世界のクリーン水素プロジェクトの現状と課題チリのグリーン水素産業振興、進む具体化と改善
国家プロジェクトの育成も進捗

2024年10月25日

チリの水素産業は、「グリーン水素」に特化しているという点で、非常に特徴的なものだ。2020年に発表された「グリーン水素国家戦略(スペイン語)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」によって、太陽光と風力を中心とする再生可能エネルギーの豊かさを下地とし、国際的にも競争力を持った価格でグリーン水素の製造・輸出国家となるという大志が示された。その後、2024年4月には「グリーン水素アクションプラン(スペイン語)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」が発表され、チリの持続可能なグリーン水素産業の振興に関して、2030年までの具体的な行動指針が示された。投資案件としては、「ハル・オニ」(注1)など、欧州主導のものが先行したが、官民連携による国家プロジェクトとして、水素バスの製造にも着手している。

本稿の前半では、業界団体へのヒアリングを通じて得られた情報を基に、チリのグリーン水素産業の「今」を明らかにする。後半では、チリで水素バス製造を手掛けるリボーン・エレクトリック・モーターズ(Reborn Electric Motors:REM)のプロジェクトについて、同社へのインタビューを基に紹介する。

資金調達面で課題抱えつつも、プロジェクト数は着実に増加

チリのグリーン水素産業の振興を目的に活動するエイチツー・チリ(H2 Chile)でスタディ・コーディネーターを務めるニコラス・マーシャント氏に話を聞いた。H2 Chileは、100超の法人・個人の会費によって運営される非営利法人だ。先述したように、チリは地の利を生かし、価格競争力を持ったグリーン水素を製造する拠点としてのポテンシャルを秘める国ではあるものの、政府が個々のプロジェクトに対して、多額の資金供給を実行できるほどの余裕を持つ大国ではない。2021年には、産業開発公社(CORFO)を通じて選定した6つのプロジェクトへの総額5,000万ドルの拠出が発表されたが、ドイツやオランダ、オーストラリアなどの国々では、同様の支援金額が年間平均で10億ドルを超えている(注2)。そのため、投資家の目をチリへ引きつけつつ、諸外国の関連機関からチリ国内のプロジェクトへのファイナンスを取り付けるというのがH2 Chile が担う重要なミッションの1つだ。

チリ国内のグリーン水素プロジェクト数は、2021年4月時点で9件だったものが、2022年4月に23件、2023年4月には50件、2024年8月時点で73件まで増加した。その内訳を見ると、まず、大多数のプロジェクトが北部のアントファガスタ州と南部のマガジャネス州に集中していることが分かる(図1参照)。前者は太陽光発電、後者は風力発電のポテンシャルが高いことによるものだが、ほかにも首都圏州とビオビオ州にも一定数のプロジェクトが集中していることを形容して、これらの地域はグリーン水素の「4つの谷」とも呼ばれている。

図1:州別のグリーン水素プロジェクト数 (2024年8月時点)
タラパカ州は2件、アントファガスタ州は26件、アタカマ州は1件、コキンボ州は1件、バルパライソ州は3件、首都圏州は7件、ニュブレ州は1件、ビオビオ州は5件、アラウカニア州は1件、アイセン州は3件、マガジャネス州は21件、不明は2件。

出所:H2 Chile

規模別では、10メガワット(MW)に満たないパイロットスケールの案件が最も多く(図2参照)、段階別では、フィージビリティースタディ(FS)を終えていない案件の割合が約7割に達する(図3参照)。用途別では、約半数のプロジェクトが国内供給のみを想定しており、3割強が輸出も視野に入れたものとなっている(図4参照)。

図2:規模別のグリーン水素プロジェクト内訳(2024年8月時点)
電力供給または電気分解の容量が10メガワット未満のパイロットプロジェクトが43.8%。1ギガワット未満のインダストリアルプロジェクトが21.9%。それ以上のギガスケールプロジェクトが30.1%。不明なプロジェクトが4.1%。

注:電力供給または電気分解の容量が10MW未満を「パイロット」、1GW未満を「インダストリアル」、それ以上のものを「ギガスケール」と分類している。
出所:H2 Chile

図3:段階別のグリーン水素プロジェクト内訳(2024年8月時点)
プレFSは41.1%、FSは28.8%、環境アセスメントは8.2%、建設は2.7%、オペレーションは12.3%、不明は6.8%。

