現地専門家が語るフィリピンのコーポレートガバナンス事情
M&Aの鍵握る企業文化理解

2023年7月13日

近年、情報通信やエネルギー、不動産、金融をはじめとする分野で、日本企業によるフィリピン企業を対象としたM&Aや資本参加が活発に行われている。M&A は被買収企業の既存の経営資源を活用したスピーディーな市場参入や自社事業とのシナジーの創出などのメリットが期待できる。今後も日本企業によるフィリピン企業のM&A事例は増加すると見込まれるが、日本企業が株式取得後に、フィリピン企業のコーポレートガバナンス(注1)について課題に直面することも想定される。フィリピン政府は企業に対してコーポレートガバナンス強化の取り組みを推進しているが、フィリピンならではの企業経営の慣習も強く残っているためだ。

今回は、M&Aやコーポレートガバナンスを専門とするアジア経営大学院のダイナ・バジル教授にフィリピンでのコーポレートガバナンスに関する事情についてインタビューした(取材日:2023年5月12日)。なお、本稿ではコーポレートガバナンスのうち、投資家や消費者の視点から、特に直近の動向や留意点を取り上げた。


アジア経営大学院のダイナ・バジル教授(本人提供)

フィリピンでのコーポレートガバナンス事情

質問:
日本企業がフィリピン企業に投資をする場合、留意すべきフィリピンのコーポレートガバナンス事情について教えてほしい。
答え:
投資家の観点から、フィリピンのコーポレートガバナンスはいくつかの問題を抱えている。例えば、資本市場が未成熟である点だ。フィリピンでは上場企業の数が少なく、資本市場の規模がまだ小さい。そして、投資家が投資先の上場企業に対して見解や意見を表明する機会が限定されている。また、上場企業の大半は依然として同族経営である。そのため、企業で何らかの不祥事や株主などに対する利益相反が生じたとしても、十分な説明責任が果たされない可能性がある。
また、フィリピンでは、経営者による一般投資家向けの主体的な情報開示メカニズムが十分には構築されていない。投資家は、アクセスできる企業の経営情報が限定されている。そして、こうした状況は中小企業のみならず、上場する大企業においても見受けられる。このように、経営の透明性が担保されていないため、企業のコーポレートガバナンスを強化させるためには、経営者が投資家に対して十分な情報開示を行い、経営者と投資家との間の情報量の差を是正する必要がある。
質問:
政府は企業のコーポレートガバナンス強化について施策を講じているのか。
答え:
国際的な資本市場や海外企業からの期待もあり、特にビジネスの持続可能性や企業の社会的責任について政府は施策を打ち出している。海外企業、特に欧州の企業は自社のみならず、サプライヤーなどの取引先に対しても企業の社会的責任を問うようになっており、フィリピンにおいてもこうした欧州企業の動向の影響を受けている。
施策の具体例として、フィリピン証券取引委員会(SEC)は2019年に上場企業を対象とした「サステナビリティ・レポーティング」に関するガイドライン(2019年SEC覚書回状第4号PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(3.55MB))を発出した(注2)。同ガイドラインでは、持続可能性などの非財務情報についての報告を企業の年次報告書に付すことを義務付けており、それができない場合は、その理由を説明することを規定している。

フィリピンの文化理解が重要

質問:
フィリピンで適切なコーポレートガバナンスを実践するにあたっての秘訣(ひけつ)は。
答え:
フィリピンの文化について理解することが必要だ。フィリピン人は一般的に、表立った争いは好まない。ビジネスのあらゆる場面において、利害の衝突が発生し得る。フィリピンでは、その際に過度な対立を回避する傾向にある。重要な意思決定を行う場面においては、経営者、従業員そして投資家の間で深刻な対立関係を生み出さないようにした方がよい。深刻な対立を避けることで、意思決定や企業運営が円滑になるケースが存在するのだ。加えて、会社内で深刻な対立を回避するような仕組みを、いわば「会社の意思決定におけるインフラ」として構築することで、マネジメントが円滑になる。
また、ビジネスの意思決定過程において、フィリピン人の従業員の意見にも耳を傾けた方がよい。そうすることで、意思決定後、フィリピン人の従業員が意思決定内容に従いやすくなるであろう。トップダウンで決定した場合、意思決定内容についてフィリピン人は表面的な対立は避ける傾向にあるため、表向きは異を唱えないが、決定事項に対して実際に行動に移さない場合もあり得る。特に彼らの利益を毀損(きそん)する場合は、そうした事態が発生するだろう。組織のガバナンスを行う上で、フィリピンの文化を十分に理解することは重要なことである。
M&Aを実行する場合においては、いっそう文化の理解が重要となる。統合前の2社間の企業文化、とりわけ意思決定の方法やコーポレートガバナンスの手法が大きく異なる場合は、大きな対立関係が生じ得るだろう。
外国企業にとって、M&Aを実行するメリットの1つが「時間を買う」ことにある。M&Aを通じて、外国企業は被買収企業の既存の経営資源を活用し、フィリピン市場にいち早く参入できる。しかし、仮に企業統合が円滑に進まず、時間を要すれば、「時間を買う」というM&Aの利点は失われてしまうだろう。
フィリピンでのビジネスにおいては、人権についても留意が必要だ。例えば、農業分野では児童労働が依然として問題となっている。フィリピンの地方においては、教育へのアクセス機会が都市部と比較すると限定されており、低賃金労働の原因となっている。そのため、一部の家計では生活費を賄うため、子供を強制的に労働させている。フィリピンでは、児童労働による搾取を防ぐ規制は存在するものの、特に貧しい地域や家庭では規制に反して児童労働が行われている場合がある。
また、雇用慣行に関して一部の雇用主は、労働法で定められている6カ月間の試用期間を悪用し、試用期間終了間際に従業員を解雇し、再度の雇用を繰り返す場合がある。こうした場合、従業員が正規で雇用されず、生活が不安定なままである。外国企業は、取引先や投資候補先においてそのような慣行がないか、チェックする必要がある。

