分断と協調-岐路に立つ国際ビジネス貿易への影響を増すカーボンプライシング(世界)

2024年9月24日

米中対立に起因する貿易・投資制限措置の広がりや、主要国間の産業政策競争の過熱による自国本位の政策介入の増加は、世界貿易やサプライチェーンに大きな影響を及ぼしている。環境・脱炭素分野についても、自国と同様の対応や負担を貿易相手国・企業に求めることをルール化する動きがある。これは、環境・脱炭素政策の推進と同時に、自国の産業保護にもつながる。EUが2023年10月から始動した炭素国境調整メカニズム(CBAM)により、これまで国内の政策として存在してきたカーボンプライシングが初めて国境を越えて影響力を持ち、世界貿易に影響する新たなステージとなった。本稿では、こうした状況下での世界のカーボンプライシング政策の動向を紹介し、これらの政策の導入が企業の国際ビジネスにどのように影響を与えるのかを取り上げる。

世界のカーボンプライシング政策は増加の一途

温室効果ガス(GHG)排出削減目標を達成する手段の 1つとして、排出量取引制度(ETS、注1)や炭素税(注2)など、カーボンプライシングを導入する国・地域が拡大している。カーボンプライシングとは、企業などが排出する二酸化炭素(CO 2)に価格を付け、それによって排出者の行動を変化させるために導入される政策手法だ(注3)。世界銀行のカーボンプライシングダッシュボード外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますによると、世界では2023年末までの累計で73件のカーボンプライシング措置が導入されている(図参照)。2024 年4月1日時点では、さらに2 件増えて75件となった。1990年代は欧州での炭素税導入が大半を占めたが、現在では炭素税とETSの比率はほぼ同数となっている。世界銀行の報告書、2024年版「カーボンプライシングの現状と傾向外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」によると、炭素税とETSによる導入国・地域政府 の収入(2023年)は世界全体で前年比90億ドル増の1,040 億ドルとなり、初めて1,000億ドルを超えた。内訳では、ETSがカーボンプライシングの収入の大半を占める。収入の用途では、半分以上が気候変動対策や自然環境関係のプログラム向けの予算として使用された(2024年5月28日付ビジネス短信参照)。

図:世界のカーボンプライシング措置累計件数
2010年に炭素税14件、ETS6件で合計20件だった世界のカーボンプライシングは、2023年には炭素税37件、ETS36件の合計73件まで連続的に増加した。

出所:世界銀行カーボンプライシングダッシュボードから作成

各国・地域がETS導入を進める

ETSの中で一般的な方式のキャップ・アンド・トレード方式では通常、企業は政府から有償または無償で排出枠を割り当てられ、実際の排出量が排出枠を下回った場合、余剰分の排出枠を売却することができる。逆に、排出枠を上回った場合は、市場で排出枠を購入する必要がある。ETSを導入済み、または法整備を進める国・地域について、表にまとめた。長い歴史を持つ国家規模のETSとしては、EU(2005年~)、カザフスタン(2013年~)、韓国(2015年~)がある。いずれも、無償排出枠の削減が実施・検討されており、無償排出枠が削減されれば、有償で排出枠を購入する必要性が生じてくる。ドイツやオーストリアはEU加盟国で、EU ETSの適用対象だが、それに上乗せするかたちで、燃料などからの排出について排出量取引を義務付ける。英国はEU離脱後、独自のETSを開始し、分野の拡大を計画している。中国やインドネシアでは、電力セクターを対象にしたETSを近年スタートさせた。ブラジル、トルコなども、ETS導入に向けて準備を進めている。日本でも、GX(グリーントランスフォーメーション)リーグ(注4)参加企業が取り組む自主的な排出量取引の枠組みとして、GX-ETSが2023年度から試行的に開始された。現在のGX-ETSでは、参画企業が自主的に排出削減目標を設定し、その目標や削減実績をGXダッシュボードで開示する。目標を超えて削減できた排出枠の「超過削減枠」は、2024年11月以降に取引が可能となる予定になっている。

