【中国・潮流】深センでは、イノベーション政策の中核に知的財産を据える
「知財強市」目指し、知財証券化などの動き
2021年5月6日
中国のシリコンバレーと呼ばれて久しい深セン。これまでにも「多産多死」のスタートアップ・エコシステムの中から多くのユニコーン企業や巨大IT企業を生み出してきた。その発展に伴い、特許出願をはじめとする知的財産活動も非常に活発だ(図1参照)。
こうして、知的財産権の「量」は膨大になった。しかし、一部の企業を除いて、「質」の低い権利が横行し、イノベーションや国外展開に十分に寄与していない。このようなことが起こる背景には、政府の補助金や減税など様々な優遇を受けること自体を目的に権利取得が進められている実情もある。これは中国全土に見られる問題だ。ただ、深センでは特に深刻に捉えられている。こうしたことから、知財政策は、イノベーションをさらに推し進める方向で注力されている。
本稿では、深センでの最近の知財政策や知財証券化など、知財金融に関する新しい動きについて紹介する。なお、この報告は、特許庁委託事業「深圳におけるイノベーション企業に対する知的財産に関する支援体制について-政策、支援機関、証券化、上場と知財-(2021年3月)」調査報告書を地域・分析レポート記事としてまとめ直した。
(特許に相当)の出願件数と権利取得件数、PCT特許出願件数の推移
〔2012年-2020年(1月-11月)〕

注:「専利」は、特許・実用新案・意匠に相当する。「発明専利」は、特許に相当。2020年は、1月~11月。
出所:深セン市市場監督管理局データベースからジェトロ作成
知財強市を目指す深センではイノベーション政策≒知財政策
深センでは、経済特区設立40周年となる2020年の前後に、「知財強市」を目指す上で重要な政策文書が相次いで発表された(表1参照)。ここで注目されるのは、知的財産に特化したわけではない一般的な政策文書の中で、具体的な知財政策が言及されたことだ。国家計画の「深セン市における中国特色社会主義先行モデル区の構築における試行実施案(2020~2025年)」(2020年10月)や「深セン市第十四次五カ年計画」(2020年12月)などがその一例と言える。
特に「深セン経済特区科技イノベーション条例」(2020年11月)では、「知的財産」について独立の章として政策内容が詳細に記載された。それだけでなく、「成果の実用化」と「科技金融」の章でも、知財に関する政策がその大部分を占める。その中で、知財政策、特に知財活用政策をイノベーション政策の中核として明確に位置付けた。この知財活用政策への傾注は、「成果の実用化」「知財証券化」「知財担保融資」「知財価値評価」「知財産業連盟」などがキーワードとして頻出することからもうかがえる。知財に特化した政策文書でも、同様に強調されている。
表1:近年の深センの知的財産政策に関する主要な政策文書(キーワードは太字)
発表時期/名称 | 知財関連の記載概要(一部のみ抜粋) |
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2020年10月 深セン市における中国特色社会主義先行モデル区の構築における試行実施案(2020~2025年) |
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2020年11月 深セン経済特区科技イノベーション条例 |
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2020年12月 深セン市第十四次五カ年計画 |
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2019年3月施行 2020年7月改定 深セン経済特区知的財産権保護条例 |
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2019年5月 国家知財強市の構築による経済の高品質発展の推進に関する深セン市の作業案(2019~2021年) |
「深セン標準、深センブランド、深セン評価、深セン品質」に基づき「知財強市」を目指す
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2021年内予定 深セン市知的財産権第十四次五カ年計画(意見募集稿) |
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あらゆるプロセスで手厚い支援
深センの企業が特許出願など知的財産権の取得を進める背景には、政府による潤沢な金銭的支援が大きいといわれてきた。今回の調査から、支援は単に出願や権利化だけに留まらないことが明らかになった。マネジメントや分析、教育、団体活動、権利執行など知財に関わるあらゆるプロセスで、さまざまな当事者に対して幅広く支援が設けられているのだ。表2に示す支援以外にも、知財担保融資に対する利子補助や特許保険加入に対する補助、高価値特許ポートフォリオ育成などに対する支援なども行われている。
