ブラジル ‐ 「働かせ方」が変わる?

2017年9月15日

ブラジル独特の労働慣習は、同国の数あるビジネス面での障害の総称である「ブラジルコスト」の代表的な事例として紹介されることが多い。しかし、雇用側から見ても労働者側から見ても時代にそぐわなくなってきた統合労働法は、経済全体の回復が遅れる同国にとって、産業競争力や労働生産性の向上を目指す上で障害と見なされるようになった。統合労働法の改正案が2017年7月に上院を通過したことで、ブラジルの労働慣行にも変化の兆しが見え始めている。

独特の労働慣習

独特の労働慣習は、ブラジルに進出した外国企業が戸惑うことの一つだ。進出企業は事前にいくつかの重要なキーワードを頭に入れつつ労務実務を遂行する必要がある。そうしたキーワードの一つが、「疑わしきは労働者に有利に」である。これは労働法の根底に労働者保護の原則があるところから、雇用者側による労働者の不正などの立証は困難であるということを意味する。年間300万件におよぶ労働裁判で雇用側がほとんど敗訴しているといわれるゆえんでもある。

「権利不放棄の原則」というキーワードもある。これは「労働者は雇用者から与えられた権利を放棄できない」ということだ。仮に雇用者側が労働者に不利な方向に雇用条件を変更し労働者の同意を得て、それを書面などの形で残したとしても当該同意は無効と判断される。具体的には、いったん労働者側に与えられた手当などを取り上げることができないということだ。

この他、年間30日の休暇取得の際には、給与以外に別途休暇手当が支給されることや、労働者をレイオフする際には、労働者が加入する労働組合と協議の上、承認を得ることが必要である。このように、日本にはない手当や手続きの存在もあり、労務実務に多くの時間とコストがかかるのが現状だ。

なぜこのような労働慣習が生まれたのか。根幹にあるのが統合労働法である。同法はジェトゥーリオ・バルガス政権時の1943年に施行された。特定の支持政党を持たずに強権的な統治体制を維持したバルガス大統領は、資本家に対しては工業促進策を、労働者に対しては労働条件の改善と組合結成を促す統合労働法を制定するなど、対立する社会勢力双方に配慮した政策を打ち出し、政権のバランスを保った。その後、88年に定められた憲法は、さらに労働者階層に過度に配慮したものに仕上がった。同憲法が発布されたことにより、従来の統合労働法では認められていなかったストライキが認められ、その際、雇用側のロックアウトは禁止された。ブラジルの労働に関する法や規則は労働者の既得権益を保護し、改変しづらいものになっていった。

景気悪化が労働法見直し機運を高める

しかし、近年の景気後退を踏まえ、経済政策を誤ったとして批判を浴びた労働者党政権は中道勢力に政権を譲り渡した。現テーメル政権は、労働者・消費者側に過度に偏っていた経済政策を、より産業界・雇用者側にシフトさせた。また、資源価格の変動に経済が左右されないよう、産業競争力の強化や生産性の向上の必要性が叫ばれるようになった結果、それらの障害としての統合労働法の存在が意識され、改革の機運が高まったわけである。

景気の後退局面において企業側が給与引き下げを図ろうとしてもそれが認められず、こうした労働慣習が逆に労働者に不利に働く事例が多発したことも大きい。典型的な例としては、業績が悪化する企業の労働者が、たとえ給与引き下げを受け入れてでも職場にとどまりたいと考えたとしても、それができないため、結局解雇されるといったケースが該当する。

