分断と協調-岐路に立つ国際ビジネスMPIA活用でWTO「法の支配」回復なるか(世界)
2024年9月5日
WTOの中心的な機能の1つである紛争解決制度が実質的な機能不全となって5年近くが経過した。二審制の上級審に当たる上級委員会の委員数が、審理に最低限必要な3人を割ったことで、機能停止状態にある。その中で、一部のWTO加盟国主導による暫定的な対応として、多数国間暫定上訴仲裁アレンジメント(MPIA : Multi-party Interim Appeal Arbitration Arrangement)の活用が進んできた。本レポートでは、具体的な紛争事案を見ながら、MPIAが果たしている役割とその活用意義について考察する。
WTO紛争処理件数、半分以下に
WTOの紛争解決制度は、加盟国間の貿易紛争をWTOルールに基づいて解決するための制度として、重要な役割を果たしてきた。1995年の発足から2024年3月末まで、WTO紛争解決手続きのもとで、621件の紛争案件が扱われた(図1参照)。一方、紛争処理の最終審に当たる上級委員会は、2019年12月から委員数が最低限必要な人数を下回り、機能不全に陥っている。発端は、米国が紛争解決制度の改革を要求し、上級委員の任命を阻止したことから生じており、今日に至る。WTOへの協議要請は、機能停止前の半分以下に減少しており、2023年はわずか6件だった。紛争解決制度が機能しない状態が放置されれば、不公正な措置が是正されず、自国本位の一方的な貿易慣行が継続する状況を招きかねない。
米国政府は、議会への通商課題報告(3.8MB)の中で「(WTO紛争処理上の)最大の懸念は、(第一審に相当する)パネルと上級委員会が(加盟国の)協定上の権利や義務を加重・縮減していること」と述べ、「パネルと上級委員会は、加盟国によって交渉・合意された条文の文言に忠実に従って、WTO協定を適用する義務を負う」と主張。解決策を模索するとして、米国は非公式に、紛争解決制度改革の検討会合を主導している。2023年7月には「WTO紛争解決制度改革に対する米国の方針」と題した政策文書を公表。2024年2月に開催された第13回WTO閣僚会議(MC13)では、非公式協議の成果を踏まえて改革の議論を進める方針が確認されている(WTO紛争解決制度改革に対する米国の方針については2023年8月29日付地域・分析レポート参照)。
第12回WTO閣僚会議(MC12)では、「2024年までに全ての加盟国が利用できる完全かつ機能的な紛争解決制度の実現を目的として、議論を行うこと」に合意。期限を設けたことにより、議論が加速した。他方、MC13では、「MC12でのコミットメントを想起し、これまでに行われた作業に留意する」との閣僚決定にとどまり、具体的な成果は乏しかった。引き続き2024年までに、紛争解決制度の機能回復を実現するための議論が続く。
MPIA通じた紛争解決
多くの紛争案件がパネル判断の後に、機能停止中の上級委員会に上訴(いわゆる「空上訴」)されており、最終的な解決に至っていない中、EUなど一部のWTO加盟国の主導により、暫定的な措置として、2020年に多数国間暫定上訴仲裁アレンジメント(MPIA:Multi-party Interim Appeal Arbitration)が立ち上がった。参加国間の紛争について、パネルの判断を不服とする場合に、機能停止中の上級委員会に上訴するのではなく、仲裁によって解決することを定める仕組みだ。上級委員会が完全に機能するまでの間に限った暫定的枠組みと位置付けられる。参加国間の紛争については、個別の事案ごとに紛争当事者間で仲裁合意を結び、紛争解決機関(DSB)に通報する必要がある(図2参照)。MPIAは上級委員会を代替する上訴手段として、2024年6月現在、EU、メキシコ、中国、日本などを含む53カ国・地域(注1)が参加している。
初の仲裁判断となったのは、コロンビアによるEU産冷凍ポテトフライへのアンチダンピング(AD)措置の問題点に関し、EUが2019年にWTO提訴していた案件だ。2022年10月にパネルは報告書を公表。コロンビアは、報告書による同国のAD制度に対する法的解釈の一部を不服として上訴を申し立て、暫定上訴制度の利用に進んだ。この件については、3人の仲裁人決定から2カ月程度と比較的短期で仲裁判断に至った。仲裁判断では、4つの論点のうち3点でEUの主張が認められ、EUの「実質的勝訴」となった。コロンビアは仲裁判断を踏まえ、ダンピング価格差を適切に修正したAD税を賦課することで、パネル報告と仲裁判断を十全に実施し、WTOの義務に従っていることをDSBに通知した。