表:主要国・地域で導入済みの排出量取引制度(ETS)
国・地域 対象分野 国・地域排出量に占める割合(カバー率) 対象ガス 導入時期 価格
(ドル/t-CO2)
フェーズ 近年の対象拡大動向
EU エネルギー、エネルギー多消費産業、航空、アルミニウム産業、海運など 40%
(2023年)
CO2、N2O、PFC、CH4(CH4は2026年より対象) 2005年 61.3 第4フェーズ 建物、道路輸送、小規模産業を対象とするEU ETSⅡを開始予定(2027年から。エネルギー価格が高騰した場合は2028年に延期の可能性あり)
ドイツ 建物と輸送部門の燃料供給事業者など 40%
(2023年)
石油、ディーゼル、灯油、液化石油(LP)ガス、持続可能基準を満たさないバイオマス、石炭(2023年~)、廃棄物焼却(2024年~)から発生する温室効果ガス(GHG) 2021年 48.37 初期段階 ドイツではドイツETSとは別に、EU ETSも適用されている。
EU ETSⅡとの関係性を今後検討
オーストリア 建物、輸送、農業、廃棄物処理、小規模な産業施策など 40%(2023年) 対象分野における石油、ディーゼル、灯油、天然ガス、液化ガス、石炭などの化石燃料から排出される温室効果ガス(GHG) 2022年 48.37 初期段階 オーストリアではオーストリアETSとは別に、EU ETSも適用されている。
EU ETSⅡとの関係性を今後検討
英国 エネルギー集約型産業、電力、航空 25%(2023年) CO2、N2O、PFCs 2021年 45.06 第1期配分期間(2021~2025年) 海運(2026年~)
廃棄物燃焼、廃棄物発電(2028年~)
日本
(東京都ETS)
3カ年度連続してエネルギー使用量が原油換算で年間1,500kL以上の事業所 19.1%
(2020年度)
CO2 2010年 36.91 第3フェーズ
(2020~2024年)
中国(全国) 発電事業者 30%
(2023年)
CO2、CH4、N2O、
HFCS、PFCS、SF6、NF3
2021年7月 12.57 第3フェーズ 石油化学、化学工業、建材、鉄鋼、非鉄金属、製紙、航空輸送などの業界で、これまで排出データの測定や申告、検証の取り組みを行っている(2021年7月の生態環境部の国務院政策ブリーフィング)
韓国 直近3年間の平均CO2排出量が12万5,000千トンCO2以上、もしくは2万5,000トンCO2以上の事業所を持つ事業者 74%(第3次計画/2021~2025年) CO2、CH4、N2O、
HFCS、PFCS、SF6
2015年1月 6.3 第3次計画期間
(2021年~2025年)
第3次計画期間では有償割当対象を41業種、有償割当比率を10%にしているが、第4次計画期間以降、有償割当比率および割当対象業種を拡大していくことを検討。
カザフスタン (1)石油・ガス、(2)電力部門、(3)鉱業、(4)冶金、(5)化学、(6)製造業(セメント、石灰、石膏、レンガなどの建設資材関連) 46%(2023年) CO2 2013年 1.05 第5フェーズ 無償排出枠の削減を計画
日本
(埼玉県ETS)
県内に設置しているすべての事業所におけるエネルギー使用量(原油換算)が、前年度に1,500kL以上であった事業者または大規模小売店舗立地法に規定する大規模小売店舗であって同法に規定する店舗面積が10,000m2以上のものを、その年度の4月1日に設置している事業者 17.5%
(2021年度)
CO2 2011年 0.94 第3フェーズ
(2020~2024年)
インドネシア 発電所セクター 26%(2023年) GHG 2023年9月
(インドネシアの排出権取引所開設日)
0.61 産業分野(セクターおよびサブセクター)を限定のうえ稼働開始。 現在、発電所セクター(石炭火力発電所)において導入済。森林セクターの泥炭地・マングローブ管理に対しても今後導入が予定されている。
日本(GX-ETS) 自主段階 52%
(2021年度)
CO2、CH4、N2O、HFCs、PFCs、SF6 2023年 第1フェーズ
(2023~2026年)
2026年度以降第2フェース(本格稼働)予定
台湾 ベースライン・アンド・クレジット方式。
台湾域内法人の購入のみに限定
CO2
2023年12月
企業や地方自治体が独自で、または共同で実施したGHG削減につながる自主的排出削減プロジェクトは、政府の認証を経てカーボンクレジットとして発行され、政府規定の条件の下、他の企業などとの間で取引できるとした(気候変動対処法第25条)。
ブラジル 法案では(1)CO2換算で年間2.5万トン以上を排出する事業者、もしくは(2)CO2換算で年間1万トン以上を排出する事業者。モニタリング計画書や排出/除去報告書の提出などの義務を負うとされている(出所:2024年法案第182号) CO2、CH4、N2O、SF6、HFCs、PFCs 上院で審議中 検討段階。2024年法案第182号によれば第1~第5フェーズに分割される予定。
トルコ 2024年に試験的導入を検討中 検討段階

注:価格順(価格は2024年4月1日時点)単位はドル/t-CO2換算。
出所:世界銀行カーボンプライシングダッシュボード、各国政府発表資料から作成

EUのCBAM導入で始まる世界のカーボンプライシングの新たなステージ

2021年7月、EUがCBAMの導入を発表した(注5)。CBAMとは、EU ETSに基づいてEU域内で生産される対象製品(注6)に課される炭素価格と同等の価格を域外から輸入される産品にも課す制度だ。CBAMは2023年5月17日に施行され、2026年からの本格適用を前に、2023年10月1日から対象産品の輸入者に報告事務を課す移行期間が開始された。EUのCBAM導入の目的として、大きく以下の理由が挙げられる。(1)EU域内だけで排出規制を強めたとしても、排出削減努力が十分にされていない製品の域外からEUへの輸入増を招いてしまうこと、(2)EU域内に製造拠点を置く企業が規制の緩い国に移転した場合、世界全体での温室効果ガス(GHG)の削減にはつながらない「カーボンリーゲージ」となってしまうこと、この2点への対策だ。というのも、EUは、2024年4月1日時点で61.30ドル/tCO2e(注7)と世界で最も価格の高いETSであるEU ETSを施行している。ETSの価格は変動制で、EU ETSの取引価格が上昇した2023年は、同じデータベースで90ドルを超えていた(2023年4月1日時点)。このように高い炭素価格を維持してきた背景も相まって、EUは同様の負担を域外企業にも課すCBAMという制度の実行にかじを切ったのだ。

