逆風か?アジアの代替タンパク食品開発ハブ、シンガポール

2024年3月29日

動物の細胞を培養した代替肉の製造販売が世界に先駆けて2020年に認められたシンガポールでは、植物由来の代替肉を含む代替タンパク源を開発する企業がアジアで最も集積している。ただ、細胞培養肉の本格生産に当たっては、課題も少なくない。しかし、アジアで将来、環境負荷が少ないと期待される代替タンパク源の需要拡大を見込み、規制の整備や研究・開発(R&D)の動きが一段と加速している。

細胞培養の商業生産に遅れ、厳しさ増す資金調達

米国のスタートアップ、イート・ジャスト(ブランド名:グッド・ミート)は2020年12月、世界で初めて細胞培養した鶏肉の商業販売をシンガポールで始めた(2022年2月18日付地域・分析レポート参照)。続いて同社は2022年6月、シンガポールにアジア最大の細胞培養肉の製造施設兼R&D施設を着工した。2023年中にも商業生産開始を予定していたが、地場英字紙「ストレーツ・タイムズ」紙は3月8日、東部ベドックで予定していた同工場の稼働が延期されたと伝えた。同社は既に植物由来の代替卵「ジャスト・エッグ」の製造計画を停止している。イート・ジャストは2024年1月、同社をバイオリアクター(生化学反応装置)の代金未払いで訴えた米国のABEC社を相手取り、契約違反で複数の訴えを起こしている(「アグファンダー」1月30日)。

シンガポールではこのほか、地場のシオック・ミーツのサンディヤ・スリラム最高経営責任者(CEO)兼共同創業者が2023年5月9日付のソーシャルメディアへの投稿で、エビなど甲殻類の細胞培養の商業生産の難しさを理由に、当面の間、傘下のガイア・フーズ(Gaia Foods)の赤身肉の商業生産を優先して取り組む方針を明らかにした。同CEOはその理由として、肉と比較して海産物の細胞培養の技術が「極めて新しい」とし、「R&D段階の小規模での培養では成功しても、大規模となると難しい」と述べた。また、細胞培養に必要不可欠なバイオリアクターの確保が厳しいことも理由に挙げた。同CEOは2024年3月13日には、ソーシャルメディアの自身のページで、地場の同業スタートアップのウマミミーツと、合併に向け交渉中と明らかにした。今後、このような細胞培養肉関連のスタートアップの再編も予想される。

フードテックやアグリテック分野のスタートアップの資金調達額は2023年に入り、世界的な投資資金の縮小に呼応するかたちで、大きく縮小している。シンガポールのスタートタップ専門オンライン紙「テック・イン・アジア」によると、シンガポールを拠点とするアグリテックや食品関連のバイオテック、人工知能(AI)の企業への投資額は、2022年に過去最高の1億5,750万米ドルだったが、2023年1~9月に3,700万米ドルに大きく縮小した(図参照)。フードテックの中でも、本格的な商業生産の技術が確立されていない細胞培養肉への投資では、資金調達額が特に激減している。米国ベンチャーキャピタル(VC)のアグファンダーが2月24日に発表した調査結果によると、世界の細胞培養肉への投資は2021年に9億8,900万米ドルと過去最高となった後、2022年に8億700万米ドルに減少し、2023年に1億7,700万米ドルと、前年比78%の大幅減となった。

図:シンガポールを拠点とするアグリテック、食品関連の
バイオテック・AI部門のスタートアップの資金調達額推移
2017年の資金調達額 は1500万ドル、資金調達件数は1件。 2018年の資金調達額 は200万ドル、資金調達件数は2件。 2019年の資金調達額 は1200万ドル、資金調達件数は7件。 2020年の資金調達額 は5670万ドル、資金調達件数は22件。 2021年の資金調達額 は9330万ドル、資金調達件数は17件。 2022年の資金調達額 は1億5,750万ドル、資金調達件数は10件。 2023 (注)年の資金調達額 は3700万ドル、資金調達件数は10件。