出所:H2 Chile

図4:用途別のグリーン水素プロジェクト内訳(2024年8月時点)
国内向けは49.3%、輸出向けは31.5%、国内と輸出の双方向けは4.1%、不明は15.1%。

出所:H2 Chile

マーシャント氏は直近の大きな変化として、オーストリアエナジーグループなどの企業コンソーシアムによるプロジェクト「HNHエナジー」が2024年7月に環境アセスメントのプロセスに移行したことだと語る。プロジェクトへの推定投資額は110億ドルと発表されており、マガジャネス州内でグリーン水素由来のアンモニアを年間で130万トン製造し、諸外国に向けて販売する。同プロジェクトは、風力発電所、グリーンアンモニアの製造・貯蔵プラント、海水淡水化プラントに加え、建設用資材の輸入とグリーンアンモニアの輸出に向けた港湾施設の建設も予定している。過去から鉱業で栄えるチリの北部に比べ、マガジャネス州などの南部については、風力発電のポテンシャルこそ高いものの、インフラ整備に関する懸念が指摘されている。マーシャント氏いわく、「HNHエナジー」で開発される港湾施設は、周辺のプロジェクトのハブ港としての機能も想定されているため、南部でのグリーン水素産業振興のカギを握る案件として位置づけられる。

政府はグリーン水素産業振興の継続をアピール

そのような状況下で2024年に完成した「グリーン水素アクションプラン」については、これまでに存在しなかった新たな目標が設定されたわけではなく、あくまでも、2030年までに実行すべき計81のアクションを18の分野に整理し、提示したものだ。チリでは、中道右派の前政権下の2020年に「グリーン水素国家戦略」が発表された後、2021年の大統領選挙によって現在の左派政権が誕生した。通商政策や社会保障に関する方向性は異なる両政権だが、国内のグリーン水素産業を振興する意識については共通している。チリの「グリーン水素アクションプラン」発表は、政権をまたぎつつも、グリーン水素関連の政策がしっかりと継承されていることを対外的に示すものだ。しかし、前政権の「おさがり」ではない、現政権が生み出した成果物としての側面を考慮すると、その作成には政治的な意図も見え隠れするように思える。

国の後押し受け、開発進む国産水素バス

REMは先述したとおり、チリ国内で燃料電池を搭載した水素バスの製造プロジェクトを手掛けるスタートアップ企業だ。その経緯や今後の見通しについて、同社のオペレーション業務を担当するハビエル・ベラ氏に話を聞いた。


オイギンス州に所在するREMの工場(ジェトロ撮影)

チリは以前から、豊富な自由貿易協定(FTA)・経済連携協定(EPA)網を通じて、関税の障壁なく「完成品」の輸入を盛んに行ってきた国だ。周辺国と比較した際の人件費の高さなどとも相まって、国内に自動車をはじめとする製造業のサプライチェーンがあまり発達していないという特徴を持っている。EVバス(電気自動車の技術を用いたバス)についても、初めて国内へ持ち込まれたのは2018年だが、あくまでも政府の主導によって、中国のBYD製のバスが調達されたものだ。チリで初めてのEVバス製造は、4年後の2022年7月にREMによって行われたもので、当時の運輸通信相が同社の工場を訪問する様子が政府のウェブサイト(スペイン語)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます上でも公開されている。当時から政府が推し進めていたエレクトロモビリティの促進(2021年10月21日付ビジネス短信参照)に加え、そのサプライチェーンがチリ国内に生まれた事例として、政府関係者の注目を集めていたことがうかがい知れる。

その後、水素バスについては、2023年12月に産業開発公社(CORFO)、チリの電力大手コルブン(Colbún)、英国の鉱業大手アングロ・アメリカン(Anglo American)からの計75万5,000ドルの資金提供を受け、REMがその製造を行うという官民連携プロジェクトが発表された。実験用のグリーン水素は「鉱業のための国家技術試験センター(Centro Nacional de Pilotaje de Tecnologías Para la Minería)」を通じて提供される仕組みだ。プロジェクトの肝となっているのは、この件がチリ国内で水素バスを製造する初の試みでありつつ、その設計と商用化、教育機関への技術移転の工程についても、国内で完結する点だ。車両は長さ8.5メートル、幅2.4メートル、高さ3.4メートル、定員24人の中型サイズで、航続距離は450キロ、最高速度は時速90キロと発表されている。2025年の初頭にはテスト走行の開始が予定されているが、ベラ氏によると、車両の開発は現在まで遅滞なく順調に進んでいるという。


水素バス開発の進捗を報告する外部向けのイベント(REM提供)

チリのバス市場では、「エレクトロモビリティ国家戦略」を掲げた政府の方針などの影響で、これまでEVバスが積極的に導入されており、同分野に強みを持つ中国メーカーが支配的な市場となっている。チリ全国自動車産業協会(ANAC)の発表では、2023年に国内で販売されたバス(新車のみ)のうち、約半数はEVバスを中心とする環境配慮型の車両で、同市場で中国メーカーのシェアは9割を超えている(図5、表参照)。

