変貌する世界の半導体エコシステム世界をリードする半導体の研究開発、域内での実用化は進むか(欧州)
2024年10月29日
欧州半導体法の第1の柱である「欧州半導体イニシアチブ」は、EUの高度な研究・イノベーション能力と産業利用との間のギャップを埋めること、それによってEUの半導体の技術革新とキャパシティビルディングを促進することを目的としている。
その実現のための主要手段の1つが、EU域内の主要研究開発機関や大学において先端技術の開発や試作を行うためのパイロットラインの設置である。パイロットラインは、先端技術分野でのプロセス開発や設計コンセプトの検証、量産前のテストや評価を加速し、研究成果の実用化を促すことが期待される。他方、最先端テクノロジー・ノードの産業利用に対するEU域内の需要創出、および量産化を実現するキャパシティの構築は、依然として当面の課題となる。
欧州半導体イニシアチブを実施する新たな組織が発足
欧州委員会によれば、欧州半導体イニシアチブ(以下、イニシアチブ)の下で推進される5つの主要プログラムは、(1)設計プラットフォームの構築、(2)既存のパイロットラインの強化と新規パイロットラインの開発、(3)量子チップおよび関連半導体技術の開発加速のためのキャパシティ構築、(4)EU全域でのコンピテンスセンター(技能センター)のネットワーク構築、(5)新規事業や中小企業など向けの「チップス・ファンド」の設立、である(注1)。それぞれのプログラムを相互にリンクさせ、高度な研究開発成果の産業利用を促し、欧州域内の半導体エコシステムの強化を目指す(図参照)。
同イニシアチブの支援に割り当てられるEU予算の規模は合計33億ユーロが上限となり、このうち「Horizon Europe(ホライズン・ヨーロッパ)」プログラム、および「Digital Europe(デジタル・ヨーロッパ)」プログラムを通じてそれぞれ同額程度が拠出される(注2)。なお、欧州委員会によれば、同予算は2021年から2027年までの期間をカバーするものであり、「同期間のマイクロエレクトロニクス関連活動の支援予算として既に割り当てられている50億ユーロのEU予算への追加枠」に位置づけられる(注3)。
イニシアチブの実施機関として、2023年11月に正式発足した組織がCHIPS Joint Undertaking (JU)である。CHIPS JUはEU、参加国、民間メンバーによって運営され、EUおよび加盟国、民間企業が拠出する約110億ユーロ(2030年まで)の予算を管理する。CHIPS JUは、前述の(1)~(4)のプロジェクトを担う事業者の入札の実施、事業者の決定とプロジェクト始動に至る調整、プロジェクトの管理などを行う。他方、(5)のチップス・ファンドは、欧州イノベーション評議会(注4)およびインベストEUの基金(注5)によって設立・運営される。
プロジェクトを担う事業者の公募が着々と進行
CHIPS JUが担うプロジェクトのうち、前述(1)の設計プラットフォームとは、EU全域で利用可能なクラウドベースのバーチャル環境で、知的財産関連情報、EDAツール、サポートサービスに至るまで、設計に関わる広範な機能が集約される。同プラットフォームのユーザーにはオープンで無差別、透明性の高いアクセスが確保され、ユーザーとエコシステムの主要関係者との連携促進による欧州の半導体設計能力が強化される。
同プラットフォームのインフラをホストし、プロジェクトの運営・管理、全体調整を行う事業者の公募は、2024年8月13日~10月10日に行われた。選定されたプロジェクト事業者に対しては、EU予算から前出のデジタル・ヨーロッパのプログラムを通じ、2,500万ユーロが補助される。
(3)の量子チップ関連の技術に関しては、技術開発の安定化に資するパイロットプロジェクト、イオントラップ型の高品質量子チップ技術開発に関するパイロットプロジェクについて、パートナーシップ協定締結に関する公募が2024年9月に開始されている(入札期間:2024年9月24日~2025年1月21日)
また、(4)コンピテンスセンターは、ユーザー(特に中小企業およびスタートアップ)のワンストップ窓口機能として、イニシアチブの下で設置される設計プラットフォームやパイロットラインなどの主要インフラへのアクセスを促進するほか、ユーザー企業によるチップス・ファンドへのアクセスを支援する。すでに事業者の公募期間は終了しており、プロジェクト事業者に対しては、デジタル・ヨーロッパのプログラムから1億2,000万ユーロが補助される予定だ(入札期間:2024年7月4日~10月2日)。