注:2023年は1~9月の数値。
出所:テック・イン・アジア

世界に先駆け、規制環境の整備進むシンガポール

シンガポールはこれまで、需要を先取りするかたちで、細胞培養肉の製造や販売に向けた規制の整備を進めてきた。シンガポール食品庁(SFA)は2019年11月、世界で初めて、細胞培養肉を含む新規食品(ノベルフード)の規制の枠組みを導入した(2022年2月18日付地域・分析レポート参照)。同庁は翌2020年12月に、上掲のイート・ジャストの培養鶏肉の一般向け販売を世界で初めて承認している。また、同庁は2023年1月、イート・ジャストに対し、培養肉の生産に当たって無血清培地(注)の生産を許可した。さらに、シンガポール・イスラム教評議会(MUIS)は2024年2月3日、一定の条件を満たせば、イスラム教徒が培養肉を食することを認める(ハラール)内容の宗教令(ファトワ)を発表した。

アルビン・タン国務相(貿易産業担当)は2023年10月31日、同国で開催されたアジア太平洋アグリフード・イノベーション・サミットの開幕演説で「シンガポールとSFAはともに、革新的で持続可能なタンパク源に関する規制と認可で世界の先駆者だ」と強調した。

代替タンパク源開発の実験場としてのシンガポール

タン国務相は、アジアの植物代替肉など代替肉市場の規模が2023年時点で43億米ドルだったと指摘した上で、「代替タンパク源の開発に取り組む企業が、成長するアジア大洋州市場向けの実証実験を行う場所として、シンガポールは最適の拠点だ」と強調した。シンガポールにアジア大洋州地域の統括本部を置く非営利団体グッド・フード・インステチュート(GFI)の調査によると、シンガポールに拠点を置く代替タンパク源を開発するスタートアップの数は、2022年時点でアジア太平洋地域の24%を占め、同分野で企業の最大の集積地だ。同国には、植物代替肉や培養肉の新規商品と素材の開発を支援する公立の教育機関や民間企業のR&D施設も集積している(2023年3月3日付地域・分析レポート参照)。

シンガポールを拠点に植物性代替タンパク質の東南アジアでの販売拡大を狙う企業はスタートアップだけではない。不二製油(本社:大阪市泉佐野市)は2022年4月、シンガポールに「代替タンパクイノベーションセンター・アジア(Alternative Protein Innovation Centre Asia, APICA)」を設置した。不二製油が開発した肉や魚のうまみをだす植物由来のだし「MIRACORE(ミラコア)」を使用して、地元の消費者の好みに合う料理のレシピ開発を行う。レシピ開発に当たっては、シンガポールの高等専門学校テマセク・ポリテクニックと提携し、植物代替肉やミラコアなど植物由来の素材のみを使用して、ココナツカレー風味の麺「ラクサ」など、地元の消費者になじみのある料理を開発している。


インパクファットが開発した魚の脂肪培養入りギョーザ(ジェトロ撮影)

このほか、シンガポールを本社とするスタートアップのインパクファット(ImpacFat、創業者:杉井重紀氏)は、代替肉にうまみと栄養を付加する素材として、魚の脂肪の培養に取り組む(2022年5月26日付ビジネス短信参照)。インパクファットは2023年10月29日、地場の細胞培養肉の生産受託会社エスコ・アスターと共同開発した魚の脂肪培養を入れたギョーザの試食会を関係者向けに開催した。同社は将来、日本やタイ、中国、欧米への展開も視野に入れている。

代替タンパク源を開発するスタートアップを取り巻く状況が厳しさを増す中でも、環境負荷が少なく、健康への効果も期待される植物代替肉や細胞培養肉などの需要拡大を期待した開発の動きは一段と加速している。


注:
無血清培地の使用により、培養肉の生産プロセスから動物血清を使用しないことで、培養肉の製造コストを削減できるとされる。
執筆者紹介
ジェトロ・シンガポール事務所 調査担当
本田 智津絵(ほんだ ちづえ)
総合流通グループ、通信社を経て、2007年にジェトロ・シンガポール事務所入構。共同著書に『マレーシア語辞典』(2007年)、『シンガポールを知るための65章』(2013年)、『シンガポール謎解き散歩』(2014年)がある。