ASEAN地域で進む医療のデジタル化

2021年10月25日

新型コロナウイルス(以下、新型コロナ)感染拡大を受け、ASEAN域内であらためて注目された各国の医療ビジネス。元来、各国は医師数が限定されていることや、地方における医療アクセスが欠如していることなどの課題に直面してきた。しかし、経済のデジタル化が急速に進む中、医療業界でもデジタル化による新技術を導入する企業が増加し、政府の施策と相まって、遠隔診療や周辺サービスとして、薬の購入ができるアプリなどが普及し始めた。

医療費の増加で財政収支が悪化へ

ASEAN各国の1人当たり医療費をみると、シンガポールの医療費の規模が圧倒的だ。2018年時点では約3,000ドルと突出している(表1参照)。他国は500ドルを下回る水準で、シンガポールに次ぐ国は、マレーシア、タイ、ベトナムの順となっている。対照的に、ラオス、ミャンマー、カンボジアは100ドルを下回る水準になっている。高度な経済レベルにある国ほど、先進的な医薬品の利用や医療技術を導入する余裕があり、結果的に医療費もかさんでくる。他方、医療費が少ないメコン地域の後発加盟国は、そうした医療水準を享受できる利用者が限定的ということに加え、そもそも医療にアクセスできる機会が十分でないともいえる。

表1:ASEANにおける1人当たり医療費 (単位:ドル、倍)
国名 2000年 2010年 2018年 2018年/
2000年比
シンガポール 797 1,497 2,824 3.5
マレーシア 111 292 427 3.8
タイ 62 172 276 4.4
ベトナム 19 79 152 8.0
フィリピン 33 92 137 4.2
インドネシア 16 92 112 6.9
カンボジア 20 54 91 4.6
ミャンマー 4 20 59 13.7
ラオス 14 35 57 4.0

出所:"World Development Indicators (WDI) "(世界銀行)から作成

国民が健康で、医療を必要としないのであれば、問題にはならない。しかし、状況は違う。世界銀行の統計からASEAN各国の寿命をみると、83歳のシンガポールが最も長寿で、以下、タイ(77歳)、マレーシア(76歳)と続く。半面、ミャンマー(67歳)、ラオス(68歳)、カンボジア(70歳)は域内での平均寿命が低い水準にある。また、人口1,000人当たりの医師数は、シンガポールが2.3人で、カンボジア、ラオスはそれぞれ0.2人、0.4人にとどまる。医療アクセスの欠如、あるいは高度な医療の受診機会が不十分な場合は、国民の寿命の上昇も見込めない。こうした問題は、偽造医薬品が流通する要因にもなる。また、所得の向上が進むことによる糖尿病や高血圧などの生活習慣病に罹患(りかん)する患者の増加は、政府の医療費を中心とする社会保障費を拡大させる。結果的に、国家財政が悪化することに繋がりかねない。

国家戦略で医療のデジタル化を策定

医療問題を解決するための1つの手段として、各国政府は、デジタル技術を導入する(表2参照)。マレーシア政府は、保健省を中心に医療データの集約化やオンライン診療を進める。同省は2017年に政府と民間の保健・医療施設とサービス全てを網羅する国家的な保健・医療の情報収集・報告システムMyHDW(Malaysian Health Data Warehouse)を立ち上げ、2018年には、電子カルテを3年間で全国145の病院に導入し、MyHDWと同期させる計画を打ち出した。さらに同年、保健省はマレーシアの産官学連携プログラム (CREST)と覚書を締結した。CRESTは、リモートヘルスモニタリングにおける5G(第5世代移動通信システム)技術の活用、国家レベルの心血管データ解析や網膜読影センターにおけるAI(人工知能)技術の導入などにおいて、先進的デジタル医療のイニシアティブをとっている。

