グリーン水素で世界の水素利用牽引役を目指すドイツ
国家水素戦略で水素技術の基盤整備へ
2020年9月9日
ドイツ連邦政府は2020年6月10日、「国家水素戦略(1.31MB)」を採択した。これに先立ち6月3日に発表した景気刺激策の「未来パッケージ」では、水素技術の市場を立ち上げるべく、総額90億ユーロの予算を確保するとしている。ドイツは2019年10月に発表した「気候変動対策パッケージ2030」で、温室効果ガス排気量を1990年比で55%減とする目標を定めており(2019年10月1日付ビジネス短信参照)、EUの欧州グリーン・ディールに即して2050年までにカーボン・ニュートラルを実現するという目標達成のためには、水素は特に鉄鋼業や化学工業などのエネルギー集約型産業や、交通分野の脱炭素化のカギとなる技術と位置付けている。本レポートでは、ドイツが水素技術で世界をリードするための新たな施策と産業界の反応、北部ドイツの州政府および企業の動向を紹介する。
生成方法による水素の4分類-ドイツが利用すべき水素の色は「グリーン」に
気候変動対策として大きな役割を担うことが期待される水素だが、水素生成の過程で多くの二酸化炭素(CO2)排出量が生じるようでは意味がない。このため、国家水素戦略の策定に先立ち、どのように生成された水素ならば環境負荷が小さく、かつ効率的なのか、どういった水素の生成と利用を推進していくべきなのか、という議論が経済界や産業界で活発化した。こうした観点から、政府は生成方法により水素を以下の4つの「色」に分類し、区別している。
- グリーン:再生可能エネルギー由来の電力を利用して水を電気分解して生成される水素。CO2フリー。
- ブルー:CO2回収・貯蔵プロセス(CCS)の過程で生成される水素。水素はCO2分離回収の過程で生じるため、水素生成の観点で見るとCO2は排出していないと見なすことができ、カーボン・ニュートラル。
- ターコイズ:メタンの熱分解により生成される水素。熱分解装置が再生可能エネルギーにより運転され、かつ生成過程で生ずる固体炭素がCO2として大気中に放出されない場合にはカーボン・ニュートラル。
- グレー:化石燃料を原料とし、生成過程でCO2が大気中に放出される水素。
国家水素戦略では、長期的に持続可能なエネルギーはCO2フリーの「グリーン」と明示している。ただし、ドイツのエネルギー供給インフラは欧州のそれと緊密に結びついているため、欧州で利用されるカーボン・ニュートラルなブルー水素やターコイズ水素についても、エネルギー転換過渡期に利用する可能性も排除していない。なお、EUは7月8日に発表した「欧州の気候中立に向けた水素戦略」では、化石燃料由来の「低炭素水素」も投資対象としている(2020年7月10日付ビジネス短信参照)。
水素技術を次世代輸出産業にまで育成目指す国家水素戦略
国家水素戦略ではでは大きなゴールを、カーボン・ニュートラルの達成、パリ協定の目標の達成、そして水素社会への転換をコロナ後のドイツ経済成長の好機とすることとしている。そのために水素を国内のCO2排出削減の方策の中心に据え、水素の生産から貯蔵、輸送、利用までバリューチェーンを確立すること、国内水素市場の開発、また同時に水素技術を輸出産業へと育成することを目指しており、90億ユーロの予算を確保している。
同戦略では、2023年までに実施する38の施策が策定されており、これらは、水素生産にかかる施策、水素の活用分野に関する施策、交通分野の施策、産業利用の施策、住宅・熱利用の施策、水素供給のためのインフラにかかる施策、教育・研究開発促進の施策、EUレベルの行動のための働き掛け、世界レベルでの市場展開と協調の9つに分類されている。
現在、製造業の材料生産プロセスで55テラワット時(TWh)の水素が使用されており、その大半がグレー水素だ。水素需要は、2030年には90〜110TWhにまで拡大する見込みで、排出削減のためにはグリーン水素の導入が必須だ。このため、2030年までに水素電解プラントを5ギガワット(GW)規模まで拡大し、グリーン水素14TWhの供給を目指す。また、2040年までにこれを10GW規模まで拡大する。これを実現するには、グリーン水素生成のためのインセンティブが必要としており、水素生産にかかる施策では、グリーン水素の生産過程に必要な電力には再生可能エネルギー法(EEG)に基づく賦課金(注1)の免除や、電解設備への助成を施策として挙げている。
一方、世界レベルでの市場展開と協調では、将来のグリーン水素の需要を全て国内生産では賄えないとし、国際連携・協業に90億ユーロのうちの20億ユーロを投じ、アフリカなど、太陽光や風力によるグリーン水素生産に適した地域と提携し、水素を輸入するとしている。既にモロッコと共同でアフリカ初のグリーン水素用の工業プラント開発にも着手している。
産業利用にかかる施策では、特に化学・鉄鋼などのエネルギー集約型産業に注目し、既存のガス用インフラを転用することで、効率的なグリーン水素への転換を期待している。水素の輸入や国内販売に際して必要となる輸送や流通インフラの開発も行う。さらに、交通(バスや列車などの公共交通機関、トラック、商用車、物流)、暖房などの分野での利用も想定している。
