ダウェーSEZ開発には道路整備が不可欠-「ダウェー経済特別区(SEZ)視察ミッション」の報告(1)-

(タイ)

バンコク発

2018年03月30日

ジェトロバンコク事務所およびヤンゴン事務所は、2月26日~28日に「ミャンマー・ダウェー経済特別区(以下、ダウェーSEZ)視察ミッション」を実施した。参加者は、ダウェーSEZを視察した他、関係機関や現地政府を表敬訪問した。ダウェーSEZ開発の現状を2回に分けて報告する。第1回は、開発に係る経緯およびバンコクとダウェーSEZをつなぐアクセス道路の整備状況について報告する。

繰り返し頓挫した開発計画

ミャンマー南部のダウェー経済特別区(以下、ダウェーSEZ)は、ヤンゴンから約600㎞南に、タイのバンコクから西340km位置し、アンダマン海に面している。今後のインドやアフリカとの海上貿易拡大を考えた場合、地政学的に重要な位置にあると言える。

タイのゼネコン最大手である、イタリアン・タイ・デベロップメント社(以下、イタルタイ社)は1996年、輸出型経済特区開発であるダウェーSEZの開発を当時のミャンマー軍事政権との間で合意した。しかし翌97年にはアジア通貨危機を背景に同計画は頓挫した。

2008年、今度はミャンマー・タイ両政府により、ダウェーSEZ開発の再開が合意され、開発権が再びイタルタイ社に付与された。しかし、同社による工事が進展しなかったため、2012年両政府はプロジェクト遂行に関する特別目的会社(SPV)を設立し、政府主導で実施することを決定した。

その後の開発業者を選定する入札で、再度イタルタイ社が応札したものの、工事の進捗は芳しくなく、こうした状態が現在まで続いている。工事に時間がかかる背景には、ダウェーSEZの規模の大きさがあると思われる。

期待される日本政府の関与

こうしたなか、タイ・ミャンマー両政府は2015年、日本政府に対して、先述のSPVへの出資を依頼し、日本政府は了承した。また、日本国際協力機関(JICA)も「(ダウェーSEZが立地する)タニンダーリ地域開発計画にかかる情報収集・確認調査」への協力を両国から求められている。ダウェーSEZ開発については、両国政府から日本政府に大きな期待が寄せられている。

バンコク・ダウェー間の道路、ミャンマー側に課題

さて、ダウェーSEZ視察ミッションの参加者(32名)は、2月26日午前6時、ジェトロバンコク事務所に集合した後、複数の車両に分乗し、バンコク市内を出発した。

地方を含め、タイ国内の舗装道路は状態も良く(添付資料写真1)、参加者は予定とおりミャンマーとの国境近くにあるイタルタイ社事務所に到着した(午前10時)。

その後参加者は、ミャンマーとの国境があるプーナムロン(タイ)に移動し、出国手続を行い(添付資料写真2)、ミャンマー側のティキに入り、入国手続きを行った。ティキの入国審査場では、簡素な建物で政府職員4名程が入国手続を行っていたが、ミッション参加者の入国手続は、約30分程度で無事に完了した(添付資料写真3)。

ティキの入国審査場を出ると、周辺道路はほとんど舗装されておらず、多くの溝や段差があり、ミッション団の車両は大きく揺れ始めた。

ミャンマー国内の道路整備の必要性

ミャンマーに入国して1時間40分を過ぎた頃、斜度16%の急こう配の難所(エレファントクライと呼ばれる)に到着した(添付資料写真5)。ここで休憩した後、再び揺れと格闘すること1時間程で、イタルタイ社が保有する「ミッタキャンプ」に到着した。ここで30分程度の昼食時間をとり、午後2時にはダウェーSEZに向けて再び出発した。

その後、さらに道路状況が悪化するなかをしばらく進むと(添付資料写真7)、先住民族カレン族の居住地があり、高床式の住居が点在していた。ここは数年前まで、ミャンマー政府軍とカレン族武装勢力との内戦があった場所である。道中で見かけた少年は機関銃を背負っており、紛争当時の面影が今も残っている。さらに悪路と格闘すること1時間でダウェーSEZの入口に到着した(添付資料写真8)。

ダウェーSEZからダウェー市内までは快適な舗装路となり、ミッション団は予定通りの時刻にダウェー市内のホテルに到着した。

バンコクを出発してから、約11時間でダウェーSEZに到着した。先述のとおり、ミャンマー国内の道路が舗装されていない他、道幅も狭く、産業用道路としての使用は難しい。ダウェーSEZ開発に向けては、ミャンマー国内の道路整備を中心に、バンコクからダウェーSEZへのアクセス道路の改善が不可欠だ。

(阿部桂三、渡邉健治)

(タイ)

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