知財判例データベース 双極性障害の医薬用途発明の薬理データについて明細書の記載要件を満たしていないとした大法院判決の事例

基本情報

区分
特許
判断主体
大法院
当事者
原告 A社 vs 被告 B社等
事件番号
2017フ1854登録無効(特)
言い渡し日
2021年04月29日
事件の経過
確定

概要

薬理効果の記載が要求される医薬用途発明においては、その出願前に明細書記載の薬理効果を示す薬理機序が明確になっている場合のような特別な事情がないときは、特定物質にそのような薬理効果があることを薬理データ等が示された試験例として記載するか、またはこれに代えることができる程度に具体的に記載してこそ明細書の記載要件を満たすと言うことができる(大法院2001年11月30日言渡2001フ65判決など参照)。本件において特許発明は、精神分裂症の治療用途として既に知られていた有効成分であるアリピプラゾールに対して双極性障の治療用途を新たに発明したことを内容としており、特許明細書にはアリピプラゾールが5-HT1A受容体に高い親和力を有する細胞実験結果が記載されている。これに対して大法院は、アリピプラゾールの双極性障害の治療効果に関する具体的な記載がなく、薬理機序が明確になっている場合でもないため、明細書の記載要件を備えていないと判断した。

事実関係

原告は、被告を相手取って特許審判院に「5-HT1A受容体サブタイプ作用物質」を発明の名称とする特許発明の進歩性が否定され、また、薬理データに関する明細書の記載要件を満たしていないことを主張しながら登録無効審判を請求した。特許審判院は、2016年10月28日付で特許発明は先行発明により進歩性が否定されず、明細書の記載要件も満たしていると審決した。これに対して原告は、特許法院に審決取消訴訟を提起し、明細書の記載不備のみを主張した。

審決において、明細書の記載要件を満たしていると判断した根拠は、次のとおりである。

  1. 一般に双極性障害(bipolar disorder)は、気分が非正常に高揚した状態となる躁病(mania)と気分が沈むなどの否定的な感情が現れるうつ病(depression)が交互に現れる疾病として感情の障害を主要症状とする内因性精神病であり、双極性障害において交互に現れる躁病とうつ病が一般的な躁病およびうつ病と薬理機序が同一であることは、本件特許発明の優先日以前に本発明の属する技術分野において広く知られていた事実であること。
  2. オランザピン、クロザピンまたはリスペリドンなどのD2ドーパミン受容体拮抗剤が双極性障害の躁病治療に効果的であり、特許発明の有効成分であるアリピプラゾールもシナプス前ドーパミン作用性自己受容体作用物質の活性、シナプス後D2受容体拮抗物質の活性およびD2受容体の部分的作用物質の活性を有することが特許発明の優先日以前に公知となっていたため、通常の技術者であれば、D2ドーパミン受容体拮抗剤であるアリピプラゾールが双極性障害の躁病治療に効果的であることを推察することができること。
  3. セロトニン受容体中において5-HT1Aサブタイプが抗うつ反応の重大な決定要因になり、5-HT1A受容体の部分的作用物質が大うつ病、内因性うつ病、メランコリーが伴う大うつ病および非定形うつ病の緩和に有用であることが特許発明の優先日以前に公知となっており、特許発明の詳細な説明からセロトニンはうつ病などと関連しており、セロトニン受容体(5-HT1A)の部分的作用物質はうつ病の治療に効果的であることが分かり、特許発明の実施例においては、アリピプラゾールがh5-HT1A受容体に関する部分的作用物質の効能を発揮することを確認した点などを総合的に考慮してみると、結局、特許発明の詳細な説明には、アリピプラゾールが双極性障害に薬理効果があることが、薬理データなどが示された試験例として記載されていると認められること。

これに対して特許法院は、下記(1)のように双極性障害の医薬用途発明の薬理データの記載要件基準を設定した上で、下記(2)のように特許明細書に当該基準に符合する記載がないと判断し、また、下記(3)のように薬理機序が知られており明細書に薬理データの記載が必要ではない例外的な場合にも該当しないと判断した。