戦略の実装や進捗管理に当たっては、柔軟かつ結果志向のガバナンスを導入する。連邦政府が任命した産学の専門家で構成する諮問機関である国家水素評議会を設置し、関連省庁の事務次官で構成する委員会に対して勧告などを行う。同委員会は戦略の進捗の管理、監視と各省庁の支援を効果的に行い、計画の実行に遅延が生じた場合は直ちに内閣とともに対策を講じる。
表1:国家水素戦略の施策(抜粋)
施策 | 概要 |
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施策 1 |
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施策 2 | エネルギーの発送分離を考慮に入れた上で、電解設備の運転事業者と電力系統事業者やガスパイプライン事業者による新たなビジネスモデルや協力モデルの可能性の検討 |
施策 3 | 気候保護イノベーション協定の一環として電解設備への助成 |
施策 4 | グリーン水素生産に利用する再生可能エネルギー源として効果的な洋上風力への投資価値を高めるための基本条件を整備 |
施策 | 概要 |
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施策 5 | 温室効果ガス削減を目指し、交通分野における再生可能エネルギーの比率を高め、水素またはその派生製品による燃料代替のインセンティブを創出 |
施策 6 | 国家水素・燃料電池イノベーション・プログラム(NIP)による助成の継続・強化 |
施策 7 | 電気由来の燃料(特にケロシンおよび先進バイオ燃料)生産用設備の開発および助成 |
施策 8 | 重量貨物輸送、近距離公共交通・旅客鉄道用の水素補給インフラ(水素ステーション)の構築に対する補助 |
施策 9 | 燃料電池動力による越境交通の促進のための欧州インフラ構築の推進 |
施策 10 | 燃料電池および部品産業の育成支援 |
施策 11 | クリーン・ビークル指令(CVD)に基づく自治体交通におけるゼロエミッション車両導入支援 |
施策 12 | 貨物自動車の交通料金制度においてユーロビニエット指令に則し、低CO2排出車への優遇措置の導入 |
施策 13 | モビリティー分野における水素・燃料電池システムの国際標準化 |
施策 | 概要 |
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施策 14 | 化石資源由来の素材・燃料の水素への転換のための助成。特に化学・製鉄産業などを重視 |
施策 15 | 電解設備の運転コスト補助のためパイロットプログラムCarbon Contracts for Difference(CfD)を実施 |
施策 16 | 低排出プロセスおよび水素利用プロセスにより生産された産業製品の需要喚起の手段についての検証 |
施策 17 | エネルギー集約産業を中心とするステークホルダーとの水素をベースとした脱炭素化の方法を協議する対話プラットフォームの設置(対象:化学、製鉄、物流、航空、その他) |
出所:ドイツ連邦経済・エネルギー省「国家水素戦略」
さらに野心的な施策求める産業界
国家水素戦略を発表する記者会見では、ペーター・アルトマイヤー経済・エネルギー相は「国家水素戦略は、ドイツが水素技術の分野で世界のリーダーになるための道を切り開く」と述べた。
産業界からは、CO2フリーのグリーン水素の生産にかかるEEG賦課金免除や、カーボン・ニュートラルなブルー水素またはターコイズ水素の一時的な利用を可能とした点など、戦略の方向性は正しいと評価しつつ、同時にさらなる施策が必要だとする意見も出された。ドイツ産業連盟(BDI)は6月22日の声明で、乗用車の分野で合成燃料や燃料電池によるモビリティーを促進するための具体的な施策が欠けていると指摘した。ドイツ自動車産業連合会(VDA)は戦略が野心的ではないとし、例えば、再生可能エネルギーからつくられた合成燃料(E-Fuel)の税的優遇措置も不十分だと指摘している。また、ドイツ商工会議所連合会(DIHK)は、少なくとも過渡期には、環境負荷の小さい天然ガス由来の水素も利用すべきであること、グリーン水素の生産能力向上にはそれを生産するための再生可能エネルギーのさらなる増加が必要であり、風力発電機を増強する方針を国家戦略に含めなくてはならないと主張している。
進む州政府の取り組み
州政府も先行的に水素の導入へ積極的に取り組んでいる。特に北部ドイツは、沿岸部の風力発電量の高さ、グリーン水素輸入の際に重要となる海港、北部ドイツに6拠点あるエネルギー転換リアルラボ(Reallaboren der Energiewende)(注2)によるノウハウなど、グリーン水素経済の主翼を担うための好条件を背景に、水素動力列車や水素バスなど水素技術導入の取り組みが先行している(2019年9月10日付ビジネス短信参照)。
