特集:変わりゆく中東とビジネスの可能性EVクラスター計画の行方(サウジアラビア)
2022年11月17日
サウジアラビアで11月3日、同国初の電気自動車(EV)ブランドとなる「Ceer」の生産計画が発表された。2022年2月に工場設立を発表した米国の新興EVメーカー、ルシード・モータース誘致に続くEVの工場設立計画からは、EV産業の集積(クラスター)を目指すサウジアラビア政府の強い意思が読み取れる。産業集積に向けた取り組みと、今後の見通しや課題について概観する。
悲願の乗用車工場設立が実現
サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子(首相)は2022年11月3日、EVブランド「Ceer」の立ち上げと工場設立計画を発表した。国内や中東・北アフリカ地域の消費者向けに、セダンやスポーツ用多目的車(SUV)の車両を設計・製造し、2025年に販売を開始する計画だ(2022年11月7日付ビジネス短信参照)。自国ブランドの乗用車の生産は同国政府が長年、実現を願っていたものだ。
同年2月には、米国の新興EVメーカーのルシード・モータースが西部のアブドゥッラー国王経済都市(KAEC)内に工場設立を発表。同5月には新工場の定礎式を終え、2023年中の生産開始に向けて工場建設を着々と進めている(2022年5月27日付ビジネス短信参照)。前年から非公式レベルでEVメーカーの工場設立計画のうわさはあったが、わずか1年ほどの間にEVメーカー2社が工場設立を立て続けに明らかにしたことになる。
サウジアラビア政府は従来、「脱石油依存」を掲げて非石油産業の育成に取り組んできた。中でも、外国自動車メーカーの誘致を通じた自動車産業の育成は悲願とも呼べる課題だった。しかし、日本のいすゞ自動車、ドイツのMANを扱うハジ・フセイン・アリレザ、ドイツのメルセデスベンツ・トラックを扱うジュファリ、スウェーデンのボルボ・トラックを扱うザヒッド・グループなど、商用トラックメーカーの製造拠点の誘致には成功したものの、乗用車工場の誘致はこれまで思うように実現しなかった(注)。
政府による乗用車メーカーの誘致策が思うように進まなかった原因の1つは、製造業の基盤がなく、十分な専門人材が不足していたことだ。誘致に成功した商用トラック製造についても、ノックダウン方式での生産や、現地仕様へのカスタマイズにとどまっており、進出後のサプライヤー誘致や育成に十分につながっていない。トラック業界関係者の1人は、国内調達できる部材が依然としてバッテリーと包装資材程度にとどまる現状を嘆く。
もう1つの原因は、市場規模の不足だ。サウジアラビアの人口は3,410万人(2021年央 暫定値)ほどだ。関税同盟を形成している湾岸協力会議(GCC)6カ国全体でも6,000万人程度にとどまる。新興国の中では所得水準が高く、購買意欲も豊富といわれるものの、輸入品と競合しつつ工場を抱えるには、十分な市場規模ではなかった。
公的投資基金(PIF)が外資誘致で大きな役割
では、これまで誘致に苦労を重ねてきたサウジアラビア政府は、いかにして2社の工場誘致に成功したのか。実現に大きな役割を果たしたのが、サウジアラビア公的投資基金(PIF)の存在だ。PIFはどの企業にも出資しており、ルシード・モータースについては最大株主となっている(Ceerについては未公表)。PIFは、サウジアラビア政府が進める国家改革計画「ビジョン2030」を実現する役割を直接担っており、特に政策の3本柱の1つである「繁栄する経済(a thriving economy)」の実現への関与が強い。政府はビジョン2030の下、長期的な投資(investing for the long-term)の必要性を示しつつ、自動車産業の育成をその象徴的な取り組みに位置付け、2030年までに国内生産台数として30万台を目標に掲げる。2社への出資はこの方針に沿ったものだ。
もう1つ重要な点は、ルシード・モータースとCeerがともにEV車を専門にすることだ。エンジン車では約3万点ともいわれた部品数は、EVでは2万点程度に減ったといわれる。加工・組み立ての工程に関しても、エンジン車に比べると、いわゆる「すり合わせ」と呼ばれる開発・設計時に必要な企業間の調整も少ないとされる。これから産業集積を図るサウジアラビアにとって好都合となる。
政府の支援も手厚い。例えば、ルシード・モータースは既に総額34憶ドル規模の支援を得ることが明らかになっており、生産開始後には、政府が向こう10年間に最大10万台の購入を予定している。ムハンマド皇太子は2021年10月、2030年までにリヤド市内を走る車の3割をEVにする意向も明らかにしている。
競争環境の変化が自動車産業政策に追い風
サウジアラビアを取り巻く他国との競争環境の変化も見逃せない。ここ数年、(1)米中貿易摩擦、(2)新型コロナウイルス感染症(Covid-19)を契機とするパンデミックリスクの認知、(3)ロシア・ウクライナ問題などによる地政学リスクの増加、(4)国際的な物流コストの上昇などによって、多国籍企業のグローバルサプライチェーン見直しの動きが継続的に生じている。平時には世界規模での経済合理性が優先されてきたが、昨今は部品調達、生産、製品輸送それぞれで国・地域ごとに見直す意識が高まり、域内取引やサプライチェーンの多元化を図る動きにつながっている。
