世界のクリーン水素プロジェクトの現状と課題恵まれた自然環境で低コスト生産が可能
メキシコのクリーン水素(1)
2024年11月14日
メキシコは、豊富な再生可能エネルギー(再エネ)資源などに恵まれている。グリーン水素(注1)の低コスト生産拠点としてポテンシャルが高い。また、米国テキサス州からつながるパイプラインにより、安価な天然ガスが調達可能だ。ということは、ブルー水素(注2)の生産ポテンシャルも高いことになる。
また、1994年の北米自由貿易協定(NAFTA)発効以降、対米輸出製造拠点としても発展してきた。その結果、当地にはエネルギーを消費する産業が集積する。これは、需要面のポテンシャルも高いことを意味する。そのため、地産地消型の水素プロジェクトの展開を見込める。
他方、水素の利活用に向けた国家戦略が現時点でない。政策的支援も皆無だ。そのため、国家戦略や水素利用に向けたロードマップの策定を求める声が関係者の間で強い。そこで、当地のクリーン水素のポテンシャルと課題について、2回に分けて報告する。第1回は、生産面におけるポテンシャルについて。
グリーンとブルー、両水素とも低コスト
国際協力銀行(JBIC)は2023年度、ERM(環境・社会コンサルティング会社)に委託し「メキシコにおける水素ビジネスと日本企業参入の可能性に係る調査」をまとめた。その報告書で、(1)グリーン水素と(2)ブルー水素の均等化水素原価(LCOH)(注3)を6カ国(メキシコ、米国、オーストラリア、コロンビア、チリ、日本)で試算した。(1)と(2)双方とも、メキシコで最もLCOHが低くなっている。
同報告書では、グリーン水素のLCOHに影響を及ぼす要因として、(1)岩塩ドームの存在、(2)利用率が高く豊富な再エネ資源、(3)人件費、の3つを挙げた。
- (1)で岩塩ドームを取り上げたのは、地下の当該天然ドームが生産した水素の貯蔵に好適だからだ。その利用により、圧縮水素貯蔵タンクのコストを削減できる。結果、岩塩ドームがない地域の生産コストよりも4割近くコストを下げることが可能という。
なおメキシコには、北東部のタマウリパス州とヌエボレオン州、南東部のオアハカ州とチアパス州などに岩塩ドームが存在する。 - (2)について当該報告書では、発電効率が高く安定した風力発電を例示した。そのための資源がある国ではLCOHが低くなるという。
岩塩ドームのあるタマウリパス州やオアハカ州では、風力資源も豊富だ。 - (3)は、関連施設のオペレーションコストに影響する。もっとも、及ぼす影響は比較的軽微だ。
これら3要素を考慮した結果、メキシコのLCOHは、1キログラム(kg)当たり3.00ドル。オーストラリアと米国の3.33ドル、コロンビアとチリの5.66ドルを下回った(表1参照)。
もっともメキシコにも、グリーン水素生産に向け報告書で分析されていない課題がある。具体的には、水素の電気分解に用いる水資源確保の問題だ。当地では近年、干ばつなど深刻な水不足に苦しむ地域が増えてきた。地球温暖化の影響を強く受けたためでもある。国家水資源庁(CONAGUA)によると、2024年10月15日時点で全国の27.7%が水不足だ。しかも10月は雨期の終わりで、水不足が最も軽微な時期に当たる。乾期の終わり(5月)になると、さらに深刻になる。2024年5月末時点では、全国の76.0%が水不足、その半分近くに当たる34.8%が深刻な水不足だった。水資源の乏しい地域では、排水処理能力を強化して処理水を用いるか、海水淡水化などの手段を用いる必要が出てくるだろう。その設備分が生産コストに跳ね返ってくるはずだ。
国名 | 均等化水素原価 | 備考 | |
---|---|---|---|
ドル/kWh | ドル/kg | ||
メキシコ | 0.09 | 3.00 | 岩塩ドーム有り。太陽光・風力資源が豊富。低い労働コスト。 |
オーストラリア | 0.10 | 3.33 | 岩塩ドーム有り。太陽光・風力資源が豊富。高い労働コスト。 |
米国 | 0.10 | 3.33 | 岩塩ドーム有り。太陽光・風力資源が豊富。高い労働コスト。 |
コロンビア | 0.17 | 5.66 | 岩塩ドーム無し。一部地域で風力資源豊富。低い労働コスト。 |
チリ | 0.17 | 5.66 | 岩塩ドーム無し。太陽光・風力資源が豊富。中程度の労働コスト。 |
日本 | 0.22 | 7.33 | 岩塩ドーム無し。太陽光・風力資源とも乏しい。高い労働コスト。 |
注1:生産された水素を一時的に貯蔵するコストまで含む。最適地のコストで、全国平均ではない。
注2:オリジナルはkWh単位。この表では、水素の質量エネルギー密度(33.3kWh/kg)からkg単位に換算した。
出所:国際協力銀行(JBIC)「メキシコにおける水素ビジネスと日本企業参入の可能性に係る調査」
では、ブルー水素についてはどうか。報告書では、(1)天然ガスの調達価格、(2)岩塩ドームの存在、(3)人件費の3つが影響するとした。
このうち、コスト差に影響する要因として最も重要なのは、(1)だ。グリーン水素では、需要に応じた生産量の調整が困難なため、(2)が最重要だった。しかしブルー水素の場合は、水素の改質装置の稼働調整により、そもそも生産量を調整できる。つまり、水素の貯蔵に必要な量が少なくなる。これは、グリーン水素ほどのインパクトがなくなることを意味する。 その点、メキシコでは、米国テキサス州で生産したシェールガスをパイプライン経由で調達できる。