表2 :ASEAN各国のデジタル医療政策
政策
シンガポール
  • 国家戦略としての2014年発表の「スマート・ネーション」構想や2017年の未来経済委員会策定の「産業変革マップ」の中で、医療分野では、革新的で患者中心のソリューションを導入し、新病院開発に取り込んでいくこと、ヘルスケア・サービス提供企業の医療記録のデジタル化を支援し、国のシステムにつなげていくことなどが発表。
マレーシア
  • 2017年に保健省がローンチしたMalaysian Health Data Warehouse(公的・民間医療施設から全データを集約する取り組み)の活用促進。
  • 電子カルテを導入し、Malaysian Health Data Warehouseと同期。
タイ
  • 保健省は、2017年に「eHealth」戦略を策定。2017~2026年において、医療ロボットの整備、自動診断デバイス、癌やアレルギーに対するバイオ素材開発等を実現する計画。
  • 科学技術省、保健省、教育省は、2019年にバンコクソイ・ヨティを中心とする地域を医療イノベーションセンターとして開発する「Yothi Innovation District」計画を公表。
インドネシア
  • 「保健省戦略計画2020-2024」(2020年)において、医療健康システム強化にあたってのデジタル関連施策を策定。オンライン紹介システム拡張、遠隔医療や電子カルテの導入を計画。
ベトナム
  • 首相決定749号(2020年6月)において、スマートホスピタル(電子カルテ、電子決済等)、医療サービスオンラインプラットフォーム、遠隔医療などを通じたデジタル化の推進計画を記載。
フィリピン
  • 「フィリピン開発計画2017-2022」において、ユニバーサルヘルスケアの実現を志向。保健省は情報通信技術省や科学技術省等と連携し、物理的に医療へのアクセスが制限されている地域における遠隔医療の強化を行う計画。

出所:各国政府ウェブサイトなど各種資料から作成

インドネシア政府は、「保健省戦略計画2020-2024」において、医療健康システム強化にあたって、デジタル関連施策を打ち出している。具体的には、オンライン紹介システムの拡張、遠隔医療、医療記録のデジタル化といった政策目標を定めた。また、医療機器・医薬品のデジタル化については、電子ベースのリアルタイム医薬品ロジスティックスシステムの強化がうたわれている。

ベトナム政府は、2020年6月の首相決定749号において、デジタル化が優先されるべきセクターの1つにヘルスケアを挙げた。具体的には、電子カルテの導入や電子決済が可能になるスマートホスピタル医療サービスオンラインプラットフォームの構築、遠隔医療などが応用イメージとして示されている。本首相決定に先立つ2020年4月には、軍隊通信グループのベトテルが開発した遠隔診療を実現する「テレヘルスプラットフォーム」の運用を開始した。その後、同プラットフォームは、2021年8月に全国の区・郡レベルの全ての医療センターに導入された。

日系企業の参入も

政府の国家戦略もある中、民間企業は医療のデジタル化ビジネスを展開している(表3参照)。マレーシアのDOC2USは、同国の人口に対する医師の割合が600分の1という状況に着目して、チャットベースで医師とユーザーを結び付けるビジネスを手掛ける。インドネシアのHalodocは、遠隔医療に加えて、病院の予約、薬の購入などができるHalodocアプリの提供を展開している。同社は、新型コロナ禍初期の2020年3月に、配車サービスのゴジェックとともに、インドネシア保健省と覚書を締結し、新型コロナ対策のための支援サービスを行うことを発表した。Halodocの提供するオンライン面談の結果、新型コロナ感染の疑いがあると診断された場合、ゴジェックの運転手によって、必要な薬が患者の自宅まで届けられる仕組みを構築した。

