ポスト・シリコンバレーを探る-米国・エコシステム現地取材研究商業化で起業家を生み出す、ノースカロライナ州立大学

2024年3月28日

リサーチ・トライアングル・リージョン(以下、リサーチ・トライアングル)には、全米でトップクラスの研究機関に分類されるデューク大学、ノースカロライナ大学チャペルヒル校、ノースカロライナ州立大学の3校を中心に、ライフサイエンスやテクノロジー関連企業が集積(本特集「研究開発基盤を強みに産学官が共創、リサーチ・トライアングル」参照)。大学を拠点として、産学連携の促進や研究結果の商業化を目指す大学発スタートアップの支援に、積極的に取り組んでいる。本稿では、ノースカロライナ州立大学のスタートアップ支援の取り組みと、同大学発スタートアップのファゾム・サイエンスの事例を紹介する(インタビュー日:2024年1月30日)。

研究結果の商業化を支援

米国では1980年にバイ・ドール法(Bayh-Dole Act)が成立。一定の義務を果たすことを条件に、連邦政府から資金提供された研究成果の権利を大学などの非営利機関や企業などが所有できることになった。その条件の1つには、研究成果を保護し商業化に向けて取り組むことが含まれる。ノースカロライナ州立大学(以下、NC州立大学)では、この法律を基に、大学に属する研究商業化オフィス(ORC:Office of Research Commercialization)が同大学発の研究成果を商業化し、スタートアップを支援している。

大学の研究上の発見の商業的な可能性を最大限に活用するために、NC州立大学の全学部・学科・ユニットの教職員、学生から提出された「発明開示(invention disclosure)」(注1)を戦略的に管理している。提出された発明開示に基づいて、発明者と協力し、知的財産の特許やライセンス取得の手続きを実施している。これまでの取り組みから生まれたスタートアップは200社以上、商業化された製品は600点以上になっている(2023年末時点)。2019年から2023年までの過去5年間の実績では、1,235件の発明開示、835件の商業化契約、90社のスタートアップが誕生した(表1参照)。

表1:ORCの活動による実績(2019~2023年)
項目 2019年 2020年 2021年 2022年 2023年 合計
(2019~2023年)
発明開示件数(件) 295 276 269 205 190 1,235
特許発行総数(件) 75 96 95 104 90 460
商業化契約件数(件) 155 145 201 193 141 835
その他の契約(件) 892 778 841 882 780 4,173
スタートアップ数(社) 21 17 20 18 14 90

注:その他の契約は、再販基本契約(Master Distribution Agreement)、秘密保持契約(Confidential Disclosure Agreement)などが含まれる。
出所:ノースカロライナ州立大学研究商業化オフィスウェブサイト外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます

発明開示から商業化につなげる初期段階の取り組みとして、新たな研究プロジェクトの創出促進に一役買っているのが、ウイリアム・ランディ・ウッドソン学長が2010年に立ち上げた「学長イノベーション・ファンド(CIF:Chancellor’s Innovation Fund)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」だ。ORCのウェイド・フルガム副学長によると、ウッドソン学長は2010年4月の就任時にNC州立大学発のスタートアップ数を倍増させる計画を発表し、同年に500万ドルを投じてCIFを設立した。CIFは、商業化を見据えた短期研究プロジェクトを支援するためのシードファンド。科学、ソフトウェア、ライフサイエンスなどの分野で研究計画を募り、(1)発明開示、(2)プレ・プロポーザル、(3)フル・プロポーザル、(4)ピッチの4段階の選考プロセスを勝ち抜いた計画に対して投資する(注2)。総応募数に対する受賞者の割合は9%。1件当たりの最大5万ドの出資が受けられる。2023年までに75件の研究計画に対して、450万ドルを投資している。投資した研究計画から生まれたスタートアップは35社にのぼる。

スタートアップ支援のトータルパッケージを提供

スタートアップの支援は、ORCの新規事業チーム(New Ventures Team)が担当する。ファンディング、スタートアップ向けサービス、メンタリングについて、スタートアップの成長段階に応じた支援ツールを用意している。ORCが直接提供するツール以外にも、リサーチ・トライアングルのエコシステムを形成する各支援機関、大学、民間企業などと提携して提供するツールへのアクセスも提供する。

