外食産業の動向 ‐ 本物志向の日本食レストランとフレンチレストランの成功
2010年10月
分野:食品・農林水産物
景気後退はすでに終わったとの見方がある。一方で、失業率は依然として高止まりしており、米国経済は依然先行き不透明な状況にある。そんな中、ニューヨークの日本食レストランの状況はどのようなものであろうか。今回は現場の生の声を探るべく、日本人が経営し、かつ現地で人気のある19店の日本食レストランに聞き取り調査を行なった。
全米平均を上回る増加率
2009年度のジェトロ農林水産部の調査「 米国における日本食レストラン動向 」調査によると、2010年における全米の日本食レストランの店数は1万4,129軒で、10年前(2000年、5,988軒)と比べて2.36倍、5年前(2005年、9182軒)の1.53倍と、飛躍的に増加している。
ニューヨーク州の日本食レストランの軒数は、2010年が1,439軒で、全米の約1割にあたり、2000年(523軒)の2.75倍、2005年(833軒)の1.73倍と、全米の平均を大幅に超えた伸び率になっている。特に、ラーメン、そば、炉端焼き、焼き鳥といった専門店が増えていることが最近の特徴である。ちなみに、2010年の全米1位はカリフォルニア州の3,963軒である。
カリフォルニア州の軒数が圧倒的に多いが、例えばロサンゼルスでは客層に日本人向けと米国人向けというように大きな差が感じられる部分がある。その点、ニューヨーク市内で人気のある日本食レストランでは、そのような差が余り無く、混じり合っている印象がある。
アジア系の取り込みがカギ
今回の聞き取り調査は、ニューヨーク市で人気のある日本人オーナーの店を対象とし、客単価で大きく2つのグループに分けた。まず、客単価50ドル以上の店(ランチの平均:25ドル、ディナーの平均:65ドル)を高級店グループとし9軒、50ドル未満の店(ランチの平均:17ドル、ディナーの平均:28ドル)を普通店グループとし10軒に協力をお願いした。
メニュー別では、高級店グループが、すし・和食店4軒、和食店1軒、精進料理店1軒、懐石料理店1軒、炉端焼き店1軒、日本酒バー1軒であり、普通店グループは、すし・和食店1軒、和食店3軒、しゃぶしゃぶ店1軒、豚足料理店1軒、そば店1軒、ラーメン店2軒、フュージョン店1軒であった。
客層は、日本人の割合が高級店グループで平均25%、普通店グループで20%と、高級店の方がやや多かったものの、ほぼ同じような割合だった。いずれにしても、日本人以外の客層が大半を占めている。
注目すべきは、アジア系の割合が、高級店グループのほぼ半分の店でアジア系の割合が平均30~40%、普通店グループの7軒で、アジア系が平均40%と高かったことだろう。
ニューヨーク市におけるアジア系移民の多さ(※1)と共に、米や麺などアジアをルーツとする食品も多く、アジア系にとって親しみやすいということが、アジア系が多い要因と考えられる。
また、ある日本食レストランの店員によれば、「中国人や韓国人などアジア系の客は味覚がより敏感なので、価格に味がつり合っていれば固定客になる。アジア系の固定客が安定していると、その店の経営は安定する」と述べている。確かに、本調査の対象店は、アジア系の固定客を取り込むことが、少なくともニューヨーク市においては、重要なポイントになるといえそうだ。
※1, 2000年の国勢調査によれば、アジア系人口が全米平均で4%に比して、ニューヨーク市は10%となっている。
伝統の味にこだわった営業で成功
高級店、普通店両グループともに、ほとんどの店が、正統な日本食、日本の本物の味の提供を目指している。
ニューヨーク市で外国レストランが成功する要因を、調査対象店に尋ねたところ、米国人に合わせた味を提供するか、正統な味を提供するかのどちらかだろうとの答えが多かった。この点に関していえば、対象店のほとんどが、基本的には後者の戦略をとっていることになり、それが、成功していることになる。
