勢い増すアジアのスタートアップ・エコシステム最前線現地スタートアップの実態、ESGを絡めた資金調達にも注目(インドネシア)

2024年3月22日

経済発展を遂げる中で、スタートアップの参入余地が大きい社会課題が生まれるインドネシア(本特集「課題解決型エコシステム、産業の幅も広がる(インドネシア)」参照)。ヘルスケアやコールドチェーン、気候変動など、さまざまな領域で起業家たちの取り組みが進展している。起業家を後押しすべく、投資家やアクセラレーターも資金供給にとどまらない支援を提供し、政府の支援プロジェクトも軌道に乗っている。ジャカルタで活躍する関係者への現地取材を中心に、現地エコシステムの可能性や課題を探る(取材は2024年2月21~23日実施)。

「医療の最適化」をコンセプトに、国民に適切な診療を提供

インドネシアの医療・ヘルスケアは、前編で触れた医師不足のほか、生活習慣病、支払い可能な水準での医療アクセスの不備など、課題が多い。2億人を超える人口を抱えながら、医療体制がそれに追いついていない実情がある。前出の医師不足の問題に加えて、1万人当たりの病床数(2016年時点)も9.9床と、シンガポール(24.8床)やマレーシア(16.8床)に比べて少ない。こうした課題にソリューションを提供し、成長しているのがAlodoktor(アロドクター)だ。

2014年に創業し、オンライン診療が可能なデジタルプラットフォームを開発。風邪など軽症であれば処方箋を発行し、同社のオンライン薬局サービスを通じて、診断から1時間ほどで、宅配で薬を受け取ることができる。プラットフォームには、医師1,000人以上、薬局1,000店舗が参加。利用者はアプリ上で、医師のレビューを確認しつつ、オンライン診療を申し込むことができる。診断の結果、医療機関での診察が推奨される場合には、提携する1,500の医療機関へのオンライン予約が手配可能だ。2023年に出資した丸紅からアロドクターに出向する篠原将司マネージャー(経営戦略担当)は「患者は対面より迅速かつ安価に診察してもらえる。医師にとっても比較的軽症の患者をオンラインで効率的にケアできるため、より多くの患者を診療できる。医師不足の問題解消に貢献することができる」として、患者・医師双方にメリットがある、と語る(ジェトロ取材2月21日)。Crunchbase(世界的なベンチャー企業データベース)によると、アロドクターは創業以来、累計5,330万ドルの資金調達に成功した。地場保険会社のSequis Life(セクイス・ライフ)やシンガポールのGolden Gate Ventures(ゴールデンゲート・ベンチャーズ)、ソフトバンク・グループ、サムスンの投資ファンドなどが出資元に名を連ねる。


アロドクターのアプリ画面(アロドクター提供)

創業者のナタニアル・ファイビス(Nathanael Faibis)最高経営責任者(CEO)は、創業のきっかけとして、新興国の製薬市場調査やインドネシアeコマース大手の事業立ち上げに携わっていた経験から、インドネシアの医療事情に問題意識を持ったと語る(ジェトロ取材2月22日)。テクノロジーを通じて、品質およびアクセスが不十分な医療環境を改善し、かつ高額な医療費を抑制する「マネージド・ケア(managed care)」の実現を目指して、アロドクターを創業した。創業当社は競合との争いも激しかったが、医師と連携した消費者向け医療情報メディア事業や医師向けの教育・情報共有メディアを進めることで、プラットフォームの信頼性を獲得しつつ、差別化に成功し、次第に競合は淘汰(とうた)されたという。今では、同社プラットフォームには月間2,000万件のアクセス利用がある。オンラインであるため、都市部と地方部の利用が5割ずつを占める。ジャカルタに所在するジャワ島以外に居住する利用者が、ジャカルタの医師に診療してもらうことも当然可能だ。ファイビスCEOは、今後の展開について、「インドネシアでは、課題を1個解決すると、別の課題が10個出てくる」と取り組むべき課題がまだ多く残っていると述べる。地方部での事業拡大には意欲を示しつつ、「デジタル化が進展すれば拡大の余地は大きい」との見方を示す。