先行する4件のパイロットラインが始動
CHIPS JUが担うプログラムの中で、最大の予算が割り当てられているのが、(2)のパイロットラインの強化・開発である。欧州域内の先端半導体研究およびその研究成果の実用化を推進するため、(a)先端ナノエレクトロニクス技術、(b)最先端半導体チップ設計のためのプラットフォーム、(c)モビリティ、エネルギー、健康、ロボット工学、チップ製造のバリューチェーンにおける新技術の実用化、などの分野でパイロットラインの開発を推進するプロジェクトだ。
2024年4月にCHIPS JUは、「革新的な半導体パイロットライン」の第1弾として、4件のコンソーシアムを発表した(CHIPS JUウェブサイト参照)。マイクロエレクトロニクスの分野で世界をリードする在欧州の3大研究機関であるベルギーのimec、フランスCEA-Leti(原子力庁の電子情報技術研究所)ドイツのフラウンホーファー研究機構に加え、フィンランドのVTT(国立技術研究センター)およびタンペレ大学がそれぞれホスト機関となるコンソーシアムを形成した。このうち、imecがホストするコンソーシアムでは、単一のチップ上にCPUやマイコンなどの機能を統合する「システムオンチップ(SoC)プロセス」技術の開発を、CEA-Letiでは7nm(ナノメートル)レベルのFD-SOIプロセス技術(注6)を、フラウンホーファー研究機構では、後工程に関わる分野で、複数のチップを1つのパッケージに納めるヘテロジニアスインテグレーション(異種チップ集積)の技術を開発する。また、VTTとタンペレ大学は、パワー半導体の分野で、炭化ケイ素や窒化ガリウムなどのウエハー素材をベースに、高温や高電圧での動作に優れるワイドバンドギャップ半導体のデバイス技術を開発する。
4件のパイロットラインに対しては、EU予算として最大16億7,000万ユーロが拠出される(表参照)。
試作ラインの内容 | EU拠出金 | 実施主体 |
---|---|---|
回路線幅が2nm以下のシステムオンチップ(SoC)技術 | 700 | imec(ベルギー) |
7nmレベルのFD-SOI(完全空乏型シリコンオンインシュレーター)技術 | 420 |
CEA-Leti (フランス) |
先端パッケージングおよびヘテロジニアスインテグレーション技術 | 370 | フラウンホーファー研究機構 (ドイツ) |
ワイドバンドギャップ材料(炭化ケイ素、窒化ガリウム)による先端半導体デバイス技術 | 180 |
タンペレ大学、VTT (フィンランド) |
EUからの拠出金合計 | 1,670 | ― |
参加国からの拠出分 | 1,763 | ― |
出所:CHIPS JU発表資料から作成
同発表に際し、CHIPS JUは、これら4件のパイロットラインに対して、(1)プロセス開発、試験および実験、設計コンセプトの検証を加速し、ラボから製造工場へのギャップを埋めること、(2)大学、企業、研究機関を含む幅広いユーザーが同施設を有効活用すること、への期待を示した。CHIPS JUが、各パイロットラインのコンソーシアムのホスト機関との間で請負契約、必要な設備や機械の共同調達契約、および補助金に関する助成契約を締結した後に、プロジェクトが正式に始動する。
また、CHIPS JUは2024年7月、すでに発表された上記4件のパイロットプロジェクトに加え、5件目となる先端フォトニクス集積回路のパイロットラインに関する入札を公示し、9月17日を期限にプロジェクト公募を実施した。
費用の50%以上を、参加する各加盟国が負担
「革新的な半導体パイロットライン」の第1弾として始動した上記4件のプロジェクトに関わる入札はいずれも2023年12月1日に公示され、翌年2月末まで3カ月間の公募期間が設けられた。入札のプロセスと結果に関して、CHIPS JUの担当者は「各プロジェクトへの応札はいずれも1件であり、それぞれEU側が事前に想定した実施主体が落札した」と説明した。またこの理由について、同担当者は「パイロットラインに対しては、EU補助金と同額以上の拠出金を各参加国が拠出する必要がある。同事情から、公示よりもかなり前の段階から、EU側とホスト国政府、候補となる事業者との間で水面下での交渉が行われる必要があるためだろう」と推察する(注7)。
