたとする政策論争が話題の中心となり、シンガポール国民の関心が寄せられた。その結果、震災の影響に関する話題が、選挙報道でかき消された形となり、以降、現在に至るまで、震災関連のメディアによる報道は、被災者の生活ぶり、復興に向けた取り組みを伝えるものが、時折、みられる程度となっている。日本食の健康被害への懸念、日本食を敬遠する消費者のコメントなど、風評被害を助長する報道はみられなくなった。むしろ、シンガポールで流通している日本食品は安全性についての厳重なチェックをクリアしていることを伝えるものや、新たな日本食チェーンの出店を紹介するといった、日本食に対する好意的な記事がみられるまでになっている。総じて、シンガポール人の消費者の間で、一連の日本食の放射能汚染に関する懸念や不安は消え去った印象である。

小売店の状況—7月時点で客足・売上ともに回復。
日系・地場ともシンガポールのスーパーマーケットにおける日本食品の売上は、震災前と変わらない状況にまで回復している。日系スーパーマーケットの関係者によると、震災直後から3月末までは、買い溜め需要もあって、瞬間的に売り上げが増加したが、その後、店頭への客足、売上ともに減少の一途をたどり、5月末に底となった。特に、水産品では5月の売上が前年同月比で30%減、一般の加工食品でも同20%減まで売上が減少した。それに拍車をかけるように、AVAによる規制強化措置の導入に伴って輸入手続きが混乱したことや、一部の加工食品では日本国内での生産が追い付かず、店頭での欠品、品薄状態は6月ごろまで続いた。しかし、6月以降、日本食品に対する風評被害はほとんどみられなくなったり、放射能検査等、輸入に必要な手続きが確立、周知されたことを受け、客足、商品調達が一気に改善された。7月時点の売上では、前年同月比を上回るまで回復した。

調達先産地の西日本へのシフトは依然として継続
政府の対応も徐々に整い、規制措置の簡素化、効率化に向けて取り組まれている。AVAは、6月下旬から、北海道、中国、四国、九州、沖縄の5地域18道県を「低リスク地域」として指定し、これら地域で生産された食品について、産地証明書あるいはサイン証明書の添付があれば、放射線検査の対象から除外し、市場への流通を認めている。日本食品輸入業者は、AVAの規制措置(下表参照)について、「導入当初は産地証明書の発給体制が整わず、混乱したが、現在は日本側の手続きも確立され、加えて8月中旬からは日本国内の商工会議所発行のサイン証明書も輸入時の添付書類として代用できることになり、輸入手続きはスムーズになった」と話した。

シンガポールにおける日本からの食品輸入規制措置(9月末現在)

(注)シンガポール政府機関〔農畜産獣医庁(AVA)〕発表資料、ヒアリング、報道発表等からジェトロまとめ。

しかし、特に生鮮野菜・果物等の日本国内の調達先は、全体的に西日本へシフトしたままとなっている。日系スーパーマーケットの生鮮品コーナーで販売されている野菜や果物の多くが、九州地方を産地とするものである。震災直後に店頭で多くみられた日本地図(事故が発生した原子力発電所の位置と調達先の産地との距離関係を示すもの)や、放射性物質の影響がないことを強調して説明する掲示などは、現在はほとんどみられず、消費者の間で産地を懸念する声は聞かれなくなったものの、消費者の不安に対する最大限配慮と産地証明書等の発行手続きの煩雑さなどから、調達先の産地を西日本にシフトして、輸出を一本化する対応は当面、継続せざるを得ない状況のようだ。

また、同日系スーパーマーケット関係者によると、日本産から非日本産に産地をシフトしている品目も一部あるという。震災を市場参入チャンスとみた、韓国、台湾、米国産生鮮品のインポーターなどから、売り込み攻勢が続いている。特に、韓国産品のインポーターのアプローチは非常に積極的であり、韓国産オリジナル品種の代替品を売り込むのではなく、例えば、ピオーネなどの代表的な日本産の高級ぶどうをそのまま韓国産ピオーネとして、低価格の卸値を提示している。シンガポール人の消費者の多くは日本産の品質のよさと高級品としてのプレミアム感に価値を置いて、贈答品の用途で購入するケースが依然として多い。一方、他国・地域産は、安価な割には品質もよいということから、韓国などの他国・地域産の果物を好んで購入しているのは、むしろ、シンガポール在住の日本人に多い。

今後の小売市場における日本産食品の展望を、同日系スーパーマーケットの関係者に聞いたところ、他国・地域産の売り込み攻勢や消費者心理に配慮した産地シフトは依然として継続しているが、風評被害は収束し、震災前と同じ状況にまで回復していることもあり、日系スーパーマーケットとしては、日本食品の地道なプロモーション活動を継続して行っていくことが、何より重要であるとしている。特に、日本産の優位性を発揮できる生鮮野菜はもとより、果物、水産品、肉類等においても、完全な流通の回復が期待され、現在、輸入禁止措置とされている8都県からの生鮮品等の輸入禁止措置解除が中長期的な課題と話した。

