日本のスタートアップ企業が香港で得られる支援とノウハウ

2024年2月9日

CogSmartは、脳医学研究で知られる東北大学加齢医学研究所発のスタートアップとして、2019年に設立された。国内での事業の中心は、「BrainSuite(ブレーンスイート)」という脳ドック用プログラムの展開である。従来のMRI検査へ簡単に追加できるプログラムで、MRI画像解析AI(人工知能)を用いて脳の健康状態を健常段階から可視化し、その状態を維持・改善するための個別アドバイスを提供する。このプログラムの展開により、認知症にならない「生涯健康脳」が当然の社会を目指す。

CogSmartの香港法人CogSmart Asiaは、2020年に設立した。2021年7月には、香港政府系研究開発施設である香港サイエンステクノロジーパーク(HKSTP)のバイオテクノロジー系スタートアップ向けの補助金プログラム「Incu-Bio」に、初の日系企業として採択された(2021年8月20日付地域・分析レポート参照)。香港進出後3年が経過し、現地で実際に得た支援内容や今後の展望について、CogSmart Asiaの樋口彰取締役に話を聞いた(2023年12月21日)。


GIES(注1)での展示、写真右が樋口彰取締役(CogSmart提供)
質問:
日本と香港での事業展開の違いは。
答え:
CogSmartの主要事業である医療テック分野の視点から回答をしたい。認知症診断のニーズの程度に差異は感じないが、医療制度や医療環境の差異は存在する。例えば、医療制度において、日本は国民皆保険制度が整備されており、MRI撮影の自己負担額が低いが、香港には同様の制度がない。香港は民間の医療保険制度があるものの、保険会社により補償範囲が異なるため、高度な医療サービスを享受するためには金額の高い医療保険に加入する必要がある。また、日本は予防医療の概念が発展し、健康診断を受ける人も多いため、予防医療が安価に受けられるなど環境が整っている。一方、香港は予防医療の概念が普及しておらず、頭部MRI検査などを含む健康診断の提供は一部の医療機関のみにとどまる。その結果、MRIの普及率は日本と香港では異なり、当社のビジネスモデルもこれに合わせた調整をする必要がある。また、医療機器、医薬品、再生医療の話になるが、香港では医療登録制度はあるが、直接の審査機構があるわけではないため、この点は日本と異なる。
高齢化社会に対応する点では、日本と香港のニーズは一致しているものの、進出業態ごとに日本と香港の医療制度と事業環境の差異をしっかり把握することが重要である。
質問:
香港と日本の差異を把握した上でCogSmartは香港に進出したのか。
答え:
2021年にIncu-Bioプログラムに参加する前、2年間香港で生活をしていたが、香港で生活するだけでは現地の制度や環境が理解できるものではないと感じた。重要なのは、香港の制度や環境、ニーズなどを熟知している現地の従業員やパートナーと協力し、事業を推進することだ。やみくもに海外に拠点を置く日系企業とだけ提携するのでは、事業を成功に導くのは難しいと感じている。
質問:
HKSTPの助成金には使用条件が課されているか。
答え:
Incu-Bioプログラムに参加すれば、助成金申請をして最大600万香港ドル(約1億1,400万円、1香港ドル=約19円)の助成金を獲得することが可能。うち、支払い証拠不要で使用条件が課されていない金額は最大200万香港ドル、他は事前許可の申請や複数社から取得した見積書の提出など使用条件が課されている。資金使途も限定されるが、大きくR&D(研究開発)費用(臨床試験費用、実験室のレンタル料、研究者の人件費、知的財産ライセンス費用など)と非R&D費用(宣伝費、海外展示会の参加費、会計監査費用など)の2種類に分けられる。半年ごとに、研究開発計画のマイルストーンの達成状況や業務活動内容の説明が求められる。
また、HKSTP内のオフィス使用料は1年間無料、2年目以降は使用料の半額に相当する7,000香港ドルとなる。
質問:
HKSTPによるその他支援は何があるか。
答え:
HKSTP資金調達チームやテクノロジーチーム、またはメンターから定期的にビジネスマッチングやピッチコンテストなどの案内がある。また、民間企業が運営するスタートアップインキュベーションプログラムへの無料セミナー参加案内などもある。個別に現地の医療業界関係者とのコネクション形成や意見交換の場も設定してくれる。
HKSTPは香港最大級のイノベーションエコシステムであるため、香港や中国の大企業とつながる機会が多い。HKSTP経由で、現地企業と接点を持てる点は一番の入居メリットである。加えて、HKSTPは海外とチャンネルを多く持っているため、外資系企業の本部にアクセスが可能であり、スピード感もある。