デジタル・ヨーロッパプログラムに基づくEUの拠出金の上限は、各プロジェクトコストに対する最大50%と規定され、残る50%以上のコストは各加盟国の拠出金や民間資金によって賄われる必要がある。そのため、パイロットラインに対しては、プロジェクトをホストする機関の所在国であるベルギー(7億5,000万ユーロ)、フランス(3億8,330万ユーロ)、ドイツ(3億7,332万ユーロ)、フィンランド(4,983万ユーロ)に加え、それぞれのコンソーシアムを形成する研究機関や学術機関が所在する9カ国(拠出額上位順にイタリア、ポーランド、アイルランド、ポルトガル、オーストリア、スウェーデン、ルーマニア、スペイン、ギリシャ)が相応の拠出を行い、その合計額は17億6,300ユーロに達している(注8)。
また、稼働後のパイロットラインの利用条件(Access Condition)について、CHIPS JUは、(1)パイロットラインへのアクセスは、EU全域の幅広い公共および民間ユーザーに開放され、EUは同アクセスの管理において拠出資金の規模に応じた権利を有する、(2)EU域内の中小企業やスタートアップなどに対しては、優先的かつ安価なパイロットライン(=新技術)へのアクセスが保証されなければならない、(3)日本を含むEU域外の企業や機関がアクセスするための条件は、EUの同志国(like-minded countries)とのパートナーシップに基づくEUのコミットメントを考慮する必要があり、全ての域外国に対して同一の条件は適用されない、との見解を示した。
研究開発成果のEU域内での産業化に課題
欧州の主要な研究開発機関への先行的なパイロットライン導入の最大のメリットの1つは、研究機関同士の連携強化による開発スピードの加速である。たとえば、imecがホストする最先端レベルのSoCチップ開発のラインには、フランスのCEA-Leti、ドイツのフラウンホーファー研究機構、フィンランドのVTT、ルーマニアの表面科学ナノテクノロジーセンター(CSSNT)、アイルランドのティンダル国立研究所などがコンソーシアムのパートナーとして参画している。imecはジェトロのインタビューに対し、「半導体法の施行以降、CEA-Letiやフラウンホーファー研究機構とのミーティングの頻度が増し、具体的なディスカッションが進展している。他の研究機関がホストするコンソーシアムの中にimecも名を連ねるなど、相互の関係強化が進んでいる」と政策の効果を評価する(注9)。
CEA-LetiがホストするFD-SOI技術を軸にしたパイロットラインのコンソーシアムにも、imecやフラウンホーファー、VTTに加え、ティンダル国立研究所(アイルランド)、CEZAMAT WUT(ポーランド)、シリコン・オーストリア・ラボ(オーストリア)、SiNANO研究所(フランス)、グルノーブル理工科大学(フランス)、ルーヴァン・カトリック大学(ベルギー)、グラナダ大学(スペイン)など、EU域内の主要研究機関や大学が多数参画する。各機関が相互に連携することで、「欧州域内の産業界や研究機関、学術界などの半導体関係者に、他に類を見ない先進的な半導体技術、チップ設計、試作、テスト、デモンストレーション、製造能力へのアクセスの提供」を実現するとしている(注10)。
先端技術分野でのパイロットラインの構築は、設計プラットフォームと相互に連動することで、量産の前のプロトタイプの段階での新たな技術のテストや評価を可能とし、投資前のリスク回避に加え、開発スピードと効率性の向上を実現する。エンドユーザーとなる自動車や電気通信などを含む幅広い産業分野のニーズに対し、迅速かつ革新的な製品開発を促進することが期待される。
一方、当面の課題は、パイロットラインなどを通じた研究開発や試作の一部の成果について、産業化・量産化につなげるEU域内需要の見通しが立たないことだ。これまでも、EUの半導体エコシステムは、先端半導体技術に関わる研究開発分野で世界をリードする半面、研究開発の成果の多くがEU域外で産業化されるという点でその脆弱(ぜいじゃく)性が指摘されてきた(注11)。
この点について、半導体の国際業界団体・SEMIブリュッセル事務所の担当者は「パイロットラインへのアクセスは、欧州半導体法がターゲットとするEU域内の半導体企業が優先されるが、最先端のテクノロジー・ノードの分野では、域内企業による利用は当面、少数に限られるだろう。むしろ同志国のユーザーによる利用拡大が見込まれる」との見解を示す。
