スタートアップを生んで育てる。最前線の取り組み(欧州編)欧州随一のイノベーション・エコシステムを分野別戦略で強化(英国)

2024年3月26日

「産官学金」の高度なイノベーション・エコシステム

欧州内で際立った存在感を示し、国際的にもスタートアップやベンチャーキャピタル(VC)の集積地として確固たる地位を築いてきた英国。2021年7月に発表した国家イノベーション戦略外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますでは、その強みの原動力として、(1)世界トップレベルにあり、研究者を輩出する大学・研究機関と、(2)研究開発から応用研究、実用化に至る充実した技術・資金などを担う支援機関の存在を挙げている。

まず、大学・研究機関については、「ゴールデン・トライアングル」と称される、ケンブリッジ、オックスフォード、ロンドンの3つの地域を中心に国際競争力を有するクラスターを形成。世界の主要10大学のうち4つをケンブリッジ、オックスフォード、インペリアルカレッジ、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)が占めているほか(注1)、それら大学を中核に国際競争力を有するクラスターも形成。2023年の世界の科学技術クラスターの人口比集積率は、ケンブリッジが世界トップ、オックスフォードが3位(2位は米国・サンフランシスコ)となった(注2)。また、優秀な頭脳の獲得にも余念がない。2022年5月には、日本の未来創造人材制度(J-Find外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)の原型となったハイポテンシャル・インディビジュアルビザ外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますを導入。世界の上位50大学を卒業した学生を対象に、就業前であっても最低2年間、英国在留を認める制度で、2022年度(2022年11月~2023年10月末)については、アジアからは東京大学、京都大学など、9大学が指定されている(指定大学は英国政府ウェブサイト参照外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)。

次に、技術・資金等支援機関については、研究開発全体を英国研究・技術革新機構(UKRI外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)やその傘下のイノベートUKが担いつつ、応用研究段階では「カタパルト外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」と呼ばれる産学連携機関が、また起業段階では英国ビジネス銀行(BBB)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますが中心となり、イノベーション創出に切れ目のない支援を提供してきた。また、開発段階では特に革新的技術の開発を狙い、近年、高度研究・発明機構(ARIA)も設立された。

このうち、開発支援の中核を担っているのが、2018年に省庁横断組織として設立されたUKRIである。

UKRIは、前述の国家イノベーション戦略に基づき、2022年3月に同機関初となる5カ年計画、「UKRI Strategy 2022-2027PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(16.0MB)」を発表。高等教育機関への出資や研究開発補助金の提供、UKRIが有する9つの機関の1つで、英国のイノベーション推進を担うイノベートUKの活動などに年間80億ポンド(約1兆5,200億円、1ポンド=約190円)の投資を実施し、基礎研究に加え、応用研究や実験開発まで幅広く資金を提供PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(7.3MB)している。また、ARIAは2022年に新たに設立された、科学分野にパラダイムシフトを生み出すような革新的研究の支援に特化した機関であり、基礎研究分野においてUKRIの活動を補完する役割を果たすことが期待されている。

次に応用研究については、ドイツのフラウンホーファー研究機構をモデルとし、イノベートUK傘下に設立された研究開発拠点群である「カタパルト」が著名である。具体的には、細胞・遺伝子治療やデジタル技術、化合物半導体、エネルギーシステム、高付加価値製造業、人工衛星、地域間連携など、9つの分野で全国50カ所に研究施設やテストベッド、工場、専門家などをそろえた中核拠点を設け、応用研究のビジネス化を推進するなど、イノベーションの段階に応じた支援を行っている。

また、起業・小規模事業者向け金融の中核を担っているのが、政府系金融機関である英国ビジネス銀行(BBB)である。BBBは、民間銀行やVCファンドなど金融機関に対し、出資、貸し出し、保証の3つの柱で資金供給を実施。2022年度の金利上昇局面では、ベンチャー向け長期成長ファンドの出資枠追加やスタートアップ向け少額ローン、信用保証のコミットメントラインの増強など、小規模ビジネス向け支援策を大幅に強化。資金供給総額は当初目標の107億ポンドを大きく上回る、総額124億ポンドに達し、それら企業の金融アクセスを強力に下支えした(注3)。