そのため、天然ガス価格が国際的にみても低い。これが影響してLCOHは1kg当たり2.66ドルにとどまる。これは、米国、チリ、コロンビアを下回る試算になる(表2参照)。
国名 | 均等化水素原価 | 備考 | |
---|---|---|---|
ドル/kWh | ドル/kg | ||
メキシコ | 0.08 | 2.66 | 低い天然ガス価格。岩塩ドーム有り。低い労働コスト。 |
米国 | 0.11 | 3.66 | 低い天然ガス価格。岩塩ドーム有り。高い労働コスト。 |
チリ | 0.13 | 4.33 | 中程度の天然ガス価格。岩塩ドーム無し。中程度の労働コスト。 |
コロンビア | 0.14 | 4.66 | 高い天然ガス価格。岩塩ドーム無し。低い労働コスト。 |
オーストラリア | 0.15 | 5.00 | 高い天然ガス価格。岩塩ドーム有り。高い労働コスト。 |
日本 | 0.18 | 5.99 | 高い天然ガス価格。岩塩ドーム無し。高い労働コスト。 |
注1:生産された水素を一時的に貯蔵するコストまで含む。最適地のコストで、全国平均ではない。
注2:オリジナルはkWh単位。この表では、水素の質量エネルギー密度(33.3kWh/kg)からkg単位に換算した。
出所:国際協力銀行(JBIC)「メキシコにおける水素ビジネスと日本企業参入の可能性に係る調査」
オアハカ州やタマウリパス州などに高いポテンシャル
メキシコでグリーン水素の生産ポテンシャルが高い地域としては、まずオアハカ州とタマウリパス州を挙げることができる。両州では、豊富な風力資源と岩塩ドームに恵まれているからだ。しかし当地では、北部を中心に年間を通じて日照量が豊富だ。そのため、太陽光発電利用を想定すると、広い地域でグリーン水素を生産するポテンシャルが高い。水資源の確保の問題はあるとしても、だ。
現時点で州別の再エネ発電容量を示すと、表3のとおりになる。
州名 | 電源別の発電規模 | 合計 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|
太陽光 | 風力 | 地熱 | 水力 | 原子力 | ||
アグアスカリエンテス | 200 | ー | ー | ー | ー | 200 |
バハカリフォルニア | ー | 303 | 700 | ー | ー | 1,003 |
南バハカリフォルニア | ー | 50 | 10 | ー | ー | 60 |
カンペチェ | 300 | ー | ー | ー | ー | 300 |
チアパス | ー | ー | ー | 2,744 | ー | 2,744 |
チワワ | 316 | ー | ー | ー | ー | 316 |
コアウイラ | 327 | 397 | ー | ー | ー | 724 |
グアナファト | 250 | ー | ー | ー | ー | 250 |
ゲレロ | ー | ー | ー | 600 | ー | 600 |
ハリスコ | 270 | ー | ー | ー | ー | 270 |
ミチョアカン | ー | ー | 225 | 1,566 | ー | 1,791 |
ナヤリ | ー | ー | ー | 1,710 | ー | 1,710 |
ヌエボレオン | ー | 793 | ー | ー | ー | 793 |
オアハカ | ー | 2,758 | ー | 354 | ー | 3,112 |
プエブラ | 220 | 287 | 25 | 244 | ー | 776 |
ケレタロ | ー | 30 | ー | ー | ー | 30 |
サンルイスポトシ | 200 | 200 | ー | ー | ー | 400 |
ソノラ | 757 | ー | ー | 135 | ー | 892 |
タマウリパス | ー | 1,715 | ー | ー | ー | 1,715 |
トラスカラ | 220 | ー | ー | ー | ー | 220 |
ベラクルス | ー | ー | ー | ー | 1,552 | 1,552 |
ユカタン | ー | 244 | ー | ー | ー | 244 |
サカテカス | 150 | 230 | ー | ー | ー | 380 |
注:原則としてJBIC(ERM)の調査データを採用して記載。ただし、不足する部分はジェトロ調べで補足した。
出所:JBIC(ERM受託)「メキシコにおける水素ビジネスと日本企業参入の可能性に係る調査」などからジェトロ作成
- 注1:
- 再エネを用いて水を電気分解することにより生産した水素。
- 注2:
- 天然ガスの改質により精製する水素。ただし、その際に発生する二酸化炭素(CO2)は回収する。
- 注3:
- LCOHは、生産単位当たりの水素原価。生産に必要なコスト(関連設備の建設費や運転維持費など)に利潤などを合計して、運転期間中の想定生産量を基に算出する。
メキシコのクリーン水素

- 執筆者紹介
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ジェトロ調査部主任調査研究員
中畑 貴雄(なかはた たかお) - 1998年、ジェトロ入構。貿易開発部、海外調査部中南米課、ジェトロ・メキシコ事務所、海外調査部米州課を経て、2018年3月からジェトロ・メキシコ事務所次長、2021年3月からジェトロ・メキシコ事務所長、2024年5月から現職。単著『メキシコ経済の基礎知識』、共著『NAFTAからUSMCAへ-USMCAガイドブック』『FTAガイドブック2014』など。