欧州委員会通信ネットワーク・コンテンツ・技術総局(DG-CONNECT)の担当ディレクターも、欧州域内産業界の需要に関して、「域内最大のユーザーである自動車産業界が求めるのは22~28nmのテクノロジー・ノードが主流。欧州域内における半導体の生産キャパシティとの関係でも、現状では最先端ノード(2nm、3nmレベルの)の技術を量産化につなげる需要はない」との課題を指摘する。一方で、欧州の強みである域内の先端研究開発ネットワークが今後、国際的なプレイヤーによる欧州域内への投資を誘引することへの期待を示す。同時に、「現状の欧州域内の生産能力、テクノロジー・ノードを大幅に超える見込みのインテルの量産プロジェクトが実現すれば、域内需要は変化するだろう」との見解を示した(注12)。
なお、インテルによるドイツ東部・マクデブルクでの総額300億ユーロ規模の最先端半導体工場の建設計画については、同社とドイツ連邦政府とインテルが計画の基本合意書に署名した2023年6月時点で、「4~5年以内の稼働を目指す」方針が示されたものの、2024年9月、プロジェクトの2年間の延期が発表されている(本特集「半導体生産、世界シェア2割へ険しい道のり(欧州)」リンク)。
- 注1:
- 欧州委員会ウェブサイト、European Chips Act: The Chips for Europe Initiative(2024年10月15日閲覧)。
- 注2:
- ホライズン・ヨーロッパ、デジタル・ヨーロッパの概要については、ジェトロ調査レポート「EUの半導体政策と半導体法案の概要(558KB)」、EU デジタル政策の最新動向第1回(2022年8月)参照。
- 注3:
- 欧州委員会ウェブサイト、‟The EU budget bolsters Europe’s technological leadership: the European Chips Act”(2024年10月15日閲覧)。
- 注4:
- 欧州イノベーション評議会は、画期的なイノベーションの開発・展開を支援するため、欧州委員会が発足させた機関。特に中小企業やスタートアップに対する資金供給を行うほか、ファンドを通じた株式投資も行う。
- 注5:
- インベストEUプログラムの目的や概要については、2018年6月14日付ビジネス短信を参照。
- 注6:
- シリコンオンインシュレーター(SOI)は、ウエハーをシリコン基板-絶縁膜-シリコン膜の3層構造で加工し、表面のシリコン膜に回路を形成する技術。膜と基板との間に絶縁膜があることで電流の漏れを低減できる。FD-SOIは、特にシリコン膜を薄くし、性能を向上させる技術。
- 注7:
- CHIPS JU(ブリュッセル)での筆者インタビューに基づく(実施日:2024年9月9日)。
- 注8:
- CHIPS JU活動報告(2024年5月)、‟APPENDIX 2: Activities Launched in 2023 for the Initiative part”
- 注9:
- imec本社(ルーベン)における筆者インタビューに基づく(実施日:2024年9月10日)。
- 注10:
- CEA-Leti、2024年6月11日プレスリリース、「CEA-Leti Announces Launch of FAMES Pilot Line As Part of EU Chips Act Initiative」
- 注11:
- ジェトロ調査レポート「EUの半導体政策と半導体法案の概要(558KB)」、EU デジタル政策の最新動向第1回(2022年8月)参照。
- 注12:
- 欧州委員会(ブリュッセル)での筆者インタビューに基づく(実施日:2024年9月11日)。
- 執筆者紹介
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ジェトロ調査部国際経済課長
伊藤 博敏(いとう ひろとし) - 1998年、ジェトロ入構。ジェトロ・ニューデリー事務所、ジェトロ・バンコク事務所、企画部海外地域戦略主幹・東南アジアなどを経て現職。主な著書:『FTAの基礎と実践:賢く活用するための手引き』(編著、白水社)、『タイ・プラスワンの企業戦略』(共著、勁草書房)、『アジア主要国のビジネス環境比較』『アジア新興国のビジネス環境比較』(編著、ジェトロ)、『インドVS中国:二大新興国の実力比較』(共著、日本経済新聞出版社)、『インド成長ビジネス地図』(共著、日本経済新聞出版社)、『インド税務ガイド:間接税のすべてがわかる』(単著、ジェトロ)など。