それら制度設計に、民間団体も積極的に参画する。英国最大のテックリーダー・専門家・投資家の連合組織であるテック・ロンドン・アドボケートの代表であるルス・ショー氏によると、コロナ禍においてフランス、ドイツが先行したスタートアップ・エコシステム保護を首相など政府に働きかけ(注4)、BBB内に未来ファンド外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますと呼ばれる資金供給の仕組みを構築したほか、2023年3月の米国シリコンバレー銀行倒産の際は、政府の最優先課題として金融システムの安全性確保に動いたという。民間企業の動きを代弁する組織の存在が、産業界の実情に即した制度の開発・導入の一助となっていると言える(注5)。

欧州域内で突出も、スタートアップ投資額シェアは漸減

それら強固なエコシステムを基盤とし、英国は欧州内で抜きんでた存在となっている。オランダの調査会社ディールルームによると、2023年のVCファンドによるスタートアップ向け投資額は222億ドルとなり、域内2位のフランス(119億ドル)、3位のドイツ(100億ドル)の合計を上回る。また、上場規模10億ドル以上のユニコーン企業数は2023年時点で158社に達し、欧州内でそれに次ぐ規模であるドイツ(66社)、フランス(41社)、スウェーデン(37社)の3カ国の合計数を超えている(注6)。

足元も、2021年のスタートアップ投資の活況からの落ち込みが見られた2022年、2023年上期から、大きく回復傾向にある。英国大手金融機関HSBCのレポート外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますによると、2023年下期のスタートアップ投資額は46%増となり、過去3番目の規模で着地した。他方、主要国と同様、金利が大幅に上昇する中で、特定の成長分野に資金が集中しているのが特徴である。英国の2023年上半期のスタートアップ投資額の約3割が気候変動(クライメット)テック分野となり、62億ドルに達した。また人工知能(AI)関連スタートアップも45億ドルの投資を集め、この2分野で投資額全体の5割弱を占めた。

引き続き、欧州のスタートアップ投資の中核となっている英国であるが、近年は他国も存在感を増している。図は、欧州のスタートアップ投資額に占める各国の割合を時系列でみたものである。ここからは、英国の欧州内シェアが2017年の37.6%をピークとし、2023年には30.8%へと6.8ポイント低下する一方、同時期にフランスは5.4ポイント増、スウェーデンは4.0ポイント増と、それぞれ大きくシェアを伸ばしていることが見て取れる。特に2021年から2023年にかけての英国の投資額下落率は、479億ドルから222億ドルへと53.6%減になり、ドイツ(60.1%減)を除き、欧州全体(46.7%減)やフランス(18.9%減)、スウェーデン(35.4%減)に比べて大きい結果となった。

図:欧州スタートアップ投資額に占める主要国の割合の推移
DealRoomのデータに基づき、欧州全体のスタートアップへの投資額に比べた、主要国(英国、フランス、ドイツ、スウェーデン、オランダ)の投資額の割合を、2015年~2023年までの推移で、折れ線グラフで表示。それぞれの割合は次の通り。英国は、35.8% 36.8% 37.6% 36.3% 37.4% 35.0% 35.4% 32.6% 30.8% 。フランスは、12.1% 13.1% 11.1% 12.7% 11.6% 15.3% 10.8% 15.8% 16.5%。ドイツは、14.1% 12.4% 12.0% 15.1% 16.6% 14.5% 18.5% 12.3% 13.8% 。スウェーデンは、5.6% 7.3% 4.6% 4.6% 6.4% 6.0% 7.1% 5.9% 8.6% 。オランダは、3.5% 3.6% 3.3% 3.7% 3.6% 3.8% 4.9% 4.2% 3.9% 。

出所:ディールルームからジェトロ作成

これをスタートアップ投資の規模別にみると、下落率の大きい英国とドイツについては1億ドル以上の投資が2021年比で半減以下となった(表1参照)。英国VCであるアトミコのレポートでは、欧州へのスタートアップ投資が落ち込んだ要因として、米国VCによるグロースステージでの投資額の大幅な減少があったこと、また英国とドイツについては2021年に欧州VCに迫る規模で米国VCが投資をしていたことが示されていることから(注7)、英国の投資額の減少は、米国VCの投資停滞の影響が大きかったことがうかがえる。

