欧州最新政治情勢:欧州の行方を見定める注目論点EU政策への影響
欧州議会選挙から占う今後のEU政策(2)
2024年7月10日
EUをめぐる地政学的な環境が変化する中で、EUの今後の政策に注目が集まっている。2024年後半から始まる立法サイクルにおいて、EUはこうした変化に本格的に対応していくことが迫られる。6月6~9日にかけてEUの全27加盟国では、次期立法サイクルの幕開けとなる欧州議会選挙が実施された。そこで2回連載で、第1回では欧州議会選挙の結果概要を解説し、第2回である本稿では欧州議会選挙の結果がEU政策に与える影響を分析する。
グリーン・ディール政策の現行路線維持が濃厚
現欧州委員会の看板政策であるグリーン・ディール政策(2023年12月15日付地域・分析レポート参照)は現行路線が維持されるとみられる。2050年までの気候中立の達成という現行の基本路線を支持する最大会派で中道右派の欧州人民党(EPP)グループ、第2勢力で中道左派の社会・民主主義進歩連盟(S&D)グループ、中道の欧州刷新(Renew)グループの3会派で過半数を維持したことから、グリーン・ディールの現行路線が大きく修正される可能性は低い。
一方で、EPPとS&Dの2大会派の間には、グリーン・ディールに対する温度差がある。EPPは、次期立法サイクルにおいては成立済みの規制(2024年6月6日付ビジネス短信参照)の実施に注力すべきとの立場で、新たな規制の導入に原則として反対している。既存の規制でも、産業界に過度な負担を強いるものについては、報告要件の簡略化など規制対応負担の緩和を図るべきとしている。一方、S&Dは引き続きグリーン・ディールを積極的に推進すべきとの立場であり、産業界から要望が強まっているグリーン・ディールの実施における「一時停止」に否定的である。
また、今回の選挙の結果、グリーン・ディールに批判的な欧州保守改革(ECR)グループやアイデンティティと民主主義(ID)グループ、無所属の右派・極右政党が議席を増やし、合計で全体の4分の1近くの議席を獲得した。ただし、右派・極右政党はそれぞれ独自性が強く、ECRやIDは会派としてのまとまりが比較的弱い。EPPがECRと協力する路線を選ばない限り、現行路線に与える影響は限定的とみられる。
項目 | EPP | S&D | Renew | ECR | ID | Greens |
---|---|---|---|---|---|---|
グリーン・ディール政策 |
2030年・2050年排出削減目標を支持。 政策実施において産業界の脱炭素化を支援 |
2050年排出削減目標や2040年目標案の達成に向け、再生可能エネルギーやエネルギー効率改善への継続的な投資を強調。 グリーン・ディール政策の実施を推進、一時停止を否定。 環境政策だけでなく、公正な社会の実現も目指す「社会グリーン・ディール」を提唱 |
グリーン・ディール政策および関連目標を支持。 今後は政策実施に注力 |
現行のグリーン・ディール政策の在り方に反対。 新たな規制の検討の前に既存の規制の実施と必要な財源の確保を重視。 現行の過剰な気候変動対策の負の影響から企業を保護。 グリーン・ディール目標を修正 |
ー |
グリーン・ディール政策のさらなる加速。 2040年までに化石燃料を段階的廃止し(石炭を2030年までに、天然ガス・石油を遅くとも2040年までに廃止)、再エネに完全移行。 環境政策だけでなく、公正な社会の実現も目指す「社会グリーン・ディール」を提唱 |
自動車政策 |
自動車の代替燃料や水素技術の開発を推進。 ただし、マニフェスト草案段階にあった2035年以降の内燃機関搭載の新車販売禁止に関する規則の早期見直しは明記せず |
ー | ー |
経済的に重要な内燃機関搭載の自動車を重視。 先端技術や代替的な低炭素燃料の開発への投資を支持 |
ー | 内燃機関搭載の新車販売禁止に伴い、電気自動車を活用するが、重視すべきはあくまでも公共交通機関 |
産業政策 |
野心的な共通産業政策「メード・イン・ヨーロッパ」の推進。 特にネットゼロ産業への財政支援を重視 |
公共投資に基づく雇用創出だけでなく、EUの主権を強化する「メード・イン・ヨーロッパ」戦略の策定 |
次期欧州委員会を「投資委員会」と位置付ける。 競争力強化に向け、研究開発・技術革新・人材育成への投資および民間投資の呼び込みに注力 |