日本食レストラン—風評被害は見られず。日本食の外食業界は同業者の増加に伴い競争激化
シンガポール国内の日本食レストランの数は増加を続けており、正確な数は把握されていないが、外食向けに日本食材を卸している輸入業者によると、500軒以上といわれている。特に近年は、良好なビジネス環境が整っていることなどを背景に、シンガポール人の活発な消費意欲に狙いを定め、低価格の和定食メニューを提供するファミリーレストラン、ファーストフードやラーメン、カレーといったカジュアルさを売りにした日本の外食チェーンの進出が続いている。これら日本食レストランは、シンガポールの一般消費者の間でも日常的な食事処として親しまれている。震災発生直後から日本食の安全性への懸念や風評被害が増すにつれ、日本食の外食業界には小売分野以上の深刻な影響が見られ、一時は客足が50%減となった地場系の日本食レストランもあった。そうした深刻な状況のなかで、一部の日本食レストラン経営者たちが一丸となって協力し、震災復興支援キャンペーンと銘打った共通プリビレッジカードの発行や加盟店の売上の一部をチャリティー募金に回す動きなどが見られた。風評被害が当初懸念されたほど長く続かなかったことも幸いして、震災発生から6カ月が経過したシンガポールの日本食の外食業界は、すでに震災発生前の状況に回復し、特に週末や食事時には、日本食レストランの店頭に行列が並ぶ光景が見られるようになっている。

一方で、シンガポールで日本食のファミリーレストランを複数店舗経営する会社経営者にヒアリングしたところ、震災の影響とは別の観点での指摘が寄せられた。シンガポールの日本食の外食業界は、飽和状態を迎えているというものである。同経営者の各店舗は、ローカル客で賑わっているにもかかわらず、売上は、前年同月比を超えない状況が続いているという。シンガポールの人口わずか500万人という小さな市場に対して、日本食ビジネスへの参入者が急激に増えた結果、高級なものからカジュアルで安価なものまで、消費者の間で日本食の選択肢が急激に増えたことにより、特にシンガポール人の消費者の間で、日本食に対する価格相場が相対的に下落している。低価格傾向を意識しなければ、移り気の早いシンガポール人の顧客をとどめることは容易でなく、実際、人気となっているのは、1人1食あたり20シンガポール・ドル(Sドル、1Sドル=約60円)を下回る価格で食事を提供するファミリーレストランタイプの店や、ラーメン、カレーなどのカジュアルなスタイルの店舗が多い。今後も日本からの外食業界の進出が見込まれるところ、消費者はすでに多くの日本食の選択肢に囲まれていることから、日本食ブームといえども、価格競争に十分対応していかなければ、生き残りは困難になっていくものと見込まれる。

対シンガポール食品・飲料輸出—震災後も、シンガポール向けは増加を続ける
財務省貿易統計(確報、ジェトロまとめ)によれば、日本からの食品輸出(対全世界)は、2010年に過去最高値となる前年比19.6%増の43億1,885万ドルとなる過去最高値を記録したが、震災発生を機に、月次ベースでは4月の前年同月比が10.3%減、5月が同16.6%減と軒並み2ケタ台の減少が続いた。一方、シンガポール向けの日本からの食品輸出は、08年の前年比が29.4%増の1億531万ドル、09年が同7.4%増の1億1,305万ドル、10年が同19.4%増の1億3,504万ドルとなり、年々増加している。特筆すべきは、震災発生以降、シンガポール向けの日本からの食品輸出全体でみると、4月の前年同月比が1.8%増、5月が同11.3%増、6月が同20.8%増となり、7月に至るまで対前年同月比ベースでの増加を続けたことである。その背景を品目別にみると、AVAによる輸入規制の影響を受けない非生鮮品・加工食品が、シンガポール向けの食品輸出の82.8%を占め、同品目が震災以降も、前年同月比で4月が2.5%増、5月が同15.4%増、6月が同24.1%増、7月が同9.5%増、8月が同20.4%増と増加したことが、食品輸出全体の増加要因となっている。他方、輸入規制の影響を直接受ける生鮮品(野菜、果物、水産物、肉)は、市場の反応に合わせて、前年同月比で4月が1.9%減、5月が同11.5%減、6月が同3.2%減、7月が同56.3%減、8月が同27.1%減となった。しかし、日系スーパーマーケットの関係者からは、「現在の緩和基調を踏まえると、早ければ、12年前半には段階的な輸入規制の解除が見込まれる」という声も聞かれ、シンガポール向けの日本からの食品輸出の増加傾向は今後も続くものと思われる。

日本の食品分類別輸出統計(対世界/対シンガポール/生鮮・非生鮮)
(上段:輸出額100万ドル、下段:前年比%)

(注)標準国際貿易商品分類(SITC)改訂第4版における、第00~11類を対象としている。
(資料)「World Trade Atlas」(Global Trade Information Services, Inc.)

今後のシンガポールの日本食市場の展望
シンガポールの日本食を取り巻く環境は、総じて、震災前の状況にまで回復したと言えるようだ。日本から輸入される食品に対する放射能検査に関する規制措置では、放射能検査の対象品目、検査実施体制、必要添付書類の明確化等がなされており、実際の手続きもシステマチックに実施されている。産地証明書の取得等の煩わしさは残るが、関係事業者からは、向こう半年から数年の間はやむを得ない措置として特段問題視する声は聞かれない。現在でも生鮮品などで輸入禁止が続く8都県の産地からの輸入解除が待ち望まれるところではあるが、震災発生から6カ月が経過したシンガポールでは、一般消費者の日本食品に対する懸念は極めて限定的であることから、今後は、震災発生以前と同様の日本食の輸出プロモーションの取り組みを継続していくことが重要と思われる。

小売分野では、日本産の優位性が発揮できる生鮮品などを中心に、品質が重視される傾向が続いていくと思われるが、外食分野は、高所得層から一般消費者層まで広く、シンガポールの人々の身近な存在になったと同時に、市場としては、飽和状態に近づき、パイの取り合いになっているとの指摘もある。今後も続々と日本の外食チェーンなどのシンガポール進出が見込まれることから、外食分野は、今後、価格面を重視した過当競争の時代に突入していくと思われる。