日本食レストランの数が飛躍的に伸びているとはいっても、日本人以外の経営者が大幅に増えているのが現状だ。ある日系の流通業者によると、日本人オーナーは約2割、中国人が約5割、韓国人が約3割というイメージを持っているという。
これら、アジア系オーナーの店が提供する日本食は、日本人から見ると「正統」とはいえないものも多くある。もちろん、おいしければ問題はないが、単に日本食ブームに乗っただけで、本物の味でもなくフュージョンでもなかったような店は、今回の不況で閉店を余儀なくされている。
このような正攻法の戦略が可能となったのも、日本食が米国人の間に浸透して、米国人の側に正統な日本食を受け入れる知識と違いがわかってきたことも一因としてあるだろう。すしを食べたこともなかった米国人にとっては、まず、カリフォルニアロールが精一杯の冒険であり、最初から正統派の日本食を味わうことは難しかったと考えられる。
また、米系のマネジメント・チームが展開する日本食レストランも増えつつある。米国人に向くフュージョン料理を研究して提供しているため、順調な店も多いようだ。
しかし、フュージョン料理で勝負していくには、米国人の好みがしっかりとわかっていなければ難しい。対象店のなかには、米国人向けにアレンジをしている店はあるが、それでも、基本的には日本の本物の味にこだわっており、そのような店も含めて、正統派の戦略を取っている店がほとんどのようである。
以下に対象店の営業方針をグループ別に列挙した。
- 高級店グループ
-
- 本物を日本から持ち込み、こだわりをつらぬき営業する。早期の収益を求めず、質の向上に全力を尽くす。
- 創業時から変わらず、きちんとした日本のすしを米国の客に提供する。
- 現在では、形を変えた日本食が多いなか、正しい日本食を米国に紹介する。
- 日本酒と日本食を通して、日本の素晴らしい文化を紹介していく。
- 本格的な日本食とともに、米国人向けにフュージョン料理にも力を入れている。
- 普通店グループ
-
- 米国人に合わせて味を変えるのではなく、日本の味をそのまま提供する。
- “Real Japaneseをニューヨークへ、そして世界へ発信”をモットーに営業。
- 日本の家庭料理を主として提供する。
- 絶対多数である米国人が対象。従って、米国人の好みに合わせる形で、料理をアレンジする。
売り上げ動向
高級店グループでは、リーマンショックの影響を挙げる店もあったが、思ったほどではなく、最近の売り上げは順調とする店が多かった。普通店グループでは、売り上げが上昇あるいは安定していると答えた店が半数以上だったが、リーマンショックで売り上げが減少した店や、酒類の売り上げが減ったという店もあった。
一般的に、リーマンショックの影響を強く受けたのは高級レストランだといわれているが、この調査で見る限り、それほど極端な影響は見られなかったようである。
ニューヨークの客層の特徴として、不況時にも購買力が高いミドルアッパー層が厚いことがあげられる。これらの客層向けの質の高い本格的な料理を提供している日本食高級店は、不況の影響も少なかったと考えられる。
普通店グループで売り上げに影響が出ていたのは、ラーメンやそばといった専門店ではなく、和食の店やフュージョン店だった。酒類の売り上げが落ちたのも、これらの店に多かった。不況に強い富裕層が固定客についている高級店と、比較的低価格の専門店の間に位置する和食店が、不況の影響を強く受けたとみられる。
以下に対象店の売り上げ動向をグループ別に列挙する。
- 高級店グループ
-
- 毎年、売り上げが5%前後上昇している。
- 安定している。
- リーマンショック後下がっているが、許容範囲。毎年、8月から9月前半は売り上げが若干落ちるが、2010年もそれは同じだった。
- 値段をあまり気にしない客が多かったが、2010年の夏は、観光客は少し注文を控える傾向があったかと思う。
- 普通店グループ
-
- 5期連続で上昇。
- 安定している。