研究開発や技術革新を支援。 企業との合意のもとで戦略を提案 |
ー |
大規模投資によるグリーン産業や技術の育成。 再エネ、電気系統の接続、公共交通などグリーンインフラへの投資 |
EU予算 | ー | EUの脱炭素化に向けた投資計画、野心的なEU予算とEUレベルの恒久的な投資基金の設置を支持 |
欧州産業戦略の実施に向け、EUレベルの大規模財政支援策「欧州主権基金」の設置を検討。 国家補助の大幅な緩和に反対。 資本市場同盟の実現を支持 |
EUの新たな独自財源に反対 | ー |
EUレベルで発行する共同債を主な原資とし、EUのGDP最低1%相当を毎年充てる「社会グリーン移行基金」を設置。 EU予算向けの独自財源の拡大に賛成。 脱炭素化に向けた投資の拡大へ、財政規律を緩和 |
EU統合・拡大への姿勢 |
EU条約改正を支持。 EUの権限強化だけでなく、加盟国権限も重視。 EUの東方拡大を支持 |
EU条約改正を支持。 欧州議会・欧州委員会の権限強化を支持。 EUの東方拡大を支持 |
EU条約改正を支持。 欧州委員会をより民主的な政府に移行、欧州議会の権限を強化、加盟国の拒否権を廃止。 EUの東方拡大を支持 |
EUの権限強化に反対。 特に財政政策や税制など加盟国に拒否権が認められる分野での加盟国権限を堅持。 戦略的に重要な候補国への拡大を検討 |
EUの権限強化に反対。 特に財政政策や税制など加盟国に拒否権が認められる分野での加盟国権限を堅持。 トルコのEU加盟に反対 |
EU条約改正を支持。 EUの連邦制導入を提言。 税制を含むEUの権限拡大、特に欧州議会の権限強化を支持。EUの東方拡大を支持 |
原子力政策 | 核融合技術の開発推進 | ー | ー | 核技術活用を支持 | ー | EUタクソノミーにおいて、原子力を持続可能なクリーンなエネルギーに分類することに反対 |
対中政策 | デカップリングでなく、デリスキング。中国との競争、中国による域内の重要産業に対する買収を警戒 | EUの価値の推進や利益の保護などを念頭に対中関係を調整 | ー |
デリスキングを優先。 関係維持の必要性と人権侵害への対応の要請を踏まえた関係構築を支持 |
ー | デリスキングを伴う人権政策を重視したEUの共通対中政策を支持 |
資料:各政党グループウェブサイトを基に作成。なお、IDについては、マニフェストを発表しておらず、政党グループ規約を参照。
特に注目されるのは、2035年以降の内燃機関搭載の新車販売禁止(2023年3月30日付ビジネス短信参照)についてだ。EPPは、ゼロエミッション化という目標を達成できるのであれば、どの技術により達成するかは問わないとする「技術中立」の原則を支持。最終的に削除したものの、マニフェスト草案では内燃機関搭載の新車販売禁止の早期見直しに言及していた。現地報道によれば、EPPのマンフレート・ウェーバー党首は、選挙後、早期見直しを会派内で議論すると改めて発言している。同党首が所属するキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)は、産業界の強い反発(2022年7月6日付ビジネス短信参照)を背景に、内燃機関搭載の新車販売禁止に反対するドイツの政党である。CDU/CSUは、EPP内で最大勢力であることから、その影響力は大きい。
欧州委が今後提案する法案や既存法令の実施に向けた委任立法(EU法に基づく権限の委任により、欧州委が施行法を採択する手続き)に関して、EPPがこれまで通りS&DとRenewと連立を組む場合でも、欧州議会の右傾化により、ECRほか右派・極右政党と協力すれば、今後は新規制の導入反対や技術中立といったEPPの主張に沿った形で修正、あるいは否決することが、数の上では可能となる。実際にEPPは2023年7月に、ECRなどの右派と協力した事例がある。これは、EPPが農業生産者を保護するためとして、環境関連法案である自然再生法案を廃案にする動きを主導したものだ。この際、ECRやIDは、EPPが提出した廃案動議に賛成票を投じている。左派・中道が団結したことで廃案は免れたものの、票差はわずか12票だった。今後は、左派・中道が過半数を割り、団結しても、EPPの賛成なしでは法案を採択することが困難となることから、EPPの影響力が増すとみられる。