他方、小規模案件に対する投資については、英国と他の主要国で異なる傾向が出ている点も留意が必要である。具体的には、英国では100万ドル未満の投資は2021年に比べ半減した一方で、フランスやオランダでは増加し、100万ドルから400万ドルまでの投資も英国では3割以上落ち込んだ一方、フランスやドイツはいずれも金額ベースで大きく増加した。例えばフランスでは、2020年に43億ドルのスタートアップ支援パッケージを打ち出し(注8)、特に政府系金融機関であるBPIフランスを通じ、金利上昇下の困難な局面でも、多様な形態で資金を供給してきた(注9)。英国市場の規模感が欧州内で突出していることは変わりないものの、上述の米国からの投資の減少に加え、欧州主要国でのスタートアップ・エコシステムの充実や、積極的なスタートアップ支援策もあり、総体として差が縮まる結果となっているといえよう。

表1:2023年の投資規模別スタートアップ向け投資額変化率(2021年比)(△はマイナス値)
投資規模 英国 フランス ドイツ スウェーデン オランダ スペイン
100万米ドル未満 △46.8% 52.6% △31.5% △7.3% 40.7% △13.0%
100万~400万米ドル △31.3% 12.7% 24.5% 1.5% △5.2% 11.2%
400万~1,500万米ドル △18.6% 9.4% △8.2% △17.2% 7.3% 31.3%
1,500万~4,000万米ドル △25.3% 2.6% △27.1% △47.5% △20.6% △17.4%
4,000万~1億米ドル △45.3% △34.4% △63.6% △25.7% △53.4% △40.9%
1億~2.5億米ドル △56.5% △63.2% △52.0% 2.8% △74.9% △73.1%
2.5億米ドル超 △60.2% △60.4% △90.6% △49.6% △100.0% △100.0%
総額 △48.0% △33.5% △61.3% △40.7% △62.6% △43.4%

出所:ディールルームからジェトロ作成

戦略分野への集中投資、新たな投資資金の呼び込みを推進

欧州各国のスタートアップ・エコシステムがそれぞれ充実してくる中、英国は、強みの源泉となってきた、イノベーション・エコシステムの磨き上げでその地位を改めて強化している。その中心となるのが、2023年2月に省庁再編で誕生した、科学・イノベーション・技術省(DSIT)である。

2023年3月には、科学技術分野の2030年までの政府目標支援パッケージを科学技術フレームワーク外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます(999KB)として発表、重点産業分野でのグローバルな競争力を確固たるものにするため、AI、工学生物学、通信、半導体、量子の5分野をターゲット領域とした戦略を発表している。

さらに同月、技術分野で優位に立つだけではなく、グローバル規模での経済・社会課題に立ち向かうため、他の技術立国と深い連携体制を取ることが必要として、国際技術戦略PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(646KB)も発表した。

同フレームワークの中で、ミシェル・ドネランDSIT相は「英国は多くの分野で米国、中国に並ぶ地位を確立しているものの、特にフランスやドイツは科学技術分野への投資をより深く、速く行っている」と危機感を示しており、英国は2023年2月以降、戦略分野の方針を相次いで示してきた(表2参照)。2021年に既に国家AI戦略PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(3.56MB)を発出。2023年内には国家量子戦略(3月)、ワイヤレスインフラ戦略(通信、4月)、国家半導体戦略(5月)、国家工学生物学ビジョン(12月)と、主要5分野の戦略を整えた形だ。

表2:2023年以降のイノベーション分野で発表された主な機構・計画
時期 計画など 概要
2023年2月 科学イノベーション技術省(DSIT)創設 ビジネスエネルギー産業戦略省、デジタル文化メディアスポーツ省の機能を統合
3月 科学技術フレームワーク AI、バイオ、通信、半導体、量子を5つの戦略分野に設定
国家量子戦略 研究ハブ、国際共同研究開発、人材育成など、10年で25億ポンドの投資を約束
国際技術戦略 上記フレームワーク実現のための国際協調を規定
4月 ワイヤレスインフラ戦略 5G、6G分野の技術革新のため1.5億ポンドを投資
5月 国家半導体戦略 今後10年間で、研究開発、スタートアップ支援、人材育成などで10億ポンドを投資
7月 国家宇宙戦略行動計画 分野別計画、人材育成、宇宙関連企業向けVC枠組みなど
10月 チップスタートUK創設 半導体デザインスタートアップ向けインキュベーションプログラム(2年間)
11月 i. AI創設 人工知能関連企業向けインキュベーションプログラム
高度製造業計画 自動車、航空宇宙、ライフサイエンス、グリーン分野に対し2025年から5年間投資
12月 国家工学生物学ビジョン 今後10年間で、研究開発、設備、人材育成、法制度整備などに20億ポンドを投資
2024年1月 欧州の主要科学技術開発枠組みに復帰 ホライゾンヨーロッパ、コペルニクス計画への参画