支援拠点の設置も相次ぐ。2017年には研究開発型企業が集中する深セン市南山区に「南山区知財促進/保護センター」、2018年には「中国(南方)知財運営センター」が設置された。前者の主な目的は、知財に関するコンサルティングサービスや民間特許分析サービスの中小企業向け無償提供などだ。後者は知財と金融を統合したサービスを中心に、特許価値の定量的評価や特許検索・融資機関などのデータベース、知財取引プラットフォームなどを提供する。その他、国家知識産権局(特許庁に相当)による迅速な審査のため、「預審」を行う知財保護センターや国外での知財保護を支援する機関なども設立されている。
表2:深セン市市場監督管理局による金銭的な知財支援の一部
国内特許(発明専利)出願 |
出願人向け:2500元/件、権利化後に付与、年間上限5件 初めての出願人は7500元を追加補助 代理人向け:1000元/件、権利化後に付与、年間上限200万元 (代理人は深センに拠点を置き、前年の深セン出願人の発明専利の権利取得代理件数が20件以上であること) |
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外国特許出願 |
外国:日米欧4万元/件、その他1万元/件、権利化後に付与、年間上限は納税額による PCT:1万元/件、国際公開後に付与、年間上限は納税額による |
外国商標出願 |
マドプロ:1000元/件、最大20カ国・地域まで EUIPO/OAPI/ARIPO:3000元/件 外国:1000元/件、権利化後に付与、年間上限3件 |
その他 |
証明商標・団体商標:20万元/件 地理的表示:50万元/件 ソフトウエア著作権:年登録20件以上で300元/件 国家/広東省著作権登記:年登録5件以上で200元/件 |
知財管理優秀企業・大学など |
20万元/社(1回限り)、毎年20社まで
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国家標準「企業知財管理規範」「大学知財管理規範」「研究機関知財管理規範」の審査・認定費用支援 |
上限5万元/社
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特許賞(専利奨)受賞者への奨励金 |
中国専利奨:金賞200万元、銀賞50万元、優秀賞20万元 深セン専利奨:30万元 中国商標金奨:100万元 中国著作権金奨:100万元 |
産業知財連盟 |
上限50万元/団体(1回限り)毎年3団体まで
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知財分析・評価プロジェクト(企業向け) |
上限50万元、毎年5プロジェクトまで
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特許ナビゲーション(専利導航)プロジェクト(団体向け) |
上限200万元、毎年3プロジェクトまで
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初等・中等教育機関での知財教育 |
20万元/校、毎年2校
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特許代理事務所の研修 | 2000元/人(新規採用者)(新規採用者)、上限10万元 |
知財研修コース | 20万元/件、毎年30件まで、上限400万元 |
知財意識向上プロジェクト | 50万元/件、毎年10件まで、上限300万元 |
外国の知財サービス機関の誘致 |
100万元/件、毎年2件まで
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深セン外の知財サービス機関の誘致 |
50万元/件、毎年3件まで
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深センの知財サービス機関支援 |
20万元/件、毎年3件まで
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知財サービス機関への奨励金 |
30万元、1回限り
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知財紛争支援 |
国内:上限50万元/件 海外:上限100万元/件
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知財保護体系の建設・イノベーションプロジェクト |
上限50万元/件、年間上限500万元
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先行して試行進む知財証券化