ただし、これはEPPが一方的に採択を主導できるということではない。EPPは、これまで通り個別法案ごとに連立相手の会派と政策調整をする必要がある。また、法案によっては、連立会派で合意した場合でも、加盟国の国内事情を反映し所属議員が会派の方針に反した投票行動にでる場合もある。よって、今後はこれまで以上に法案ごとに、会派や政党別の動向を注視する必要がある。
産業政策への影響は未知数
EUでは、米中との競争が激化する中で、域内産業の競争力の低下が指摘されている。欧州委が2023年6月に発表したEU初の経済安保戦略(2023年6月23日付ビジネス短信参照)において、経済安保の柱として域内産業支援を打ち出されているほか、欧州理事会(EU首脳会議)も次期立法サイクルにおける最優先課題として、域内産業の競争力強化を掲げている(2024年7月4日付ビジネス短信参照)。
EPP、S&D、Renewの中道3会派は、域内産業の競争力強化で一致している。特に、EPPとS&Dはともに、域内生産を強化する「メード・イン・ヨーロッパ」政策を推進する立場を打ち出している。また、Renewのほか、ECRやGreensも、域内産業の競争力強化に向けた財政支援に賛成しており、競争力強化の方向性に大きな対立はない。
他方で、財源など域内産業の支援方法については、意見が分かれる。現状では、国家補助など加盟国予算による支援が中心となっているが、EUレベルの大型支援基金の設置を求める声は根強い。背景には、加盟国予算に基づく支援の場合、産業支援がドイツやフランスなど財政余力のある加盟国に集中してしまうことが挙げられる。これは、加盟国間格差の拡大、ひいてはEUの最大の強みである単一市場の弱体化につながる、と指摘されている。EU予算の扱いについては、政党グループ間の相違が大きいものの、それ以上に倹約派と拡大推進派、あるいはEU予算の純拠出国と純受益国という加盟国間の立場の違いが大きい。EU予算については、加盟国の権限が強い分野であることから、欧州議会よりも、むしろ各加盟国の首脳で構成される欧州理事会での今後の議論が注目される。
そのほか、米中対立やロシアによるウクライナ侵攻など地政学的な環境が変化する中で、EUの統合深化や新規のEU加盟も次期立法サイクルにおいて焦点の1つになるとみられる。統合深化に向けたEUの権限拡大に関しては右派と左派・中道で、ウクライナをはじめとした東欧諸国の加盟に関しては親EU会派とEUに懐疑的な右派・極右で大きく対立している。右傾化した新たな欧州議会において、欧州委が監督権限を有する規制の導入や、加盟国拡大に向けたEU条約改正の議論をどこまで進められるかは、EUの今後の方向性を占う試金石になるとみられる。
欧州議会以上に、欧州理事会を含め加盟国の動向に注目を
このように、EU理事会(閣僚理事会)と並ぶ共同立法機関である欧州議会の右傾化は、グリーン・ディールを始めとしたEU政策に少なからず影響を与えるとみられる。当面の間は、EUの最重要ポストの1つである次期委員長を含めた欧州委人事が重要となる。欧州理事会は、ウルズラ・フォン・デア・ライエン現委員長の再任を支持するとして、同氏を次期委員長候補に指名した(2024年7月1日付ビジネス短信参照)。欧州議会は、欧州理事会の指名を受けた次期委員長候補を絶対多数で承認する権限がある。承認に向けた多数派工作はそのまま連立交渉となることから、EPPがこれまで通りS&DやRenewと連立を組むとしても、どの程度、右派の政党に協力を仰ぐのか、同氏を中心とした会派間の交渉が注目される(2024年6月12日付ビジネス短信参照)。
欧州議会は共同立法機関の1つとして近年、権限が強化されており、選挙結果を踏まえた今後の動向は無視できないものとなっている。他方、EUの方針を決定する上で最も影響力を有する機関は、あくまで各加盟国首脳からなる欧州理事会である。成立済みのグリーン・ディール関連法を実施するのも基本的に加盟国である。よって、EUの今後の政策を見極める上では、欧州議会の動向も重要であるものの、それ以上に各加盟国の動向を押さえることが引き続き必要不可欠である。
- 執筆者紹介
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ジェトロ・ブリュッセル事務所
吉沼 啓介(よしぬま けいすけ) - 2020年、ジェトロ入構。