表:主な改革項目概要(―は該当なし)
項目 現行の統合労働法(CLT) 改正法
勤務時間 1日最大8時間および週最大44時間 週の労働時間はこれまでの44時間から48時間まで上限が拡大(ただし月間労働時間は220時間で不変)。また、1日当たりの労働時間も最大12時間まで可能、ただし、その後連続した36時間の休息が必要
これ以上の勤務時間についても労使間の合意があれば、残業が可能
拘束時間 拘束時間はすべて勤務時間とみなす 制服に着替る時間、食事時間、自習学習時間等は勤務時間とみなさない
通勤時間 会社が通勤のために移動手段を提供する場合、通勤時間を拘束時間とし、勤務時間とみなす 会社が移動手段を提供してもしなくても、通勤時間は拘束時間とみなされない。よって勤務時間とみなされない
昼休み時間 最低1時間 法律上は最低1時間であるものの、企業組合と労働組合の間での団体協約、または、企業と労働組合の間での団体協定があれば、30分に短縮することが可能
残業時間にかかる勤務時間振替制度(Banco de Horas) 残業時間は、企業組合と労働組合の間での団体協約、または企業と労働組合の間での団体協定があれば、1年以内に勤務時間と振り替えることができる 残業時間の勤務時間への振り替えを半年以内に行う場合には、企業組合と労働組合の間での団体協約、または、企業と労働組合の間での団体協定を必要とせず、労使間の合意があればよい
年次有給休暇 一度に30日間連続して取得しなければならない 年間30日取得しなければならないものの、労使間の合意かつ労働者の承諾があれば、3回に分割できる
パートタイム 勤務時間は週最大25時間。残業は認められない 勤務時間は週最大25時間で週6時間まで残業可能。あるいは勤務時間は週最大30時間で残業を認めない
在宅勤務 [新規追加]必要に応じて在宅勤務を認める。在宅勤務では勤怠管理は行わず、勤務内容は雇用主が定める
臨時雇用契約 臨時雇用期間は最長90日間
1度に限り契約更新が可能
臨時雇用期間は最長180日間。引き続き1度に限り90日間の契約更新が可能
解雇 任意退職請求または労働契約解除に関する完済証書は労働者の所属組合の扶助または労働省当局の前に行われたものでなくては効力を有しない 左記取り消しとともに、レイオフ実施に際しては組合の事前的な承認も労働団体合意、協約も不要
女性の勤務体制 妊娠期間中および授乳期間中は不衛生とされる環境では勤務できない 妊娠期間中および授乳期間中であっても医師の診断書があれば柔軟に対応できる
注:
2017年7月15日現在のもの。今後、暫定措置などで修正の可能性あり
資料:
法律13.467号(労働法改正法)を基に作成

また景気の状況にかかわらず、労働者が企業内でさまざまな業務を経験し、それをキャリア形成に生かしたいと考えたとする。だが、雇用者側がそうしたキャリアアップメニューを設けていないこともある。労働契約書の書き換えや労働省への届け出が義務付けられており、煩雑なためだ。これは労働者にとって、長期キャリア形成という視点から見るとマイナスだ。さらには、同法が現代の多様なライフスタイルに合っていないのは明らかだった。例えば、インターネットが普及する中、労働者が自身のライフスタイルに合わせて自宅で勤務したくてもできないのだ。

雇用側から見ても、各種手当や業績に応じたインセンティブの付与に躊躇(ちゅうちょ)してしまったり、多くの業務を経験させることができずに幹部人材の育成に支障を来したりすることは当然マイナスに働く。繁忙期やトラブル対応が急務であるような場合でも、就業時間の制約(残業時間は1日当たり2時間まで)があるためにそれができなければ、実害を被ることにもなる。

改正法案通過が人材育成を容易に

労働法改革は、テーメル政権が掲げるもう一つの重要な改革である年金改革と比べるとくみしやすいものではあった。大統領が民間企業から賄賂を受け取った疑惑が表面化したことなどもあって、国会通過を危ぶむ声もあったが、17年7月11日、賛成50、反対26により上院で労働法改正法案が可決された。14日には官報に掲載され、120日後に施行されることになった。主な改正点は表のとおり。

本改正は、ブラジルの労働慣習を大きく変える可能性がある。まず、人件費増にブレーキをかけ、かつ人材育成にもメリットがありそうな項目としては、食事手当、旅行手当、賞与(法律で定めるもの以外。すなわち期待以上の成果に対し雇用主が労働者に随意提供する金品やサービスなど)は賃金に含まれなくなったということがある。これにより、雇用者にとっては社会保険や負担金の計算ベースが下がるし、従業員のモチベーションを上げるための施策も増やせる。また、公共交通機関が不十分な場所に住む労働者への送迎についても、当該通勤時間が勤務時間とは見なされなくなった。そのため、多くの従業員を雇う工場などでは、送迎バスを出すことで労働者の利便性を高め、定着率を引き上げる効果も期待できるだろう。

多様な働き方も可能となる。テレワーク(在宅勤務)については旧法では項目自体がなかったが、新たに加えられることになった。ブラジルでも、労働形態の新しいオプションが採用できる可能性が先進国並みに広がったといえよう。

前述に加え、従来は残業がつかなかったパートタイムについても、週6時間まで残業可能となった。今後、ブラジルでは先進国並みに「働き方」のオプションが増え、雇用側から見た人材育成もやりやすくなるだろう。

執筆者紹介
ジェトロ海外調査部 主幹(中南米)
竹下 幸治郎(たけした こうじろう)
1992年、ジェトロ入構。ジェトロ・サンパウロ事務所(調査担当)(1998~2003年)、海外調査部 中南米チーム・チームリーダー代理(2003~2004年)、ジェトロ・サンティアゴ事務所長(2008~2012年)、その後、企画部事業推進主幹(中南米)、中南米課長、米州課長等を経て現職。