特集:各国が描く水素サプライチェーンの未来水素導入視野に加速する日系企業の参入(シンガポール)

2023年6月9日

シンガポール政府は、2050年に二酸化炭素(CO2)排出量を実質ゼロ(ネットゼロ)にするという目標を達成するためにも、発電所や産業の燃料として低炭素水素を導入する方針だ。2026年には水素を燃料とする国内初の発電所が完成する見通しで、発電を中心に水素導入に向けた動きが本格化している。こうした動きをにらみ、日系を含む大手商社やインフラ会社は地場企業と連携するなど、市場参入も加速している。

2050年までに電力需要の最大半分、水素となる可能性

ローレンス・ウォン副首相兼財務相は2022年10月、水素導入に向けたロードマップ「シンガポールの国家水素戦略」を発表した。ウォン副首相は発表の中で、CO2排出量のピークを前倒しにして、2030年に約6,000万換算トンへ削減するとの新たな目標を明らかにした。これにより、2050年にCO2排出量を実質ゼロ(ネットゼロ)とする目標達成が可能だとしている(2022年10月31日付ビジネス短信参照)。この新しい目標を達成する上で、低炭素水素の導入が重要な役割を果たすことになる。

上掲の国家水素戦略によると、2020年のCO2排出量は4,970万換算トン。この排出量の97.9%が発電や、製造業、海運・航空・陸上を含む輸送の3分野からの排出だ(図参照)。このため、政府は同3分野にそれぞれ水素導入を促す方針を示した。特に発電について、水素発電の技術革新が進めば、「2050年までに国内電力需要の最大で半分を水素が占める可能性」を指摘している。同国の発電燃料は2022年6月時点で、約9割を天然ガスが占めている。タン・シーレン人材相兼第2貿易産業相は2021年3月、発電分野の脱炭素化を進めるためにも、(1)天然ガス、(2)太陽光、(3)近隣国からの電力輸入、(4)水素など低炭素の代替燃料の「4つの(発電燃料)供給スイッチ」から調達する方針を明らかにしていた。この4つの供給スイッチの中でも今後、水素が発電燃料として重要な柱となる見通しだ。

図:2020年のCO2排出量(4,970万換算トン)の内訳(単位:%)
最大は製造業の44.4%、以下、発電39.8%、輸送13.7%が続いた。

注:ビルや住宅、水・ごみ処理施設など。
出所:シンガポール国家水素戦略

シンガポール初の水素だき対応発電所、2026年に完成へ

国内では既に水素だき発電所の設置に向けた動きが本格化している。地場発電会社ケッペル・インフラストラクチャー・ホールディングスは国家戦略の発表を前にした2022年8月、シンガポール初の水素だき発電所「ケッペル・サクラ・コージェン発電所(発電量:60万キロワット)」を同国南西部のジュロン島に設置すると発表した。投資額は約7億5,000万シンガポール・ドル(約757億5,000万円、Sドル、1Sドル=約101円)。最新のガスタービン・コンバインドサイクル(GTCC)の発電所で、30%の水素を含む燃料で運転できるよう設計。最終的に100%水素燃料への移行も視野に入れている。同発電所の設計・調達・建設(EPC)契約を受注したのは、三菱重工グループの三菱パワーアジア・パシフィックと地場エンジニアリング会社ジュロン・エンジニアリングのコンソーシアム。同発電所は2026年上半期に完成する見通しだ。

また、政府も自ら水素燃料の発電所と船舶燃料施設の開発に乗り出している。エネルギー市場監督庁(EMA)と海事港湾庁(MPA)は2022年12月、ジュロン島にアンモニアを燃料とする発電所と船舶燃料補給施設の建設・運営・所有(BOO)の関心表明(EOI)の公募を開始した(締め切り日:2023年4月末)。同プロジェクトでは、(1)アンモニアを直接燃料、または水素に転換した上で燃料とする発電所、(2)年間最低10万トン規模のアンモニア船舶燃料を補給可能な貯蔵施設と桟橋を開発する。同発電所の発電量は最低50メガワットで、運営期間は最大25年間。2027年まで、またはできるだけ早期の稼働開始を目指す。同プロジェクトは、最新の水素技術の実証実験を推進するという上掲の国家水素戦略に基づいている。EMAとMPAは同プロジェクトを通じて、水素を運ぶ手段、または直接燃料としてアンモニアが最適かを見極めるのと同時に、必要な規制やエコシステムを整備する方針だ。