ハンブルク、ブレーメン、ニーダーザクセン、メクレンブルク・フォアポンメルン、シュレースビヒ・ホルシュタインの北部5州は2019年11月19日に、「北ドイツ水素戦略(1.28MB)」を発表した。利用する水素をいずれほぼ100%グリーン水素とすることを目指し、2035年までに北部ドイツでグリーン水素経済を確立することを目標としている。そのため、2025年までに交通と産業用のグリーン水素需要を拡大させる枠組み整備し、供給側としても同年までに500メガワット(MW)、2030 年までに5GWのグリーン水素電解プラントの設置を目標に掲げている。
さらに、ハンブルク、シュレースビヒ・ホルシュタイン、メクレンブルク・フォアポンメルンの3州による新たな水素プロジェクトも報じられている。これらのプロジェクトも対象となっているのはグリーン水素の生産と利用だ。予定されている25のプロジェクトの投資総額は3億5,500万ユーロで,うち1億2,200万ユーロを州が支援する。これにはエネルギー企業ハンザベルクによる容量25MWの電解槽の建設などの大規模プロジェクトが含まれている(2020年6月21日付「南ドイツ新聞」)。
また、南部のバイエルン州も2020年5月29日に「バイエルン水素戦略」を発表、ここでも生産・利用を推進する水素はグリーンとしている(2020年6月5日付ビジネス短信参照)。
企業による水素事業推進も加速
企業による水素技術活用の積極的な取り組みも見られる。国家戦略に先立ち、研究開発から商用化まで水素技術導入の動きが加速、事業領域にも裾野の広がりを見せている。ドイツ国内には天然ガスの長距離パイプラインが広範囲に張り巡らされており、ガス貯蔵施設も整備されている。こうした既存インフラを活用し、利用されていない既存のガスパイプラインや貯蔵施設を水素輸送専用インフラとして転用するといった構想も進んでいる。自動車業界は燃料電池の商用化を推し進めており、さらに、CO2排出量が大きい鉄鋼業界は気候対策に対応すべく、水素の活用に活路を求め実証実験や研究開発に熱心だ。スタートアップ企業も参入しており、国境をまたいだ協業による実証実験の結果を活用し、国内での水素生産を目指す事例も出ている。
産業 | 企業・団体名 | 主な取り組み |
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天然ガス | FNBガス(ガス輸送管企業協会) | 全長5,900キロの水素輸送網の構築計画を2020年1月28日に発表。既存の天然ガスパイプライン90%以上を転用する。 |
鉄鋼 | ザルツギッター | 金属や鉱業の生産ソリューションを提供するテノバ(本社:イタリア・カステランツァ)と水素ベースのCO2削減鉄鋼生産を行うプロジェクトでの協業を2019年4月3日に発表。 |
鉄鋼 | ティッセンクルップ・スティール・ヨーロッパ | グリーン水素を用いたエネルギー大手の RWE(本社:エッセン)と製鉄プロジェクトで提携に合意したと2020年6月10日に発表。 |
自動車 | ダイムラー・トラック | 2020年4月21日、ボルボ・グループと大型商用車用燃料電池などを開発、量産する合弁会社を設立することで合意。 |
自動車部品 | ボッシュ | 新型コロナウイルスの危機にあっても気候変動への取り組みを推進するとして、パワーセル・スウェーデンと車載燃料電池の開発で2019年4月から協業を開始。2022年の市場投入を目指す。 |
電気分解技術 | サンファイア | ネスト(本社:フィンランド・エスポー)との資本提携を2020年3月6日に発表。製油所における水素生産の実証実験を実施、いずれドイツでの量産を図りたいとしている。さらに2020年6月8日には欧州初の航空用水素燃料プラント設立への参画を発表した。 |
出所:各社ウェブサイトを基にジェトロ作成
グリーン水素の推進は、気候変動対策としても新型コロナ危機からの持続可能な経済回復を後押しする新たな産業分野としても期待されており、今後の政府、州政府、民間企業と研究機関のさらなる連携による動向が注目される。
- 注1:
- 再生可能エネルギー電力導入促進のためのコストとして、電気需要家に対して電気料金に上乗せして課される費用。
- 注2:
- 水素技術を含めたエネルギー効率化の実証実験を支援するプログラム。2019年7月に20のプロジェクトが選出されている。
- 執筆者紹介
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ジェトロ・ベルリン事務所次長(執筆時)
是永 基樹(これなが もとき) - 2000年通商産業省入省。産業技術環境局、通商政策局、貿易経済協力局などを経て、執筆時点でジェトロ・ベルリン事務所勤務。
- 執筆者紹介
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ジェトロ・ベルリン事務所
中村 容子(なかむら ようこ) - 2015年、ジェトロ入構。対日投資部外国企業支援課を経て現職。