質問:
ローカル人材をどのように採用したか。
答え:
香港でローカルスタッフを2人雇用したが、1人目は知り合いの紹介で、2人目は現地のソフトウェアやAI(人工知能)エンジニアの養成学校の就活イベントで出会った。現地リクルートエージェントサービスへの依頼も可能だが、スタートアップ企業が求める人材が登録しているかは判別できなかった。香港に地縁がない場合には、エージェントサービスを活用する選択肢のみであろうが、自分から動いて、現地のイベントへ積極的に参加する、そこでネットワークを広げて、スタートアップに情熱を有する人を探すなどの対応が望ましいだろう。
質問:
広東・香港・マカオグレーターベイエリア(粤港澳大湾区、以下、大湾区)の建設が着々と進んでいる。香港へ進出した時期と比較して、大湾区市場への見方は変わったか。
答え:
数年前と変わらず、魅力的な市場と見ている。現時点では、研究開発に専念しているため大湾区への進出はまだ準備段階だが、将来的な事業展開はポジティブに見ている。事業を一定的規模まで発展させたのちに、大湾区に進出した方が大湾区の制度を活用しやすいとの印象を持っている。中国本土の情勢の変化はあるものの、大湾区が大きな市場であることに変わりはない。大湾区に進出するのであれば、深セン市などのローカル企業とつながりつつ事業連携を行う。現地当局との交渉は現地の担当者に委任する、ディストリビューターは現地企業に委託するなど、海外勢として「郷に入っては郷に従う」必要があるだろう。単独での事業展開は不可能なため、現地の企業との連携は不可欠である。また、HKSTPなどの機関経由で、中国本土(特に深セン市)の企業と連携することも可能であろう。
質問:
海外に事業展開した場合、技術流出のリスクに対する見方は。
答え:
特許を取得していれば技術が守られるものではないため、開示する必要がないものは開示しないことが重要だろう。HKSTPの入居審査においても、持っている技術内容を細かく開示する必要はなく、研究内容に賛同を得られることが重要である。他方で、現地で事業提携する際には技術流出のリスクがあることは認識すべきだろう。
質問:
以前と比べて香港におけるビジネス環境は変化したか。
答え:
ビジネス環境は以前と変わらないが、将来的に海外移住を希望する能力・意欲ある香港人材が増えている。それゆえ、懸念の1つとして、今後の優秀な香港人材の確保が挙げられる。
質問:
香港での有望分野は。日系企業はどの点に商機があるか。
答え:
香港市場は大きくない。香港市場は、中国市場に参入する前の試金石(中国市場でのビジネスが可能かどうか)であると個人的に考えている。香港で普遍的なニーズであれば、いずれの分野でも商機はあると考える。現地でのニーズをきちんと把握してリソースを活用できれば、どの分野でも商機がある。例えば、HKSTPはロボティクス、AI、フードテック、クライメートテック(気候変動対策に資する技術)など、幅広い分野のスタートアップ育成プログラムを提供しているので、これらの分野の事業を展開している日本のスタートアップの皆様には、ぜひ注目してほしい。
質問:
香港進出を目指す日系企業やスタートアップに伝えたい点は。
答え:
何より、自分の事業を信じ切ることが大事だ。信じて進めば、応援者がおのずと集まってくると考えている。個人的には、香港は日系企業のアジアないし世界進出の起点であると考えており、数多くの日系企業が集まっているのも事実である。2019年以降の報道から、香港にマイナスのイメージを持っている方が多いかもしれないが、香港の人々や企業はこれまでどおり元気に活躍している。大湾区での規制緩和や各種連携も進んでいる。香港へ進出するのであれば、「なんとなく香港に行けばいいじゃないか」より、「香港の可能性を信じて動き出そう」と考えてくださるとうれしい。私を含め日系企業の方々の中には、香港に愛を持っている人も多い。彼らもきっと快く迎えてくれ、いろいろと相談に応じてくれるだろう。

GIESにおいて市民向けにプレゼン(CogSmart提供)

2023年12月、CogSmart社がベストスタートアップアワード(注2)を受賞。
その授賞式の模様(CogSmart提供)

注1:
香港最大級ジェロンテック(高齢者向けテクノロジー)の展示会。
注2:
香港貿易発展局が主催した海外スタートアップ向けのイベント。
執筆者紹介
ジェトロ・香港事務所
何樂晴(エスター・ホー)
2021年香港大学文学部日本研究学科卒業。2021年11月から現職。