ファビスCEO(右)と篠原マネージャー(左)(ジェトロ撮影)

物流面でインドネシア特有の課題解決を提供しているスタートアップが、インドネシア全域でコールドチェーンに特化したフルフィルメントサービスを拡大するフレッシュ・ファクトリー(Fresh Factory)だ。国内20都市に40拠点以上の物流拠点を有する。大消費圏である都市内に冷蔵・冷凍の小型物流施設(デポ)を配置することで、飲食店や小売店、eコマースの消費者まで届ける。いわば、最後の「ラストマイル」配送を支えるのが、同社の特徴と言える。ウィディジャストロ・ヌグロホ共同創業者兼最高商務責任者(CCO)は、「顧客の多くは飲食店チェーンで、海外系の大手ブランドも数多く顧客になっている」と、取引状況を語る(ジェトロ取材2月23日)。すでに870億ドル資金調達済みで、インドネシア最大手ベンチャーキャピタルのEast Venture(イースト・ベンチャーズ)や日系のSBIホールディングス傘下ファンドなどが出資している(Crunchbase調べ)。


ジェトロの取材に応えるウィディジャストロCCO(ジェトロ撮影)

インドネシアでは、大手飲食チェーンは、都市部では倉庫や運送などを自社で運営している場合が多い。しかし、購買力の増す地方都市に展開する場合には、フレッシュ・ファクトリーを活用するケースが増えている。飲食企業にとっては、自社で冷蔵・冷凍施設を保有する必要がなくなる。そのため、コストカットを実現し、小規模な店舗展開が可能で、経営上のリソースも本業に集中することができるという。同社は、ジャワ島以外で経済発展の余地が大きいとみている。ウィディジャストロ最高商務責任者(CCO)は、「島嶼部が多いインドネシアの複雑な物流構造は、課題であると同時にポテンシャルを秘めている」として、飲食チェーンの地方進出に伴い、事業をさらに拡大していく方針を示した。

資金不足解消のカギを握るのは

課題解決に寄与するスタートアップの後押しに、投資家も積極的だ。スタートアップ300社超に投資するインドネシアのベンチャーキャピタル最大手のイースト・ベンチャーズ(前出)は、特に欧米からの有限責任組合員(LP投資家)からの意向も反映し、投資判断の際に環境・社会・ガバナンス(ESG)を重視することを明言している(注)。投資判断の最終局面においてスタートアップに質問票を送付し、回答内容が規制枠組みや世界銀行グループの国際金融公社(IFC)のESG関連基準と照らして整合しているかのデューディリジェンスを実施している。イースト・ベンチャーズでESGを専門とするアグニア・ディマ氏は「(起業当初)収益性が低く、社内リソースも足りないスタートアップにとって、ESGに取り組むことが幅広い投資家から資金を調達するために重要になってきている」と指摘する(ジェトロ取材2月22日)。天然資源が豊富なインドネシアは今後、気候変動に対処する中で重要な役割を担うとしており、気候変動に取り組むスタートアップに重点的に投資する計画を進める。

具体的には、シンガポール政府系ファンド傘下のテマセク・ファンデーションと共催で、エネルギー移行や持続可能な農業、循環経済をテーマに、ASEANで事業展開する卓越したスタートアップに対して総額100億ルピア(約1億円、1ルピア=約0.0094円)のアワードを提供する「気候影響イノベーションズ・チャレンジ(Climate Impact Innovations Challenge)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」を開催する。なお本アワードは、ASEANでの事業展開を条件に日本を含む海外スタートアップも応募可能で、2024年3月から応募開始、9月に授賞式をジャカルタで実施予定だ。