サウジアラビアが位置する中東・北アフリカ地域を考えた場合、世界的にみて高い人口増加率で市場が拡大する一方、自動車産業の集積は進んでいない。トルコやモロッコに一定の自動車産業の集積はあるものの、前者は関税同盟、後者は自由貿易協定(FTA)をそれぞれ結ぶEU市場向けの生産拠点としての色彩が強い。しかし、こうした外部環境の変化は、MENA地域における自動車産業全般に追い風となるとともに、新たに産業集積を図るサウジアラビアの参入機会を広げることは間違いない。
サウジアラビア政府からも、それを意識した発言が聞かれる。2022年10月25~27日に首都リヤドで開催された第6回未来投資会議(FII)では、世界の投資動向、見通し、課題など幅広い分野で議論が展開された。その中で、ハーリド・ビン・アブドゥルアジーズ・アール・ファーレフ投資相は「従来、世界のサプライチェーンは過度に集中し過ぎていたことをパンデミックリスクが明らかにした」とした上で、「(サウジアラビア政府が取り組む)サプライチェーンの強靭(きょうじん)化は、われわれのローカルコンテンツ(増加)のイニシアチブを補完するもの(complement)だ」と強調した。会議に先立つ10月18日と23日に政府が続けて発表した国家工業戦略とグローバルサプライチェーン強化に向けた政策文書でも、同様の姿勢を示した(2022年10月24日付ビジネス短信参照)。
成否のカギとなる輸出競争力の確保
もっとも、今回のCeer立ち上げの発表によって、同国が目指す自動車産業の育成・集積が約束されたとするのは時期尚早だろう。政府目標である30万台の生産体制構築に向けて、ようやくスタートラインに立ったというのが妥当だろう。
では、ゴールに向かって事は順調に進むのか。その将来の行方を占う上で当面の試金石となりそうなのが、周辺諸国への輸出競争力の有無だ。国家産業開発センター(NIDC)によると、サウジアラビア国内の市場規模(2021年)は乗用車が約49万9,000台にとどまるため、計画されている生産規模を考慮すると、生産された車両の相当程度が輸出向けとなる公算だ(表参照)。ルシード・モータースは、生産台数の85%を、欧州を含めた周辺地域に輸出する計画であることを既に明らかにしている。同センターの見通しでは、周辺国のほうが2025年に向けて市場の拡大速度が速いため、輸出を志向する合理性もある。
国・地域名 | 2020年 | 2021年 | 2025年 |
変化率 (2020~2025年) |
---|---|---|---|---|
サウジアラビア | 468 | 499 | 595 | 27.1% |
湾岸協力会議(GCC)諸国(注1) | 856 | 942 | 1,185 | 38.4% |
中東・北アフリカ諸国(注2) | 1,343 | 1,520 | 1,968 | 46.5% |
注1:アラブ首長国連邦、オマーン、カタール、クウェート、サウジアラビア、バーレーン。
注2:GCC諸国、エジプト、ジブチ、スーダン、チュニジア、モロッコ、ヨルダン、リビア、レバノン。
出所:国家産業開発センター(NIDC)を基にジェトロ作成
しかし、生産当初こそ各種補助金の力を借りて輸出余力を有するにせよ、ノックダウンパーツで生産する車両が輸出競争力を確保・維持できるとは考えにくい。従って、本格稼働に向けて部品産業の誘致が成否のカギとなるが、その道のりは平たんではない。将来的に生産台数が計画通り30万台になれば、規模的に自動車部品メーカーにとって参入余地が十分に生じることが予想されるものの、2社とも当面はノックダウン方式となると、むしろマザー工場で調達が行われる場合が多いからだ。当面は車種開発も国外になるため、部品にもよるが、サプライヤー企業の進出メリットは限られる。FIIに参加したルシード・モータースの関係者も、当地でのサプライヤー構築に苦労していることを認める。
朗報は、EVのコアパーツの1つの電池産業では企業誘致が着々と進んでいることだ。オーストラリアの新興企業Avass Groupは2022年2月、サウジアラビア国内にEV用電池の生産拠点を設立することを盛り込んだ覚書(MoU)を産業・鉱物資源省との間で締結することが複数のメディアで報じられた。同じオーストラリアのEV Metals Group(EVM)も、西部ヤンブーに工場を設立し、電極素材を製造することを公表している。いずれの事例でも、サウジアラビア政府が提供するインセンティブについては公表されていないが、政府は新規製造業投資にさまざまなインセンティブがあることを公言しており、何らかの支援策が提示された可能性が高い。関連企業の今後の進出状況とサウジアラビア政府が提示する諸条件次第では、関連する日本企業にも、同様に進出を検討する余地はあるといえよう。
- 注:
- このほか、2019年12月、地元のサウジ・ナショナル・オートモービル・マニュファクチャリング(SNAM)が韓国の双竜自動車をパートナーとして、東部のジュベイルでスポーツ用多目的車(SUV)を製造する計画を発表したが、現時点で生産は開始されていない。
- 執筆者紹介
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ジェトロ・リヤド事務所長
秋山 士郎(あきやま しろう) - 1995年、ジェトロ入構。ジェトロ・アビジャン事務所長、日欧産業協力センター・ブリュッセル事務所代表、対日投資部対日投資課(調査・政策提言担当)、海外調査部欧州課、国際経済課、ジェトロ・ニューヨーク事務所次長(調査担当)、海外調査部米州課長、海外調査企画課長などを経て2021年11月から現職。