- ここ2年ほどは、上がったり下がったりしており、安定していない。予期できない。
- 最近の傾向として、酒類の売り上げが若干落ちている。
- 2009年前半に売り上げが急落。その後、回復したものの、以前よりは減っている。
銀だらの西京焼きが人気メニューに
高級店グループでは、すし、刺身を中心に、従来から人気のある日本の正統派の料理を中心として人気があった。ニューヨークでは、高くても質のよい料理を提供する本格志向の店は人気がある。普通店では、それぞれ各店の特色を前面に出した料理が人気だった。
両者で、銀だら西京焼きが人気メニューに挙がったのは興味深い。この料理は、松久信幸氏がロバート・デ・ニーロ氏らとの共同経営で1993年にニューヨークにオープンして超人気店となった「ノブ」で、人気になったメニューである。英語では、「Broiled black cod with miso 」になるが、インターネットで検索すると、数多くの英語のレシピが出てくる。米国で新しい料理が人気となるためには、有名シェフの影響力が見逃せない。
人気メニューをグループごとに挙げると以下の通り。
- 高級店グループ
- すし、人気のあるすしシェフが握る「おまかせずし」、ちらしずし、オリジナルの巻物、刺身、懐石のコース料理、天ぷら、手打ちそば、銀だら西京焼き、海老しゅうまい、たこのやわらか煮、牛フィレの石焼、ステーキなど。
- 普通店グループ
- 豚の角煮、銀だら西京焼き、季節を感じる料理(冬は、鍋、ふぐ料理など。夏は、はも、秋はまつたけを使った料理など)、博多もつ鍋、コラーゲンギョーザ、黒豚豚足のガーリックチャーハン、みそラーメン、いくらご飯、とんこつラーメン、ツナ・ミルフィーユ(スライスしたフジりんご、アボカド、ツナを重ねて、白しょうゆとアップルビネガーで食べる)
日本食レストラン取り扱い素材の現地化進む
高級店グループでは、素材の半分以上を日本産でまかなっている店が多かった。品目としては、鮮魚、日本酒が多く、調味料に関しては、日本産を使っている店と、米国産や他国産を使っている店とに分かれた。
普通店グループでは、日本産の日本酒、鮮魚、調味料を使っている店が何軒かあった一方、地元産の魚や調味料を調達する店も多かった。めん、そば粉が日本産の店もあった。全体的に見ると、高級店に比べて、日本産食材を扱う割合は低かった。
仕入れは、日本の親会社経由で仕入れている店を除いて、すべての店が在米日系の流通業者を通していた。
今後関心のある日本産食品に関していえば、高級店グループでは、鮮魚、旬の魚、高級な調味料(しょうゆ、みそ、酢など)、野菜、果物、山菜、フリーズドライ食品などだった。普通店グループでは、さんしょう、ゆずこしょうなどのスパイス類、白ねぎ、生わさび、ゆず、かぼすなどの香味野菜、果物、ゆずやくりなどのリキュールなどが挙がった。
ただ、両グループとも、価格的に折り合えば使いたいとの前提であり、最近の円高を考えると難しいとの認識でも両者は一致していた。全体的に、米国内で満足できるものが調達できるのであれば現地産を使うという傾向も強かった。
ある日系の流通業者によると、日本食レストランのオーナーの8割が中国人や韓国人のアジア系であり、彼らは、日本産に特別こだわらない傾向があるため、日本食品の価格競争は今後ますます激しくなって、日本食材の現地生産が進むとみている。最近の円高要因も加味すると、日本食レストラン向けの日本産食品素材の売り上げを伸ばすことは、厳しい状況にあるといえるだろう。
高まるラーメン人気
ニューヨークで日本のラーメンが注目を集めたのは、2004年にとんこつ味のラーメン専門店が相次いでオープンしたことが始まりだ。その後、日本のチェーン店の進出もありラーメン人気は高まるばかりである。