日系企業と地場企業、水素プロジェクト協業へ提携加速

シンガポールの水素導入をにらみ、日系の大手商社やインフラ会社などを中心に、地場企業との提携に関する発表が相次いでいる(表参照)。伊藤忠商事、フランス電力(EDF)、シンガポールの発電会社トゥアス・パワーは2022年10月、グリーン水素とアンモニアでの協業に関するMOUを締結した。同3社は、第三国での再生可能エネルギーのプロジェクト開発や、製造・発電・船舶燃料供給を含めたグリーンアンモニア(注)のサプライチェーン構築に向けた具体的な案件を検討する方針だ。また、双日とシンガポールの複合企業セムコープ・インダストリーズは同年同月、脱炭素をテーマにしたインフラや新エネルギー分野の事業領域での戦略的提携のMOUに署名した。両社は、アジア太平洋州で再生可能エネルギーや、グリーン水素のバリューチェーン、環境配慮型の工業団地や廃棄物の資源化など幅広い事業領域で協業を行うとしている。さらに、IHIとセムコープ・インダストリーズも同年同月、発電用のグリーンアンモニアの製造から利用までのバリューチェーン構築の検討でMOUを調印した。

表:シンガポールでの日系企業の水素関連の主な提携案件
年月 概要
2021年5月 伊藤忠商事、伊藤忠エネクス、商船三井、ボパック・ターミナル・シンガポール、シンガポールのパビリオン・エナジー、フランスのトタル・マリーン・フュールと、船舶用アンモニア燃料サプライチェーン構築に向けた共同開発で合意
2021年10月 三菱商事、千代田化工建設、シンガポールのセムコープ・インダストリーズは、千代田化工の水素貯蔵・輸送技術の活用を前提としたシンガポールでの水素バリューチェーン事業実現に向けた戦略的提携の覚書(MOU)締結
2022年3月 大阪ガス、シンガポールのシティー・エナジー、シンガポールのシティー・OGガス・エナジー・サービシズは、CO2と水素からメタンを合成するメタネーション事業の実現可能性調査を共同開始することで合意
2022年6月 東京ガス、シェル・イースタン・ペトロリウム(本社:シンガポール)と、脱炭素化分野の事業化の共同検討で合意
2022年8月 三菱パワーアジア・パシフィック、シンガポールのジュロン・エンジニアリングとケッペル・インフラストラクチャ―・ホールディングスと、ジュロン島に水素発電を視野に入れた発電所の建設EPC契約を締結
2022年9月 三菱重工業、シンガポールのケッペル・ニュー・エナジー、ノルウェーのDNVとの間で、シンガポールに建設予定のアンモニア専焼ガスタービン発電所の定量的リスクアセスメントに関する戦略的提携のMOU締結
2022年10月 伊藤忠商事、フランス電力(EDF)、シンガポールのトゥアス・パワーと、グリーン水素とアンモニア分野の協業でMOU
2022年10月 国際協力銀行(JBIC)とシンガポールのセムコープ・インダストリーズ、水素・アンモニア分野の協力推進を目的とした戦略的業務協力提携を締結
2022年10月 双日とシンガポールのセムコープ・インダストリーズ、脱炭素をテーマにした広範囲なインフラ、新エネルギー分野の事業領域に向けた戦略的提携のMOU締結
2022年10月 IHIとシンガポールのセムコープ・インダストリーズ、シンガポールとアジア太平洋地域で、発電用グリーンアンモニア利活用でのカーボンニュートラル推進を共同で検討するMOU締結

出所:各社報道発表

シンガポールは政府レベルでも、水素技術開発の国際連携を進めている。シンガポールとチリの両国政府は2021年2月、水素の技術協力に関するMOUに署名した。また、シンガポールは同年11月、オーストラリアと水素のサプライチェーンなど低炭素ソリューション研究で協力する内容のMOUに署名している。また、日本とシンガポールは2022年1月、水素や燃料アンモニアなど低炭素技術協力に関するMOUを締結した。

シンガポールは国内で水素を製造するのではなく、100%輸入に依存する予定だ。ウォン副首相は2022年10月発表の上掲の国家水素戦略で「(水素の)サプライチェーン構築に向けて、志を同じくする国々や国際機関とのネットワークを築く方針」をあらためて強調した。今後も引き続き、技術開発やサプライチェーン構築に向けた国家、企業間の連携の動きが一段と加速する見通しだ。


注:
グリーンアンモニアとは、太陽光など再生可能エネルギーを使って、CO2を排出しない方法で生成したグリーン水素を原料としたアンモニアのこと。
執筆者紹介
ジェトロ・シンガポール事務所 調査担当
本田 智津絵(ほんだ ちづえ)
総合流通グループ、通信社を経て、2007年にジェトロ・シンガポール事務所入構。共同著書に『マレーシア語辞典』(2007年)、『シンガポールを知るための65章』(2013年)、『シンガポール謎解き散歩』(2014年)がある。

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