ファンディングは、NC州立大学発スタートアップが参加できるビジネスプランコンテストであるドハティ基金や連邦政府が給付する補助金への申請書作成に係る費用を補助するSparkPlugプログラム外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますなどが提供されている(表2参照)。フルガム副学長によると、州立大学を中心としたスタートアップ・エコシステムで、重大な課題は資金調達にある。シード段階の資金調達課題の解決を目指し、NC州立大学卒業生によるエンジェル投資家ネットワーク(ウルフパック・インベスター・ネットワーク)を2016年に立ち上げた。シードからシリーズAまでのアーリーステージの資金調達を対象とし、これまでに累計2,500万ドル投資されている。また、州内のデューク大学、ノースカロライナ大学チャペルヒル校と提携し、トライアングル・ベンチャーズ・アライアンスも立ち上げた。ベンチャーキャピタル(VC)による投資の増加にも取り組んでいる。母校発スタートアップを支援したいという卒業生によるファンドの設立、VC誘致活動により、州外のVCなど10社の誘致に成功するなど、VC投資額は着実に増えているという。

表2:ORCが提供するスタートアップ向けファンディングプログラム
段階 プログラム内容
立ち上げ初期段階
(Launch)
  • ノースカロライナ州立大学I-Corpsプログラム
    I-Corps(Innovation Coprs)とは、米国科学財団(NSF)が資金提供してきた研究に関する技術の商業化を狙い、起業家精神の育成を図ることを目的としたプログラム。顧客や市場理解を深めるため、潜在顧客へのインタビュー、会議、見本市などへの参加にかかる旅費を支援。
  • SWEATエクイティ・プログラム
    ソフトウェア・アプリのアイディアをスタートアップの起業につなげるための必要な資金と技術的な専門知識を提供するプログラム。アイディアを検証するための研修、試作品開発のための資金を支援。
ビジネス構築段階
(Build)
  • SparkPlugプログラム
    連邦政府が提供する中小企業技術革新研究プログラムおよび中小企業技術移転プログラム(SBIR/STTR)による資金調達を目指す州立大学発スタートアップが対象。選ばれたスタートアップに対し、プログラム採択の可能性を最大化するために、申請書作成のための専門家支援に使う資金を提供。
  • ドハティ基金(Daugherty Endowment)
    過去3年以内に州立大学の知的財産のライセンスを供与された州立大学発スタートアップを対象に、年に1回行われるビジネスプランコンテスト。1~3位までの入賞者に資金提供。後続の資金調達につなげることを目的としている。
事業拡大段階
(Scale)
大学、VC、投資家グループによる資金提供機会を紹介。
  • ウルフパック・インベスター・ネットワーク(WIN)
    州立大学の起業家コミュニティ、州立大学の卒業生ネットワーク、民間企業の連携により立ち上げられたエンジェル投資プラットフォーム。州立立大学卒業生の投資家とNC州立大学発のスタートアップをマッチングし、シードおよびシリーズAの資金を提供する。

出所:表1に同じ

立ち上げ直後の新規スタートアップ向けには、パックスタート(PackStart)プログラム外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますというNC州立大学発スタートアップを対象とした支援パッケージがある。スタートアップが技術・事業開発に専念できるように、立ち上げに必要な各種サービスを提供することで、迅速な事業開始を後押しすることを目的としている。パックスタートプログラムには、多岐にわたる複数のサービスが含まれており、参加するスタートアップが必要に応じて選択できる(参考参照)。また、ORCでは、スタートアップの立ち上げに関心のあるNC州立大学の教員や研究チームを対象に、四半期ごとにワークショップを開催し、ORCが提供するサービスの紹介、起業に関する相談対応などの機会を設けている。