イースト・ベンチャーズのディマ氏(左)とギバリ・アダルクニ氏 (ジェトロ撮影)(2月22日)

スタートアップによる社会解決がインドネシアで一層進展するには、課題も少なくない。現地でエンジェル投資およびアクセラレーションプログラムを運営し、創業間もないプレシード段階またはシード段階のスタートアップを支援するAngin(アンギン)で投資責任者のアティカ・ベネディクタ氏は、「社会課題は山積している一方、ソリューションを利用する側やそれを支援する投資家の資金力が不足している」と指摘する(ジェトロ取材2月21日)。特に地方部においては、課題解決を提案するスタートアップが登場したとしても、そのサービスを利用する消費者の存在が乏しく、スポンサーとなる投資家にも期待しにくいという。他方、地方部を含めて、気候変動に対処する「クリーンテックやアグリテックに、我々のネットワークに属する投資家は注力している」とアティカ氏は述べ、こうした分野を含むスタートアップからの資金調達の申請が毎月100通以上寄せられているという。


アンギンでパートナーシップを担当するウシュラ・トディン氏(右)、アティカ氏(右から2人目)
(ジェトロ撮影)

国内外からの資金調達拡大に向けて、政府も施策を講じている。インドネシア情報通信省(KOMINFO)は、シードまたはステージA段階のスタートアップを多角的かつ継続的に支援する「ハブ・アイディー(HUB.ID)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」を2019年から立ち上げている。その一環として、国内外有力投資家とのマッチングを目的とした国内最大級のスタートアップイベント「ハブ・アイディー・サミット(HUB. ID Summit)」をコロナ禍の中断を挟んで毎年バリで開催しており、直近の2023年9月には、国内スタートアップ80社、国内外有力投資家50社を目指して開催された。なお2024年は、9月1週目に開催し、初めて東南アジア近隣国のスタートアップの参加も募る計画を明らかにした。これはインドネシアのスタートアップ投資を目指す日本企業にとっても最良のイベントと言えるだろう。また、創業初期のスタートアップに対して個別支援するKOMINFOの「スタートアップ・スタジオ(Startup Studio)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」では、数百~数千の応募から厳選されたスタートアップの資金調達を後押しすることで、調達額として累計110億円超の成果を上げている。KOMINFOのソニー・スダリアナ次長は「まだインドネシア発スタートアップの成功は少ない。成功率を高めていく必要がある」と述べ、支援の強化に前向きな姿勢を示す(ジェトロ取材2月21日)。スタートアップの躍進に向けたインドネシアの挑戦は続く。


注:
イースト・ベンチャーズ「Sustainability Report 2023」

変更履歴
文章中に誤りがありましたので、次のように訂正いたしました。(2024年3月25日)
第4段落
(誤)2,000件
(正)2,000万件
執筆者紹介
ジェトロ調査部国際経済課 課長代理
藪 恭兵(やぶ きょうへい)
2013年、ジェトロ入構。海外調査部調査企画課、欧州ロシアCIS課、米州課を経て、2017~2019年に経済産業省通商政策局経済連携課に出向。日本のEPA/FTA交渉に従事。その後、戦略国際問題研究所(CSIS)日本部客員研究員を務め、2022年1月から現職。主な著書:『FTAの基礎と実践:賢く活用するための手引き』(共著、白水社)、『NAFTAからUSMCAへ-USMCAガイドブック』(共著、ジェトロ)。
執筆者紹介
東アジア・ASEAN経済研究センター(ERIA) スタートアップ・エコシステム担当マネージャー
町井 健太郎(まちい けんたろう)
2013年、ジェトロ入構。企画部、ジェトロ山形、経済産業省通商政策局経済連携課への出向の後、ジェトロ・ジャカルタ事務所でスタートアップを担当。2024年2月からジャカルタの東アジア・ASEAN経済研究センター(ERIA)へ出向し、東南アジア全体のスタートアップへの貢献を目的として新設されたE-DISCの活動に従事。