日本食レストランの中でも、料理に特化した専門店が最近人気を博している。そのうち、最も勢いがあるのがラーメン店である。特に、最近のニューヨークにおけるラーメン人気には目を見張るものがある。ニューヨーク・タイムズ紙も、ラーメンを取り上げた記事をしばしば掲載している。日本のラーメン店の詳細な英語レビューのサイトもいくつかあり(※2)、日本のラーメンに対する関心の高さが伺われる。
レストランレビューの人気投稿サイト「 イェルプ 」でチェックすると、ラーメン専門店の数はまだまだ少ないが、ラーメンを提供するレストランまで含めると、その数は120軒を越えている。投稿されていない店を勘案すると、その数はさらに多くなるだろう。
※2, Ramenadventures 、 Ramenate
、 Ramen Tokyo
ニューヨーカーにとってのラーメン元年
1980年代から1990年代にかけて、サッポロ、 めんちゃんこ亭 (※3)、めんくい亭(※4)、来々軒など、ニューヨークにもラーメン店はあったが、ニューヨーカーがラーメンを「発見」した元年は、2004年といえるだろう。この年に、日本のレストランが集まる若者の街イーストビレッジに、 ミンカ
(※5)と モモフク
が相次いでオープンしてから、ラーメンが地元の注目を大きく集めるようになる。
さらに、2004年11月にニューヨーク・タイムズ紙が、「 ラーメンがやって来た、世界中でラーメンをすする音がする 」 というタイトルで、2ページに渡る記事を掲載した。ミンカ、モモフク、来々軒のシェフに取材し、また、ラーメンと聞くとインスタントラーメンしか思い浮かばない米国人のために、映画「タンポポ」のラーメンに言及し、ラーメンとは何か、日本の食文化におけるラーメンの位置づけ、日本人のラーメンへの愛、ラーメンの作り方、食材までを丁寧に論じたことで、それまでの人気にさらに拍車がかかった。これが、現在のラーメンブームに火をつけたといっても過言ではないだろう。
※3, 2店舗を展開
※4, 2004年に第2号店を開店。
※5, 第2号店である「KAMBI」を2008年に開店。
濃厚な味がヒット
ミンカのオーナーシェフは、ニューヨーク在住の日本人ミュージシャンの鎌田成人氏であり、モモフクのオーナーシェフは、韓国系米国人のデビッド・チャン氏である。鎌田氏は、料理人としては全くの素人だったが、日本の桂花ラーメンの大ファンで、その味を再現するべく研究を重ねて、創り上げたラーメンが当たった。桂花はとんこつラーメンであるため、開店当初は、食べ慣れないとんこつスープにとまどいを示す米国人もいたそうだが、結果的にはこの味が受け入れられることになる。
チャン氏は、ニューヨークのレストランで働いた後、日本のラーメン店で修行をし、ニューヨークに戻って、モモフクを開店した。日清食品の創業者、安藤百福氏の名前を想起させる店名からも、日本のラーメンに対する情熱が感じられる。チャン氏は、米国人に敬遠されがちな、こんぶやかつおだしではなく、ベーコン、鶏、豚などからだしを取っている。この味が米国人に受けたのである。
ニューヨーク・タイムズ紙の記事でも、同ラーメンのスープについて、「濃厚で肉系であり、ほかの日本料理のスープと全く違う」という印象が書かれている。それまでのニューヨークには、しょうゆ味のさっぱり系のラーメンが多かったが、とんこつやベーコンなどのだしをベースにしたリッチなスープに、人気の出た大きな要因があったようだ。
日本の人気チェーン店が続々オープン
その後、2005年に 山頭火 ミツワ店がオープン。このあと、2007年に せたが屋
、2008年に 一風堂
、2009年に寺川ラーメンと、日本のラーメンチェーンの進出が続く。せたが屋は、和風だしと鶏がら・とんこつスープの組み合わせ、ほかの店も基本的にとんこつ味のスープが基本となっており、やはり濃厚な味が好まれていることがわかる。