当事国間でMPIA利用の合意が成立した案件は、筆者が確認できただけで13件あり(2024年7月時点)、実際にMPIAによる仲裁判断が行われたのは、上記のコロンビアによるEU産冷凍ポテトフライへのAD措置(DS591)、EUによるトルコへの医薬品に対する措置(DS583)の2件がある(表参照)。後者は、トルコがMPIAに加盟していないことから、アドホックな代替的上訴手段としてMPIAに準拠した仲裁判断となった。
日本が申し立てた中国による日本製ステンレス製品に対するAD措置(DS601)を巡っては、直接的にMPIAを活用するには至らなかったものの、日本の主張が容認されたパネルの結論について、解決(注2)に至った。パネル報告の内容に当事国が不服の場合、日中両国がMPIAを利用して問題解決を図ることで合意したと発表していた。
項目 | 案件名 | 申立国 | 被申立国 | 結論 |
---|---|---|---|---|
MPIAによる仲裁判断 | EU産冷凍ポテトフライへのAD措置(DS591) | EU | コロンビア |
2022年12月 仲裁判断 |
MPIAに準拠した仲裁判断 | 医薬品の生産・輸入・販売に関する措置(DS583) | EU |
トルコ (注) |
2022年7月 仲裁判断 |
当事国間でMPIA利用の合意が成立した案件 | ワイン販売に関する措置(DS537) | オーストラリア | カナダ | 2021年5月和解 |
商用航空機に関する措置(DS522) | ブラジル | カナダ | 2021年2月和解 | |
鉄鋼セーフガード措置(DS595) | トルコ | EU |
2022年5月 パネル報告書 |
|
アボカド輸入に関する措置(DS524) | メキシコ | コスタリカ |
2022年5月 パネル報告書 |
|
カナダ産キャノーラに対する検疫措置(DS589) | カナダ | 中国 |
2022年8月 パネル中断 |
|
オーストラリア産大麦に関するAD・CVD措置(DS598) | オーストラリア | 中国 | 2023年8月和解 | |
オーストラリア産ワインに関するAD措置(DS602) | オーストラリア | 中国 | 2024年3月和解 | |
中国産品に対するAD・CVD措置(DS603) | 中国 | オーストラリア |
2024年3月 パネル報告書 |
|
日本製ステンレス製品に対するAD措置(DS601) | 日本 | 中国 |
2023年6月 パネル報告書 |
|
物品貿易に関する措置(DS610) | EU | 中国 | パネル停止中 | |
知的財産権の行使(DS611) | EU | 中国 | 協議中 |
注:トルコはMPIAに不参加だが、当事者間の合意により仲裁による上訴は可能。
出所:WTOおよび各種資料から作成
日本は2023年3月にMPIAへ参加したが、以前から経済界から参加を要望する声が寄せられていた。日本経済団体連合会(経団連)は2022年9月、「ルールの執行についても、WTO上級委員会の機能が停止している中にあって、有志国による『多国間暫定上訴仲裁アレンジメント(MPIA)』を活用するなどの取り組みが求められる」との提言(注3)を打ち出していた。日本がWTOに申し立てた紛争案件のうち、韓国の日本製ステンレス棒鋼に対するAD措置(DS553)、インドによる情報通信技術(ICT)製品の関税上の取り扱い(DS584)は、いずれも申立国の日本の主張を容認するパネル報告が出たものの、被申立国に空上訴され、紛争解決に至っていない。現時点では米国、韓国、インドなどの国はMPIAに参加しておらず、経団連はMPIAを活用するとともに、参加国の拡大に努力する必要があるとも提言している(注4)。上級委員会が不在の中、MPIAはWTOによる法の支配を回復できるか、重要な局面を迎えている。
- 注1:
- オーストラリア、ベナン、ブラジル、カナダ、中国、チリ、コロンビア、コスタリカ、エクアドル、EUおよび27加盟国、グアテマラ、香港、アイスランド、日本、マカオ、メキシコ、モンテネグロ、ニュージーランド、ニカラグア、ノルウェー、パキスタン、ペルー、シンガポール、スイス、ウクライナ、ウルグアイ。
- 注2:
- パネルは、中国の措置がWTO協定に非整合的とし、措置の是正を求めるパネル報告書を配布、2023年7月のDSB会合で採択されている(WT/DS601/R)。
- 注3:
- 経団連Policy(提言・報告書)自由で開かれた国際経済秩序の再構築に向けて(2022年9月13日)
- 注4:
- 経団連Policy(提言・報告書)公正・公平で強靭かつ持続可能な貿易投資環境を求める(2024年6月18日)
- 執筆者紹介
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ジェトロ調査部国際経済課
伊尾木 智子(いおき ともこ) - 2014年、ジェトロ入構。対日投資部(2014~2017年)、ジェトロ・プラハ事務所(2017年~2018年)を経て現職。