  1. 双極性障害は気分が非正常に高揚した状態となる躁病エピソード(Manic episode)、気分が沈む等の否定的な感情が現れる憂うつエピソード(Depressive episode)、混合性エピソード(Mixed state)が交互に現れることを特徴とするが、双極性障害のうつ病エピソードを示す患者らの場合には、いつでも躁病、軽躁病エピソードに転換されることがあり、反対に躁病、軽躁病エピソードを示しながらも、うつ病エピソードに転換されることもあって、各症状がいつ発現されるか、発現様相はどのようなものかが予測できない特性を有している。したがって、明細書の記載要件を満たすためには、双極性障害患者に対してアリピプラゾールを投与する場合に躁病エピソード/憂うつエピソード/混合性エピソードに対する治療効果がある点、および上記各エピソードの治療と同時に他の症状への転換または他の症状の発現を抑制する効果があることが、その明細書に薬理データ等が示された試験例として記載されているか、これに代えることができる程度に具体的に記載されていなければならない。
  2. 明細書から、アリピプラゾールがD2受容体拮抗剤であると同時に5-HT1A受容体作用剤である点は把握されるが、双極性障害患者において憂うつエピソード/躁病エピソード/混合性エピソードの治療と同時に他の症状への転換または他の症状の発現を抑制する効果があることに関する具体的な記載はない。
  3. 特許発明の優先日以前に、5-HT1A受容体作用剤のうつ病治療効果に対する薬理機序およびD2受容体拮抗剤の躁病治療効果に対する薬理機序は、それぞれ明確になっていたと言うことができる。しかし、特許発明の優先日当時、D2受容体拮抗剤であると同時に5-HT1A受容体作用剤である薬物の双極性障害治療効果に対する薬理機序が明確になっていたとは言い難い。

これについて被告は、特許発明の優先日当時、5-HT1A受容体作用物質のうつ病治療効果に対する薬理機序が確立しており、単極性(大)うつ病と双極性うつ病の薬理機序は同一であると言うことができると主張する。仮に単極性(大)うつ病と双極性うつ病を共通の症状として取り扱い、臨床的に共通の治療手段を適用して治療効果を得たとしても、このような事情だけでは、「5-HT1A受容体作用剤の単極性(大)うつ病治療効果に対する薬理機序」が「D2受容体拮抗剤であると同時に5-HT1A受容体作用剤の双極性うつ病治療効果に対する薬理機序」と同一のものであると言うには不十分であり、その他にD2受容体拮抗剤であると同時に5-HT1A受容体作用剤の双極性うつ病治療効果に対する薬理機序が明確になっていたことを認める証拠がない。

クロザピン、クエチアピン、ジプラシドンがD2受容体拮抗剤であると同時に5-HT1A受容体作用剤として機能し、躁病およびうつ病の症状を改善する効果がある点が知られているとしても、このような事情だけでは、アリピプラゾールの場合にも双極性障害治療効果があると推定されるだけで、上記薬物と異なる化学構造を有するアリピプラゾールにおいても、その効果に対する薬理機序が同一に適用されるはずであるとは断定できない。

上記特許法院の判決に対して被告は大法院に上告した。

判決内容

大法院は、原審の理由説示に一部適切でない部分はあるとしながらも、特許発明が薬理データに関する明細書の記載要件を満たさないとした原審の判断に誤りはないと判断した。具体的な大法院の判示内容は、次のとおりである。