表3 :ASEANにおいてデジタル医療をてがける企業事例
企業名 展開国 政策
オムロン シンガポール 企業向けに従業員の健康管理サービスプラットフォーム「HeartVoice」を開発・販売。
デバイスで測定した日々の血圧管理から生活習慣病の予防や重症化を防止。
DOC2US マレーシア マレーシアの医師不足に対応すべく、ユーザーと医師をチャットによって、結びつけるビジネスが基本。2021年4月、保険会社のAIA Malaysiaと提携。AIA保険加入者は、My AIAアプリからDOC2USのサービスが利用可能。
アルム マレーシア 医師不足や偏在といった社会問題の解決に資するソリューションとして、医師同士で患者情報のやり取りができる医療関係者間コミュニケーションアプリをASEAN各地に展開するため、2021年4月に現地法人を設立して、日本からマレーシアに進出。
Doctor Raksa タイ 民間病院での診察よりも安価な価格で、サービスを提供。オンラインでの医師の診察、電子カルテ、電子処方箋、薬剤師の診察、処方箋の再発行など医療に関わる一貫したプラットフォームを構築。
Halodoc インドネシア 遠隔医療、病院の予約、薬の購入などができるHalodocアプリを提供。新型コロナ直後に、ゴジェックの運転手が必要な薬を患者の自宅まで届ける仕組みを構築。
Medgate Philippines フィリピン AIを導入した遠隔診療サービス(遠隔診察、診断書・処方箋発行、医薬品配送)を展開。親会社はスイス。
BuyMed ベトナム 偽造医薬品が流通する問題を解決することを目的として、認証済みの薬局、診療所などの医薬品バイヤーと認証済みの販売会社、卸売り会社、メーカーといったサプライヤーをつなぐB to Bマーケットプレイスを運営。

出所:各社ウェブサイト、新聞報道などから作成

ベトナムでは、医薬品の流通において、模倣・偽造品混入が問題となっている。模倣医薬品は、輸入品が中心で、含有成分が医薬品の表示成分より少ないもの、そもそも含まれていないもの、または管轄機関に登録された品質基準を満たしていないものがある。この社会問題の解決に資する企業として、BuyMedは、認証済みの薬局、診療所などの医薬品バイヤーと認証済みの販売会社、卸売り会社、メーカーといったサプライヤーをつなぐB to Bマーケットプレイスを運営している。

日系企業も、ASEANでの医療のデジタル化に貢献する。オムロンは2019年3月に、シンガポール企業と同国に合弁会社を設立し、同国企業向けに従業員の健康管理サービスプラットフォーム「HeartVoice」を開発・販売している。同サービスを通じた日々の血圧管理によって、遠隔診療や健康増進のアドバイスなどを行うことで、生活習慣病の予防や、重症化を防ぐことに貢献している。また、日本の医療スタートアップのアルムは、医師不足や偏在といった社会問題の解決に資するソリューションとして、医師同士で患者情報のやり取りができる医療関係者間コミュニケーションアプリをASEAN各地に展開するため、2021年4月にマレーシアに現地法人を設立した。

規制の明確化・柔軟化に期待

医療の社会課題は、離島・へき地など、居住場所が原因となる医師へのアクセスの限定性、医師不足、医療サービス価格の上昇など多岐にわたる。これらの放置は、国民の健康・安全の阻害を通じて、最終的には国力の衰退につながる。新型コロナ対応のための遠隔診療などの医療のデジタル化の加速は、この問題を解決に導く可能性をもたらす。しかし、各国ともに、サービス、中でも医療分野の規制は厳しい。デジタルといった新しい技術に対する制度・規制が未整備の国も多く、先進的技術を要する企業も手探りで事業を進めている場合もある。また、そもそも、医療分野は外資の参入条件が厳しく、外国企業がASEANでビジネスが展開できない、もしくは展開しにくい構造的な問題もある。これらの課題に、各国政府は向き合うことで、デジタル技術の導入を通じた医療課題の克服を、早期に進めることが、経済発展の視点からも求められている。

執筆者紹介
ジェトロ海外調査部アジア大洋州課課長代理
新田 浩之(にった ひろゆき)
2001年、ジェトロ入構。海外調査部北米課(2008年~2011年)、同国際経済研究課(2011年~2013年)を経て、ジェトロ・クアラルンプール事務所(2013~2017年)勤務。その後、知的財産・イノベーション部イノベーション促進課(2017~2018年)を経て2018年7月より現職。