図5:バスの種別売上内訳(2023年)
燃料が原油由来のバスは53.6%、EVなどの環境配慮型バスは46.4%。

出所:ANAC

表:環境配慮型バスのメーカー別売り上げ台数(2023年)
メーカー名 売り上げ台数
(台)
市場シェア
FOTON 840 58.9%
BYD 366 25.6%
ZHONGTONG 110 7.7%
YUTONG 27 1.9%
KING LONG 14 1.0%
GOLDEN DRAGON 6 0.4%
HIGER 1 0.1%
中国メーカー集計 1,364 95.6%
REM 63 4.4%
その他メーカー集計 63 4.4%
合計 1,427 100.0%

出所:ANAC

そのような状況下で、REMは、鉱山で利用されるバスなどの車両を環境配慮型に置き換えたいという需要の高まりを捉え、その相対的にニッチな市場に対してのアプローチを行っている。エンジニアリングに強みを持つことから、鉱山側の細かい要望に沿った柔軟な車両設計にも対応できる点をアピールポイントとしている。現在までのEVバスの販売実績は、国内向けがほとんどで、ブラジル向けにごく少量の輸出を行ったのみだが、チリと同様に鉱業が主要産業のペルーや、パラグアイ、コスタリカといった国々への輸出も視野に入れているという。

ベラ氏はREMの将来的な課題として、「安定的な水素の供給体制の構築」と「価格競争力」を挙げる。前者については、今後、国内の水素製造プロジェクトの進捗によって解決される見込みではあるものの、現時点ではその保証がない。後者については、先述したように、鉱山などの劣悪な環境での走行には強みを持つREM製のバスだが、舗装された公道向けの低価格のバスを製造する技術については、中国メーカーが先行している。現在までは両者がターゲットとする市場のすみ分けができているものの、将来的には競合となる可能性がある。

膨大な許認可手続きの簡素化にも期待か

グリーン水素を取り巻くチリの課題の1つとして、環境アセスメントを含む投資プロジェクトについての許認可手続きが煩雑で、完了までに長期間を要するという点が挙げられる。各種許認可の申請に当たっても、その受付窓口が複数の省庁にまたがっていることで、1つのプロジェクトでの申請件数が100を超えることもあるという。申請の準備を開始してから実際に申請に至り、その承認を得るまでに3~4年を要することも珍しくはない。2024年8月時点で環境アセスメントの段階にあるチリ国内のグリーン水素プロジェクト6件のうち、最も古いものは2023年9月に提出されている。

そのような事情を考慮してか、「グリーン水素アクションプラン」の中では、「許認可プロセス」の分野で「部門別の許認可手続きを統合するための改革を促進する」というアクションが設定された。内容としては、現在多岐にわたっている手続きを目的別に6種に分類しつつ簡素化することで、その所要期間を3割から7割程度削減するというものだ。関連法案の国会審議は2024年に入ってから既に開始しており、2026年第1四半期(1~3月)までの承認がめどとされている。

終わりに

これまでの内容を総括すると、チリのグリーン水素産業に関しては、中長期的な視点で発表された国家戦略に次いで、その内容を肉付け・具体化するためのアクションプランも作成され、政府の積極性が維持されている。以前から指摘されている課題への取り組みもみられており、国内産業の育成につながるような国家プロジェクトも進行中だ。一方で、いまだに民間企業の参入に当たっては、将来的なコスト安に期待しつつ、製造・輸送・消費というバリューチェーンを見据えた上で、決して低くはないリスクを伴う巨額の投資が必要な分野という位置づけだろう。さらなる産業の振興には、引き続きチリのみならず、各国の政府などの主導による投資リスクを軽減する制度や、グリーン水素の活用を促すインセンティブの存在が不可欠だ。


注1:
マガジャネス州での合成燃料の製造プロジェクトで、2022年12月にパイロットプラントが開所した。既にオフテイカーである在英国のポルシェに向けて、合成燃料の試験輸送を複数回にわたって実施済み(2024年2月28日付「ディアリオ・フィナンシエロ」)。
注2:
2022年2月に公表されたゴールドマン・サックス・リサーチの「Carbonomics: The Clean Hydrogen Revolution外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」から引用している。
執筆者紹介
ジェトロ調査部米州課 課長代理(中南米)
佐藤 竣平(さとう しゅんぺい)
2013年、ジェトロ入構。経理課、ジェトロ・サンティアゴ事務所長などを経て、2023年9月から現職。