中でも話題をさらったのは一風堂の開店だった。ニューヨーク・タイムズ紙は、「こんなに素晴らしいラーメンが食べられるならば、会話も連れもいらない」と褒めちぎり、開店翌年には、日本のラーメン店では初めて、ミシュランガイドにも掲載された。レストランの投稿レビューサイト「イェルプ」では、現在約1,800ものレビューが投稿され、4つ星(5つ星が満点)を獲得している。ちなみに、モモフクのレビューは約880で3.5星、ミンカは330で4つ星、その他の人気ラーメン店のレビュー数も100から200台であり、その反響の大きさがわかるだろう。
一風堂の特色は、その営業戦略がほかのラーメン店と一線を画している点にあるといわれる。ほとんどのラーメン店がラーメンハウスとして、9ドル前後でラーメンを提供しているのに比べて、一風堂はレストランとして、ラーメンを提供している。人気のある赤丸および白丸ラーメンの価格は14ドルで、他店の約1.5倍にもなる。しかし、しゃれた店構えとモダンなインテリアでラーメンダイニングをうたい、酒を飲みつつ、多様な前菜やデザートと共にラーメンを楽しんでもらおうというコンセプトがヒットした。
この路線は、どこのラーメン店がやっても成功するとはいえない。ラーメンのおいしさは大前提ながら、それだけではなく綿密なマーケティングとマネージメントも必要となるからだ。唯一、ラーメンの価格が12~16ドルするモモフクは、ファッショナブルなイメージでフュージョン料理を出すレストランとして成功している。
売れ行き好調のラーメン関連食材
日系の大手流通業者によると、ラーメンブームに伴い、ラーメン関連の食材(麺、スープ、なると巻き、メンマなど)が売れているという。ちなみに、麺に関していえば、一風堂は自家で製めん、山頭火は日本から麺を仕入れているが、ニューヨークでラーメンを提供する店の多くは、地元産のめんを使っているようである。
2010年に入っても、地元のオーナーと日本の業者が提携して開店した、トットラーメンと秀ちゃんラーメンが、ニューヨーク・タイムズ紙で取り上げられるなど、ニューヨークのラーメンブームは当分続きそうである。ただ、今のところは、一風堂的なスタイルではなく、ラーメンハウスとしての開店が続いている。
ヌーベル・キュイジーヌが成功した要因
現在、ニューヨークで最高級ランクに位置づけられるフレンチレストランの成功は、有名シェフによる1980年代のヌーベル・キュイジーヌの紹介から始まったといわれている。
ニューヨークでは数多くの外国レストランがひしめいている。しのぎを削り、淘汰されていく店も数多い。その中でひときわ大きな存在感を示しているのは、フレンチレストランだろう。
ザガット・ニューヨーク・シティ・レストラン2011では、 リストアップされている全2,115店のうち、162店がフレンチで、イタリアンの366店にははるかに及ばないものの、トップ50フードでは、29の最高点(30が満点)を取った1店を含めて、上位8位のうち6店にフレンチがランクされている(※6)。サービスでも上位6位はすべてフレンチだ。インテリアでは1位の座をアジア系米国人(Asian American)の店に譲ったものの、6位までに3店がランクされている。
2011年版のザガットでは4万569名の地元の人々が評価を下している。ミシュランガイドと異なり、ザガットでは基本的にニューヨークに住む人々の好みが反映されているわけで、その結果を見る限り、フレンチレストランがニューヨーカーの間で、味、サービス、インテリアの質、全てを含めた面で、最高ランクに位置づけられていることに間違いはないと思われる。
※6, ちなみに、後の2店はジャパニーズとアメリカンである。
フランスにおける変革
現在のようなフレンチレストランの活況はどのように生まれてきたのだろうか。それにはまず、フランス本国での状況を見る必要がある。
フランス料理は現在でも、各国の外交儀礼時の正餐として用いられることも多く、その格式の高さは世界中で認められているところである。こういった機会に採用される料理はオート・キュイジーヌ(高級料理)と呼ばれ、厳格な調理法に従って作られるべきものとされている。その場合の手引書が1903年に出版され、フランス料理のバイブルと呼ばれているエスコフィエによる「料理の手引き」である。この本に忠実に従って料理を作ることが基準となり、またその基準ができたことによってフランス料理は世界中に広まっていった。