消費者のコーポレートガバナンス意識も高まる

質問:
これまで、投資家と企業の関係という観点からフィリピンのコーポレートガバナンスについてお聞きしたが、フィリピンの消費者の間でのコーポレートガバナンスに対する意識についてはどのようにみるか。
答え:
消費者の間で、コーポレートガバナンスについて関心が高まっている状況だ。大企業のサービスを享受する消費者は、大企業の社会的責任やビジネスの持続可能性、そして消費者を含むステークホルダーへの説明責任などに敏感になっている。特に消費者である若い世代は、ステークホルダーとして、企業の社会的責任に関して意識が高く、自身の見解を明らかにし、実際に行動に移すことに積極的だ。消費者が大企業に対して社会的責任を求めた結果、大企業の取引先である中小企業に対しても説明責任が求められるようになっている(注3)。
今や、フィリピンでは大企業・中小企業を問わず、経営者はビジネスのオペレーションにおいて消費者に対する説明責任を念頭に置くようになってきている。
一方で、消費者との間での課題も山積している。例えば、フィリピンでは消費者に対する情報開示も社会的な責務という観点からすると十分でない点が挙げられる。食品の場合、当該商品がどのような原材料や成分で構成されているのかといった、成分表示が定着している。しかし、例えば制汗剤のような、食品以外の商品では表示が十分になされていない。この結果、消費者は多くの場面で自分たちが普段どのような化学物質に触れているのか分からないようになっている。このように、製品の成分表示に関して、制度が十分に整備されていない状況である。これは長期的な視点に立ち、消費者を含むステークホルダーに対して持続可能な価値を提供するというコーポレートガバナンスの原則から逸脱している可能性がある。
質問:
最後に、フィリピン企業が日本企業と提携するメリットについてどのようにみるか。
答え:
留意点を中心に話したが、日本企業とフィリピン企業が連携するメリットは数多くある。特にコーポレートガバナンスの観点では、日本企業は優れたガバナンスを有する企業が多い。日本企業の経験を取り入れ、学習することで、フィリピン企業が経営の質を向上させる可能性もあるだろう。

注1:
企業が株主をはじめとして、従業員およびその他の利害関係者に対する長期的な経済的、法的、社会的な責務を果たすための管理の仕組みを指す。コーポレートガバナンスの目的は、長期的な観点で企業が最大限の成功を実現し、株主、従業員、利害関係者に対して持続可能な価値を提供することにある。
注2:
バジル教授が挙げた取り組みに加え、SECは2019年に企業に対してコーポレートガバナンスの強化を求める通達(2019年SEC覚書回状第24号)を出した。同通達では、取締役会の責任、情報開示および経営の透明性確保、内部統制とリスクマネジメントのフレームワーク、株主保護などに関する現行のコーポレートガバナンス法の規定を強化し、例えば取締役が自社株式に関して取引を行った場合は、全ての取引情報を公開することを義務付けている。
注3:
例えば、自社の取引先の中小企業において人権問題が発生した場合、その影響は自社のビジネス上のリスクにもなり得る。
略歴
ダイナ・バジル(Dynah A. Basuil, PhD)
アジア経営大学院教授。同大学院のラモン・V. デル・ロザリオ・SRセンター・フォー・コーポレート・レスポンシビリティにおいてエグゼクティブディレクターを務める。専門分野は、国際化戦略(クロスボーダーM&A)、コーポレートガバナンス、戦略的人事管理。テキサス大学アーリントン校において博士号を取得(経営学)。
執筆者紹介
ジェトロ・マニラ事務所
吉田 暁彦(よしだあきひこ)
2015年、ジェトロ入構。本部、ジェトロ名古屋を経て、2020年9月から現職。