参考:パックスタート(PackStart)プログラムで提供されるサービス

主なサービス内容
スタートアップ設立のための知的財産のライセンス供与
知的財産(特許、著作権、商標、ノウハウ)の理解・保護・管理
ビジネスモデルおよびビジネスプランの開発支援
戦略のガイダンス
ロゴ/ウェブサイトの作成
共有インキュベーションスペース
戦略的パートナーとのコネクション
資金調達機会へのアクセス
ドハティ基金ビジネスプランコンテストへのアクセス
補助金申請書作成支援
新規事業グループが運用するSNSでの情報提供、ネットワーク機会の提供
ORCのスタートアップ紹介ページへの企業情報の掲載
ピッチ・プレゼンテーションコーチング
法律事務所、公認会計士、保険会社など、スタートアップの成長を支援する地元企業のダイレクトリー

出所:表1に同じ

メンターシップでは、ORCアドバイザーズネットワークという外部専門家による起業家支援や、I-Corps(表2参照)で提供されるメンターシッププログラムなどが活用できる。

積極的な産学連携

NC州立大学では、パートナーシップオフィス(Office of Partnership)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますが担当する産学連携の取り組みも、同地域のスタートアップ・エコシステムの重要な一部になっている。NC州立大学には3つのキャンパスがあり、センティニアル・キャンパスが1,000エーカー(約404万7,000平方メートル)を超える規模の最も広いキャンパスで、敷地内には企業向けのオフィスや研究スペースが入居する建物が立地する。パートナーシップオフィスのマーク・シュミット副学長によると、米国では企業の研究開発拠点は大学とは物理的に立地が異なるリサーチパーク(研究用工業団地)に入居することが一般的である一方で、NC州立大学ではキャンパス内に直接企業が入居している点が特徴的と話す。2024年1月時点で約70の民間企業、政府機関、非営利団体などが入居しており、パートナーとして提携しているという。入居企業は資金提供を行って実施する研究プログラムがあり、約4,000人の学生が参加しているという。提携する主な企業は、フジフイルム・ダイオシンス・バイオテクノロジーズ、IBM、BASF、シスコ、アンダーアーマーなどがある。2017年から2022年までの間に、産業界による資金提供は1億1,400万ドル、2,000人の学生が提携企業に就職したという。企業にとっては、大学と連携して新技術を研究できるとともに、優秀な学生を採用する機会を得られるメリットもある。大学側にとっても、人材育成や新たなスタートアップの起業機会創出につながっている。


パートナーシップオフィスのシュミット副学長(左)と研究商業化オフィスのフルガム副学長(右)
(ジェトロ撮影)

ノースカロライナ州立大学
センティニアル・キャンパス内(ジェトロ撮影)

学長イノベーション・ファンドを契機に起業-ファゾム・サイエンス

NC州立大学による研究商業化の取り組みで誕生したスタートアップの1つが、ファゾム・サイエンス(Fathom Science)だ。2018年に設立された。ブルーエコノミー(注3)の分野で、数値モデリング技術を活用して、データ収集・分析。顧客の要望に応じて、海洋環境に関してその結果や長期予報などを提供する。

同社のロイ・ハー最高経営責任者(CEO)は、2007年から州立大学海洋・地球・大気科学部の教授として海洋物理学を研究してきた。その結果、海洋渦(注4)の形成を3カ月先まで正確に予測することに成功した。この研究結果に対し、学長より研究技術の商業化に挑戦しないかと提案され、2018年のCIFに参加。見事に受賞したことをきっかけに、創業に至った。

ブルーエコノミーでは、幅広い産業が対象になる。ファゾム・サイエンスでは、漁業、海洋生物の多様性、気候、洋上エネルギー、海洋リスクマネジメント(洪水、干ばつなど)、サプライチェーン、海上輸送、観光など、多岐にわたる産業をターゲットに市場開拓を狙う。例えばエネルギーに関連して、米国南東部のメキシコ湾で石油・ガスが洋上採掘されている。そのために、4,000基超のオフショア石油採掘装置が設置されている。海洋渦が発生した場合、石油開発のシャットダウンや採掘装置のダウンタイムにより、年間1億ドルの損失が発生してしまう。換言すると、オフショア石油開発産業にとって、海洋渦の発生を予測し備えることが損失を最小化するために重要ということになる。そこに正確な海洋環境の分析および予測データへの需要が発生するという。