しかし、この厳格な基準は同時に、料理人の自由な発想や試みを縛る結果となり、1970年代に入ってから、オート・キュイジーヌに反発する料理人ポール・ボキューズらが、新しい料理ヌーベル・キュイジーヌを提唱するようになる。それは、調理をいたずらに複雑にせず、軽いソースやヘルシーな素材を使って創造性を追及するというものだった。ボキューズらには、日本の懐石料理などの盛りつけや素材を生かす料理法も、影響を与えている。
ブーレーによるヌーベル・キュイジーヌの紹介
このヌーベル・キュイジーヌをニューヨークに紹介したのが、ポール・ボキューズ氏ら著名なシェフのもとで経験を積み、1980年代前半にフランスから戻ってきたシェフ、デビッド・ブーレー氏だった。ニューヨークのフレンチレストラン業界に詳しいジャーナリストのM氏によれば、ニューヨークにおける新しいフレンチ、ヌーベル・キュイジーヌの流れは、ここから始まったという。以下、M氏の話を基本に、記述してみたい。
1987年、レストラン「ブーレー」をオープンしたブーレー氏は、懐石にも似た多皿の創作的で、かつ軽くて胃にもたれないヌーベル・キュイジーヌを紹介し、それまで古典的なフレンチしか知らなかったニューヨーカーの間に、センセーションを巻き起こした。この店は、ジャケット&タイというドレスコードがあるそれまでのフレンチレストランの堅苦しさからも脱して、ニューヨークらしいカジュアル・エレガントで入店できる店であったことも、人気の要因となった。
「ブーレー」は、1991年から閉店する1996年まで、ザガットのフードとポピュラリティ(人気)部門で1位を獲得、1991年にザガットが、7,000人の評者を対象に「最後の食事をどこで取りたいか」と質問をした際には、圧倒的多数の人が「ブーレー」の名を挙げている。そして、現在、ニューヨークで人気のあるフレンチレストランの半分は、「ブーレー」で経験を積んだ若手たちの店とのことだ。ブーレー氏がもたらしたものはトマトウォーター、各種のハーブ・オイル、そして濃厚なチョコレートスフレで、これが1990年代から今のニューヨーク・フレンチの土台を作っている。
さらに、ニューヨークのフレンチが1990年代後半から2000年代初期に飛躍したのは、異なる国でミシュランから3つ星を得た史上初のシェフであるアラン・デュカス氏がフランスから乗り込んできて、「アラン・デュカス・アット・ジ・エセックス・ハウス」を開店、メディアがフレンチに注目したことも一因だという。
好景気による後押し
こういった有名シェフの存在が、各国レストランの流れに果たす役割は非常に大きいものがある。とはいっても、シェフの存在だけで、高級かつよりヘルシーなイメージを持つヌーベル・キュイジーヌ(フランス料理)という一分野のブームを作り出すことは難しい。
まず、ヌーベル・キュイジーヌとはいっても、もともと格式が高いフランス料理の延長線にあるものだ。オート・キュイジーヌよりカジュアルではあっても、高級なイメージを持つフランス料理の敷居の高さが、まず要因として挙げられる。
さらに、経済的な要因も大きい。クリントン政権時代にニューヨークの景気が良くなり、金融バブルに沸く銀行家たちが、より高価なフレンチに金を落とし、そこにワインブームも重なった。世界で一番潤沢に金が落ちる町マンハッタンで、高級フレンチレストランが求められ、有名シェフの登場もあり、さらにそこに、レストランビジネスが殺到したという図式である。
従って、フランス料理が持っていたもともとの格式の高さ、ヌーベル・キュイジーヌという新しい料理を生み出した創造性、そこに、ニューヨーカーに好まれるカジュアル性と、さらに経済的な要因が加わったところに、ニューヨークにおけるフランス料理、ヌーベル・キュイジーヌがここまで発展した要因があるようである。
(ニューヨーク・センター)