出所:科学技術フレームワーク進捗レポート(2024年2月)からジェトロ作成

スタートアップはそれら戦略においても、重要なプレーヤーとして規定されている。特に半導体とAIの両分野では、政府が主導する形で優れたスタートアップの育成を図るインキュベーションプログラムがそれぞれ立ち上げられている。半導体については、これまで民間企業であるシリコンカタリスト外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますがアーリーからミドルステージの半導体スタートアップを主な対象としたアクセラレーションプログラムを実施してきたところ、2023年10月にチップスタートUK外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますの名称の下、同社がシードステージのスタートアップに対し、世界初となる、半導体ソリューションに特化したアクセラレーションプログラムを提供することで、切れ目のない半導体スタートアップの起業、育成を行うことが可能となった。またAIについても、2022年に創設された、自動化・イノベーションインキュベーター外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます(i.AI)を2023年11月、人工知能インキュベーター外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます(i.AI)に改組する形で、特に公共サービスへのAIの利用の観点で取り組みが進む予定だ。

さらに、英国経済の基盤となってきた金融面でも投資資金の一層の呼び込みを図る。2023年7月、英国政府は主要9つの年金ファンドの運用資産に占める英国スタートアップなど企業への出資割合を、現状の1%未満の水準から2030年までに最低5%まで引き上げることを発表。さらに、ジェレミー・ハント財務相は、地方政府年金スキームの運用資産に占めるエクイティ投資の割合についても現状の2倍となる10%まで引き上げる協議を開始するとも発言した(注9)。前者については、全てのファンドが適切に対応した場合、500億ポンド以上の投資が新たに生じ、後者についてもさらに250億ポンドの投資が生み出されるとしている。先述の通り、2023年のスタートアップ向け投資規模が222億ドルであったことを踏まえると、これら年金資金の流入促進策が市場に大きなインパクトを与える可能性が高く、運用状況に注視が必要である。


注1:
英国の大学評価機関クアクラレリ・シモンズ(QS)の世界大学ランキング参照(2024年2月21日閲覧時点情報に基づく)Rankings released! QS World University Rankings 2024 – QS外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます
注2:
世界知的所有権機関(WIPO)グローバルイノベーションインデックス(2023)PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(41.3MB)・74ページTable 9など参照。
注3:
英国ビジネス銀行2023年年次報告書参照外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます
注4:
フィンテック・タイムズ誌ウェブサイト参照外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます(本文中の記載内容は2024年3月3日閲覧時点情報に基づく)
注5:
筆者によるインタビュー結果に基づく(実施日:2023年12月8日)。
注6:
スタートアップ企業向け投資額、ユニコーン数ともにディールルームの情報に基づく(アクセス日:2024年2月15日)。
注7:
「State of European Tech Report 2023」アトミコ。
注8:
例えば英国のスタートアップ関連メディアであるSiftedでは、BPIフランスによるファンド・オブ・ファンドなどへの大規模な資金供給により、欧州の中で最も強靭(きょうじん)なスタートアップ・エコシステムが形成されたと指摘している(2024年2月21日閲覧時点情報に基づく)(Siftedウェブサイト参照外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)。
注9:
英国議会ウェブサイト参照外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます(本文中の記載内容は2024年3月3日閲覧時点情報に基づく)。
執筆者紹介
ジェトロ・ロンドン事務所 EMEA地域イノベーション戦略担当ダイレクター
蒲田 亮平(がまだ りょうへい)
2005年、ジェトロ入構。日ASEAN経済産業協力委員会(AMEICC)事務局次席代表、海外調査部アジア大洋州課、ジェトロ・バンコク事務所広域調査員、イノベーション部総括課長代理などを経て、2023年から現職。