CBAM導入により、他国から輸入される産品にも炭素価格相当の支払い義務が生じることになる。このことは、カーボンプライシングが貿易とリンクし、世界貿易に広く影響を与えることを意味する(2023年8月31日付地域・分析レポート「EUの炭素国境調整メカニズム(CBAM)に備える」参照)。特に、EUへの対象製品の輸出割合が高い新興国・途上国に対する CBAMの影響が懸念されている。世界銀行は2023年 6 月、CBAMが世界各国・地域に与える影響について分析を行い、相対的CBAM暴露指数外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますを発表した。同指数が高いほど、CBAMによる影響が大きいとされる。上位10カ国は高い順に、ジンバブエ、ウクライナ、ジョージア、モザンビーク、インド、ベラルーシ、 トリニダード・トバゴ、エジプト、ロシア、カザフスタンだった。首位のジンバブエは、CBAM対象産品の中では鉄鋼を中心にEUに輸出しており、同国の輸出総額の87%をEUが占めるため、相対的CBAM暴露指数が世界一と示されている。対GDP比で影響が大きい(注8)のは6.9%のモザンビークで、対象産品が EUへの同国の全輸出の73.7%を占める。モザンビークはアルミニウムを主にEUに輸出している。世界銀行はCBAMの影響を大きく受ける国を特定し、他の国際機関と連携して、それらの国がCBAMに対応できるよう支援を行っている。CBAMでは、輸入品の製造国で支払われた炭素価格がEUでの課税時に差し引きされることから、他国でのカーボンプライシングの導入の議論にも波及している。

さらなるカーボンプライシング導入の展望

アジア、アフリカ、ラテンアメリカ地域でカーボンプライシングを導入している国はまだ少数だが、既に述べたように、一部の国では導入の動きがある。国際排出量取引協会(IETA)は毎年、「GHG市場感情調査(GHG Market Sentiment Survey)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」を公表している。同調査では、世界187の同協会のメンバー団体が調査対象となっている。同調査の2023年版によると、「これらの国・地域の少なくとも電力セクターで、カーボンプライシングがいつ導入されると予想するか」という質問に対し、回答者の40%はアジア太平洋地域の中ではマレーシアが、2025~2026年にカーボンプライシングを導入すると予期すると回答した。表にあるとおり、同地域ではインドネシアが2023年にETSを開始したばかりだ。ラテンアメリカ地域では、ブラジルで2024年までに導入との回答が13%、2025~2026年に導入との回答が43%となっており、表にあるとおり、ブラジルでは法案が審議されている。中東・アフリカでは、アラブ首長国連邦(UAE、29%)、サウジアラビア(29%)、イスラエル(31%)で2024年までのカーボンプライシング導入を予期するという回答となっており、中東地域のグリーン政策の高まりも見受けられる。

これからのカーボンプライシングと国際ビジネス

一言でカーボンプライシングといっても、炭素税の課税対象や、ETS参加義務の対象セクターによって、影響範囲は大きく異なる。ETSの制度設計面では、企業に無償で一定の排出枠を割り当てる無償排出枠がその国・地域でどのように運用されていくのかも、企業に大きな影響を与える点だ。加えて、自主的な取り組みが中心のカーボンクレジットを売買したり、カーボンクレジットを国・地域のETSで利用したりできるケースも増えていくだろう。企業は自社製品・サービスのGHG排出量、既に支払っている炭素価格を把握する必要性に迫られているが、排出量を把握することで新たなビジネスチャンスが生まれる可能性も十分にある。


注1:
自社の排出量に応じて排出枠を売買する制度
注2:
化石燃料などに課される税金
注3:
資源エネルギー庁ウェブサイト「脱炭素に向けて各国が取り組む「カーボンプライシング」とは?外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますに基づく
注4:
GXリーグの詳細については、GXリーグウェブサイト参照
注5:
CBAMの解説については、ジェトロの調査レポート「EU炭素国境調整メカニズム(CBAM)の解説(基礎編)」を参照
注6:
セメント、肥料、鉄鋼、アルミニウム、化学(現時点では水素)、電力
注7:
世界銀行カーボンプライシングダッシュボード外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます2024(2024年4月1日)のデータに基づく
注8:
ここでいう対GDP比とは、EUへの対象産品の輸出金額が対GDPに占める割合
執筆者紹介
ジェトロ調査部国際経済課
板谷 幸歩(いただに ゆきほ)
民間企業などを経て、2023年4月ジェトロ入構。