同社の技術は、高解像度、毎時間でのデータ更新、最大3カ月先までの予測が可能な点が強みで、収集・分析した海洋環境データを自社のデジタルツイン(注5)上に集約し、顧客の要望に応じてパッケージ化し、サブスクリプション(購読)形式で提供するビジネスモデルを展開する。

米国内では米国航空宇宙局(NASA)、米国海洋大気庁(NOAA)、米国海軍研究局(ONR)、南東部沿岸海洋観測地域連合(SECOORA)といった政府機関と、海外ではインドネシア政府と提携したプロジェクトを実施している。2024年1月現在で、従業員は8人。今後、増員していく予定だ。ハーCEOによると、米国での市場規模は3,600億ドル、世界的には5兆ドルにのぼり、潜在的な成長が期待できる。創業当初は共有のコワーキングスペースを利用していた。しかし、2024年1月には州立大学内に独立したオフィスを構えた。このように、企業としての成長も著しい。ブルーエコノミーへの貢献を目指し、特に海に隣接する部分が多い国・地域への海外展開も目指したい考えだ。直近では、気象情報を提供する企業と提携し、営業にも力を入れていく方針で、ハーCEOは「2024年は自社にとって重要な年」になると意気込む。


ファゾム・サイエンスのロイ・ハーCEO
(ジェトロ撮影)

ファゾム・サイエンスのチームメンバー
(ジェトロ撮影)

大学の支援が起業を実現

ハーCEOは、起業に際して「データやパソコンの購入など比較的初期投資が少なかったこともあり、創業資金をCIFで賄うことができた」と話す。大学発のスタートアップは科学者である創業者のネットワークを活用し、人材やパートナーの獲得ができる点が強みだ。一方で、商業化にあたっては、ORCによるアドバイザーやVCの紹介といったビジネス面での手厚いサポートが不可欠だったという。

同社のジェニファー・ワリロウ副社長は、「科学者が立ち上げたスタートアップのため、ビジネスを学びながら操業している」と話す。特に、科学者とビジネスパーソンでは使用する用語が違うことが課題だ。まずは、両者のギャップを埋めることが重要という。ビジネス知識の習得のためには、NC州立大学のビジネスカレッジコースを受講した。また、ORCが提供する専門家サポートでは、ピッチ用プレゼンテーションについて現地のビジネスアドバイザーから添削を受けたという。ハーCEOは、今後の事業拡大に向けて、まだまだ学ばなければならないことが多いと感じている。「科学者の起業課題の1つは、ビジネスの知識」とも指摘。同時に「その不足を補ってくれるエコシステムが、NC州立大学を含むリサーチ・トライアングルにはある」と話した。


注1:
発明の内容を示し明らかにすること。特許取得の前提になる。
注2:
選考は、第1段階として、発明開示後にプレ・プロポーザルが提出された計画の中から、まずフル・プロポーザルに進む案件(セミファイナリスト)が選出される。第2段階として、フル・プロポーザルが提出された計画の中から、ピッチに進む案件(ファイナリスト)が選出される。
注3:
ブルーエコノミーは、「海洋経済」と表現されることもある。世界銀行が2017年に発表した定義によると、「海洋生態系の健全性を維持しながら、経済成長、生活の向上、雇用のために海洋資源を持続可能な状態で活用すること」になる。再生可能エネルギー、漁業、海上輸送、観光、気候変動、廃棄物管理など、様々な活動が含有されるという(出所:世界銀行外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)。
注4:
海では、直径数十キロメートル~数百キロメートルに及ぶ渦が発生することがある。これを海洋渦(Ocean eddy)という。海洋渦は、海洋の生態系、大気、海流などに影響する(出所:気象庁外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)。
注5:
現実から収集したデータをコンピュータ上に再現する技術。
執筆者紹介
ジェトロ調査部国際経済課
田中 麻理(たなか まり)
2010年、ジェトロ入構。海外市場開拓部海外市場開拓課/生活文化産業部生活文化産業企画課/生活文化・サービス産業部生活文化産業企画課(当時)、ジェトロ・ダッカ事務所(実務研修生)、海外調査部アジア大洋州課、ジェトロ・クアラルンプール事務所を経て、2021年10月から現職。