知財の証券化とは、企業が所有する知財を裏付けとして市場の投資家から資金を調達する金融システムを指す。具体的には、(1)特許権やそのライセンスロイヤルティーの受益権などを特別目的事業体(SPV: Special Purpose Vehicle)に移転する、または(2) SPVが知財担保融資の債権者として、知財価値評価を経てこの資産を裏付けとして市場で取引可能な証券を発行する、などの手法を取る。中国では、知財を活用した資金調達として知財担保融資が進められてきた。しかし、価値評価や金融機関のリスク管理などに課題があった。そのため、近年は新たな試みとして、知財証券化のプロジェクトが動き始めた。これを主導しているのは、深センや広州(広州開発区)、上海などの地方政府だ。
2019年12月には、深セン初の知財証券化商品「平安証券-高新投知的財産権1号資産支持特別計画(ABS: Asset Backed Securities)」(図2参照)が深セン証券取引所で上市。初回発行額1億2,400万元(約20億5,840万円、1元=約16.6円)の資金調達を実現した。このケースは「深センモデル」として、2020年に相次いで開発された複数の知財証券化商品のベースになった。例えば、南山区政府と中山証券、深セン市高新投集団有限公司が共同で、新型コロナウイルスに関連した製薬・医療機器関連企業向け(第1期)、中小企業向け(第2期)、第5世代移動通信システム(5G)関連企業向け(第3期)に開発した総額10億元(約166億円)の知財証券化商品などで活用された。いずれも、特許権をはじめとする知財を合計で数十件提供する複数企業のグループが、証券会社や銀行、資産評価会社などとスキームを構築している。
この深センモデルを構築する上で大きな役割を果たした組織が「深セン市高新投集団有限公司(高新投)」だ。1994年に深セン市政府によって設立されたこの組織は、担保融資や信用保証、ベンチャーキャピタル(VC)など、起業初期から成熟期までの投融資サービスを提供している。知財証券化モデルの構築に当たっては、この高新投が深セン市政府の公的資金に基づく信用保証業務を行い、投資家や金融機関のリスク低減を図っている。

出所:広東省市場監督管理局「広東知識産権証券化藍皮書」と新浪財経「万字深度解析知識産権ABS業務実操宝典!」からジェトロ作成
大企業からスタートアップ、金融関係者まで、幅広い交流広がる
深センの民間部門の動きで特徴的なことは、大企業やスタートアップ、大学、知財専門家から金融機関までが幅広く交流する場が設けられていることだ。
例えば、2018年9月に創設された「深セン市南山区知的財産権連盟」には、騰訊(テンセント)や華為技術(ファーウェイ)、中興通訊(ZTE)、邁瑞生物医療電子(マインドレイ)といった著名な大企業が、理事長級として参加する。このほか、副理事長級の「知財優勢企業」枠(DJI、ヌビア、センスタイムなど)、「ユニコーン企業」枠(UBテックロボティクス、ウィーバンクなど)、「大学・研究機関」枠がある。また、理事級として「科技金融」枠(銀行などの金融機関)や「鑑定・評価機構」枠、「法律事務所」「知財サービス機構」枠など、あわせて100以上の組織が参加。知財戦略や知財金融などの専門家委員会やシンクタンク機能を設けている。
「深セン市知的財産権連合会」にも、会長職を務める騰訊をはじめ、多くの企業や組織、業界団体、公的機関が参加する。さらに、複数の欧米系法律事務所が加わり、さまざまなイベントや知財紛争調停センターの運営、知財業務ガイドの提供などを行っている。
政府主導から民間主導に転換できるかがカギ
深センでは、広東・香港・マカオ大湾区計画でのイノベーションセンターとしての役割を担い、スタートアップの選別が進む(2021年3月29日付地域・分析レポート参照)。そうした中、深センの知財政策も量から質へ、権利取得から権利活用へと大きくかじを切り始めた。また、中国では、上海科創板や深セン創業板での新規株式公開(IPO)の際に知財紛争が頻発し、知財上の欠陥が理由で上場審査が通らない事例が複数発生した。こうしたことなどにより、スタートアップの資金調達にあたって、知財の重要性に対する認識が高まってきている。
一方、知財証券化の試みは、資金調達の実現をもって成功ではない。むしろ、資金調達によって事業を拡大して知財の価値を高められるか否か、公的資金に過度に依存しないフローを構築できるか否かが重要だ。深圳での「知財と金融の統合」をはじめとした試みが政府主導から民間主導に転換し、質の低い企業・技術を淘汰(とうた)して知財をコアとした新たなイノベーション・エコシステムを形成していくのか、注目される。
出所情報

- 執筆者紹介
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ジェトロ・香港事務所
松本 要(まつもと かなめ) - 経済産業省 特許庁で特許審査/審判、国際政策および知財・イノベーション政策を担当後、2019年9月ジェトロに出向、同月から現職。