  1. 特許発明の明細書の発明の説明には、本件化合物の強力な部分的5-HT1A受容体作用物質が、双極性障害などを誘導する5-HT1A受容体サブタイプに関連した中枢神経系の多様な障害に有用であると記載されているだけで、本件化合物にそのような薬理効果があることが、薬理データなどが示された試験例として記載されておらず、そのような試験例に代える程度の具体的な記載もない。
  2. 単極性うつ病と双極性障害における双極性うつ病は、精神病理学、病態生理学、薬理学的反応などにおいて相違する疾患として、疾患の概念・診断・治療方法などが異なる。特許発明の優先日当時、5-HT1A受容体作用物質としての活性が単極性うつ病に薬理効果を示すとの薬理機序が明確になっていたとしても、5-HT1A受容体作用物質の活性が双極性うつ病に薬理効果を示すという薬理機序まで明確になっていたと言うことはできない。当時、5-HT1A受容体作用物質の活性が双極性うつ病を治療するという実験結果が公知となっていたと見ることも難しい。
  3. 特許発明の優先日当時、アリピプラゾールがドーパミン受容体中の1つであるD2に関連して、シナプス前ドーパミン自己受容体作用物質の活性、シナプス後D2受容体拮抗物質(antagonist)の活性、およびD2受容体の部分的作用物質(partialagonist)の活性を有する点は知られていた。しかし、特許発明の明細書の発明の説明には、アリピプラゾールのD2受容体に関する上記のような活性により本件化合物が双極性障害に薬理効果を示すとは記載されていない。当時、D2受容体拮抗物質などの活性と5-HT1A受容体作用物質の活性とが共に発揮されて、双極性障害に薬理効果を示すという薬理機序が明確になっていたと言うに値する資料もない。
  4. したがって、特許発明の明細書の発明の説明には、本件化合物が5-HT1A受容体作用物質の活性により双極性障害を治療する薬理効果を有することが、薬理データなどが示された試験例等として具体的に記載されておらず、その優先日前に明細書に記載された薬理効果を示す薬理機序が明確になっていたと言うこともできないため、特許発明は明細書の記載要件を満たすことができないと言うのが妥当である。

専門家からのアドバイス

本件は、精神分裂症の治療用途として既に知られていた有効成分であるアリピプラゾールに対して双極性障害の治療用途を新たに見出したことを特許発明の内容とする、いわゆる医薬用途発明の記載要件を争ったものであった。

一般的に医薬用途発明において、明細書に薬理データを示す具体的なデータが含まれていない場合には、明細書の記載要件が問題となる。これに関連して、本件特許の明細書には具体的なデータが全くなかったわけではなく、一部のデータは記載されていた。すなわち、本件においては、双極性障害の躁病症状に関連してアリピプラゾールがドーパミン受容体中の1つであるD2に作用する物質である点が知られているとともに、双極性障害のうつ病症状に関連してアリピプラゾールが5-HT1A受容体作用物質である点が明細書に細胞実験結果として記載されていた。こうした点により、特許審判院は明細書の記載要件が問題にならないものと判断したが、特許法院と大法院はそれとは異なる判断をしたというのが、本件判決であった。

具体的に、特許法院と大法院は、5-HT1A受容体作用物質が単極性うつ病を治療できることは既に知られているものの、双極性障害のうつ病治療と単極性うつ病治療とは互いに異なるという点に鑑みると、本件特許の明細書でアリピプラゾールが5-HT1A受容体作用物質である点を明らかにしたということだけでは双極性障害のうつ病治療にも有効なはずであると認めることはできず、明細書に双極性障害の治療効果に関して具体的なデータは記載されていないと言うべきであると判断した。さらに、アリピプラゾールのようにD2受容体拮抗物質などの活性と5-HT1A受容体作用物質の活性とを共に有する化合物が双極性障害に薬理効果を示すとの薬理機序が明らかになっているとも認められないため、明細書において薬理データの記載が必要ではない例外的な場合にも該当しないと判断した。

本件は、医薬用途発明の場合に、明細書に厳格な薬理データの記載が要求される従来の見解を韓国の法院が再度確認した事例であったといえる。したがって実務的に医薬用途発明に関する出願をするにあっては、その明細書作成の段階から特許が無効になりづらい出願戦略を図ることが大切であり、本件判決はその際に参考にできよう。

ジェトロ・ソウル事務所知的財産チーム

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